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新連載/本文を読む

吉田悠軌「お母さんの怖い話~妊娠・出産・子育てをめぐる怪談」
③「生まれなかった子」が生み出すもの

[新連載]

③「生まれなかった子」が生み出すもの

 生まれなかった子がいた。
 それは、どういうことなのだろう。「生まれた子がいた」なら簡単に理解できる。しかし「生まれなかった子」はそもそも存在するのか。私たちはどのような時に、そう考えるのか。
 性行為によって女性側が妊娠しなくても、普通は「生まれなかった子がいた」とは思わない。避妊をしていれば猶更なおさらだし、妊娠のためタイミングを計ったが着床しなかったケースでも同様だろう。ただ宗教によっては、避妊どころか自慰行為ですら、神の定めた生命倫理に反するとされることもある。
 初期流産は特に珍しいことではない。妊娠に気づかないまま流産してしまうケースもある。しかし胎児が人間のかたちに近づき性別までわかる妊娠中期以降の流産となると、それを「生まれなかった子」と認識する人は多くなるだろう。
 また現代日本では中絶という選択肢もある。「堕胎」行為は法的に罰せられるが、母体保護法により妊娠22週未満までの人工妊娠「中絶」なら認められている。この場合、自らの判断によるものだからと責任を感じる人は、私の周りにも一定数いる。たとえ妊娠初期の、まだ胎芽たいがと呼ばれる状態であろうと「生まれなかった子」に数えたりもする。しかし同じ人でも、自らの決断によらない流産の場合にはそう考えなかったかもしれない。
 敢えて極端な言い方をすれば──ひどく無機質で冷徹な視点からすれば、避妊と着床失敗と流産と堕胎は、結果として変わらない。「子が生まれなかった」という、その一点に尽きるからだ。それなのに、私たちの多くは状況や立場により、それぞれを異なるものと認識している。「子が生まれなかった」結果は同じでも、「生まれなかった子」がある時には存在し、ある時には存在しなかったことになるのだ。
 近年の日本人は「生まれなかった子」をよく「水子みずこ」という概念と結びつける。そもそも水子とは、妊娠中から産後数年で亡くなった子まで広い範囲を指していた。新生児・乳幼児の死亡率は、高度経済成長期まで非常に高かったのだ。かつては多産多死が一般的であり、現在のような少産少死時代に移行したのはつい六十年ほど前。赤ん坊はまだ「あの世」に近い不安定な存在で、すぐ亡くなってしまう代わりに、またすぐ「この世」に戻ってくる。だから幼い死児はむしろ成仏させないよう、戒名や墓をつくるなど丁重に弔ってはならないとも信じられてきた。しかし近年では、亡くなった新生児はもちろん、胎児であれど供養することは珍しくない。
 現在あるような「水子」イメージと「水子供養」が広まったのは一九七〇年代からと考えてよいだろう。京都の化野あだしの念仏寺が依頼者からの発願により水子地蔵を建立したのが一九七〇年。翌年には(特に人工妊娠中絶による)水子供養を専門とした紫雲山しうんさん地蔵寺が埼玉県に建立される。これらを皮切りに、水子供養を扱う寺院や新宗教が日本中に急増した。
 この時広まったのは、家族の不幸や心身の不調が、中絶した水子のたたりによって引き起こされているとの物語だ。だから水子に謝罪し弔うことで、その祟りを鎮めるよう提唱された。民俗学者の森栗茂一もりくりしげかずによれば、こうした言説はまず七〇年代に更年期女性へと浸透する。続いて七〇年代末から八〇年代初頭にかけて若年層にも広がり、マスコミが熱心に取り上げたため激烈な「水子ブーム」が生まれた。こうした流行については、金儲けのための「水子ビジネス」、または女性の中絶を罪悪視する保守反動であると、当時から各所で非難されてきた。
 とはいえ流産にせよ中絶にせよ、胎児へ供養を施したいとの要請が強まっていたことも確かだろう。少産少死化の他、エコー写真で胎児の姿が目視できるようになったのも、それを「人間」と捉える意識が高まった一因かと思われる。
 ウィリアム・R・ラフルーアは著書『水子』にて、国家による多殖主義への批判とともに、日本の水子供養の調査分析を行った。その最終章では、西洋・アメリカと日本との比較から、中絶を巡る議論の深層に眠る信仰心の違いについて触れている。日本の場合、祟るのは水子の霊であり、その報復は母親や家族にやってくる。それに対し西洋の保守派は、罪深い性的行動を罰するのは「神」であり、その報復は「国民全体」という共同体に及ぶと怖れるのだ。原著は一九九二年の刊行だが、トランプ政権下にて中絶禁止が広まる現代アメリカについての、予言ともとれる分析ではないだろうか。
 さて、そろそろ女性たちが語ってくれた怪談を紹介していこう。どうにも言語化できない怖れと、どうにも割り切れない倫理。それらを透かし見るのに怪談ほど最適なものはない。

 リンさんは二十五年前、待望の妊娠を果たした。だがすぐに子宮外妊娠であると判明し、抗がん剤によって胎児を消滅させることとなった。やむをえない処置なのだが、どうしても「死なせてしまった」という意識がぬぐえずにいた。
 その後、頻繁に同じ夢を見るようになった。自分は薄暗い墓場にいて、目の前に赤ん坊が座っている。性別すら不明だが、生まれなかった自分の子に違いない。まだ発話もできなさそうなその子が、しかし大人びた声でこう告げてくるのだ。
「パパを迎えにいくから」
 そこで目が覚める。死なせた子に夫が連れていかれるのかと怖ろしくなった。しかも同じ夢を繰り返し見るうち、左肩が重くなってきた。あの子は天国にもどこにも行けず、自分の左肩に留まり続けているのではないか。どうすればいいかわからないまま、とにかく水を入れたコップを冷蔵庫の上に供えるようにした。毎日欠かさず水を取り換え手を合わせたが、悪夢と左肩の重みは、三年にわたり止むことなく続いた。
 そんなある時、夫と青森を旅行することになった。一緒に行く予定だった友人に急用ができ、「私の代わりに旦那さんと行ってきて」と提案されたからだ。せっかく青森に来たのだからと、夫婦で恐山に参拝した。参道を登っていくうち、賽の河原と呼ばれる場所に辿り着く。幼くして亡くなった子を弔うための場で、荒涼とした岩場にいくつもの風車が立てられている。この風車がカラカラと回れば、子どもの霊が来たしるしなのだという。
 ふと足元を見ると、ひとつの風車が地面に転がっている。なにげなく岩の上に立てなおした瞬間、その羽根がカラカラと回転した。風もなく、周囲の風車はどれも微動だにしていないのに、それだけがカラカラ、カラカラと回り続けている。
「もう大丈夫だね」隣で夫が呟いた。
 その日を境にリンさんの左肩はすっかり軽くなり、例の悪夢を見ることもなくなったそうだ。

 子宮外妊娠という不慮の事態であっても、「生まれなかった子」に罪の意識を持ってしまう人はいる。それはいつかどこかで、救いを見いだす機会をじっと窺っているのだろう。

 サワコさんは夫とのあいだの子を流産した。その後も妊娠が叶わず、離婚へと至る要因の一つになってしまった。
 まだ離婚する前、サワコさんはよく自宅で「男の子」の存在を感じていた。小さな人影が脇に立ち、こちらをじっと見つめてくるのだ。だがそれは目の端にちらりと映るだけで、直視しようとすると、たちまち姿が消え失せてしまう。
「でも、二歳くらいのハーフの男の子だとわかるんです。夫と同じくりくりの瞳で、明るいブラウンの髪だというのも」
 元夫はアメリカ国籍の白人である。流産した子は、このような見た目に育つはずだったのかな、とも想像した。

 ただサワコさんはそれを幽霊や魂の類とは捉えておらず、当時の精神状態が見せた幻覚だと自己分析している。となるとこの体験は、厳密な意味での「怪談」には分類できない。
 そういえば私も三年前に「黒い幼女の人影」を見たことがある。薄暗い寝室で、私のすぐ横を幼女のシルエットが飛び跳ねて通り過ぎた後、しばらく布団の足元にじっと佇んでいた。数秒ほどその影と向きあったが、私は別に驚かなかった。自分の幼い娘が遊んでいるのかと思ったからだ。しかし「なにしてるの」と問いかけたとたん、すぐ横から「なにが?」と声が返ってきた。当の娘は、隣の布団で寝ていたのである。とっさに足元を見返すと人影は消えていた。娘を怖がらせないよう、その場では「なんでもない」とごまかしておいた。
 私の人生で唯一の、明確な幻視体験である(怪談を生業としながらも、私自身はほとんど怪異に遭遇していない)。とはいえサワコさんと同じく、私もこれを霊的な存在とは認識しなかった。ただの錯覚だろうと片づけたのである。
 しかし今、まさにこの文章を書きながら、「あれは『生まれなかった子』が成長した姿だったのでは」との発想が浮かんできた。さらに数年前、妻の妊娠後に胎児の心拍が止まり、除去手術に至ったことがある。近所の寺で一度だけ、「生まれなかった子」のために手を合わせたりもした。もっともそれと幻視体験を結びつける文脈は、当時の私にはなかったし、先述の体験を伝えた妻も、そのようには捉えていなかった。
「生まれなかった子がいた」か否かは、科学的実証と関係なく、あくまで自身の体験をどう解釈して語るかのナラティブにかかっている。つまり怪談的な語りでしか、水子の存在は言い表せないのだ。水子が広く実在するとの主張も誤りだが、水子について語る個々人の解釈もまた否定すべきではない。

 サワコさんは離婚後、沖縄の宮古島へと一人旅に出た。その島にはCMなどで使われる有名な「Sビーチ」がある。ジャングルの小道を抜けた先に砂浜が広がる、風光明媚な場所だ。
「宿から歩いていったら、思いのほか距離があったんですね」
 辿り着いたのは夕暮れ時だった。帰りは街灯のない夜道を7キロも歩く羽目になる。それはいいとして、目の前のSビーチには、予想していたような感動を覚えなかった。
「海の感じが気持ち悪いんです。怖いからもう帰ろう、と」
 すぐにジャングルの小道を引き返す。すると藪の中から「にゃあ」という声が聞こえてきた。しかもその声はこちらの歩調に合わせながら、足元の藪でずっと響き続けている。
 猫がついてきているのかな。そう心配しながら藪を覗いてみたが、なんの姿も見当たらない。それどころか鋭い草木が盛大に生い茂っており、小さな子猫ですら通れそうにない。
 歩き出したとたん、また同じ声が響く。「にゃあ」と「ぎゃあ」の中間のような声が、ぴたりと横を並走してくるのだ。
 んぎゃあんぎゃあんぎゃあ……と激しさを増しながら。
 そこで気付いた。これは猫ではなく、赤ん坊が泣いているのではないか。背筋が寒くなり、大急ぎで小道を走り抜けた。駐車場へ着いたところで後ろを振り向くと、ジャングルの途切れ目から「……んぎゃあ」と小さい声が響いた。
 どうやらそれは、こちら側には出てこられないようだった。

 この話を聞いた時、私はサワコさんに「それは『豚小ウワーグワマジムン』かもしれませんね」と伝えた。前回の連載でも触れた沖縄の妖怪である。夕暮れ時に女性が一人歩きすると現れ、その股をくぐろうとする。子豚の妖怪とされるが、実は赤子の霊の隠喩なのかもしれない。だとすれば、女性の股をくぐるのは、子宮へ戻りたがっているからではないか……とも。
 サワコさんから、先述した男の子の姿を見たという話を知らされたのは、この話を聞いた後のことだ。私の意見を聞き、自身の恐怖体験と流産の体験とが結びついたのだという。あの時、自分の子が泣いていたとは思わないが「なにか別のモノが、私をお母さんにしたくて寄ってきたのかもしれない」。流産した自分だからこそ、その対象として選ばれたのかと思ったそうだ。怪談を語りあう行為は、過去の体験の解釈を変える契機にもなりうる。

 サエさんには昔からの悩みがある。右手の人さし指が、ちっちゃな見えない手にひっぱられるのだという。その現象は幼い頃から二十五歳の現在まで、数日に一度ふいに訪れる。そして成長して自分の指が大きくなっても、ひっぱる手のサイズは変わらない。
「だから中学を卒業するあたりで、ようやくわかったんです。赤ちゃんのちっちゃな手が、私の指を握っているんだって」
 その頃から、サエさんは複数の男性と関係を持つようになった。高校受験に失敗し、浪人生活に入ったのがきっかけだったらしい。男たちと寝た後、ラブホテルのベッドで横になっていると、いつもより強く「ちっちゃな手」にひっぱられる気がした。
 そのまま彼女は十七歳で妊娠した。相手は遊び人の男なので、どうせ堕ろせと言われるだろうと思った。しかし意外にも相手は「産むしかないだろ!」と出産に前向きだった。
 その時わかったのだという。ずっと右手の人さし指を握っていたのは、お腹にいるこの子なのだ、と。この子が死んだら、手も消えてくれるのではないか。そうすればずっと悩まされてきた厄介で面倒なものが、いなくなるのではないか。
 夜中に起こされて迷惑したこともあった。高校受験に失敗したのも、こいつに勉強を邪魔されたから。男たちと遊ぶようになったのも、これが原因ではないか。これまでもこれからも、私の人生は「ちっちゃな手」に邪魔されてしまうのだ。
 そんな想いが膨らんでいた折、男の浮気が発覚する。普通なら最悪の事態だが、彼女は密かに喜んだ。これを理由に、中絶手術を敢行できるからだ。手術の際も不安より解放感が上回っていた。しかし麻酔から目が覚めた瞬間、人さし指がまた、ぎゅうっと強くひっぱられたのである。
「絶望ですよ。完全に殺したのに、どうしてまだいるのって」
 ショックのあまり、サエさんはその場で泣き出した。
「両親が慰めてきたけど、赤ちゃんのために泣いてるんだと勘違いしてて。そうじゃねえよって思うと、また悲しくて涙が出て」
 以降、指を摑まれる感覚はさらに強くなった。そのたびに頭がおかしくなりそうで、なにひとつ集中できなくなってしまう。
「もう普通の仕事には就けませんよ。だから今はフリーのモデルをやって、なんとか生活費を稼いでるんです」
 二十二歳でまた妊娠した。相手はおそらくカメラマンの一人だと思う。だがこの時はあまりに不特定多数と関係を持ち過ぎたため、もはや父親が誰かすら曖昧だった。
「でも当時、ずっとピルを飲んでたんです。なのに妊娠したってことは、こいつが本命だと思うじゃないですか。ずっと指を握ってきた犯人は、こいつに間違いないはずだって」
 迷うことなく中絶手術を行った。だが術後のベッドで目覚めると、やはり「ちっちゃな手」に人さし指を握られたのだ。
 また違う、こいつでもなかった……。
 それから三年経った今も「ちっちゃな手」は消えていない。
「私はこれから先、いったい何人殺せばいいんですかね?」
 ずっと握られ続けたせいで、右手の人差し指には五本指の跡がくっきりアザになっている。サエさんはそう言いながら。
「ほら、これ。見ます?」
 開いた右手をこちらに向かって差し出してきた。
 だがそこにはアザどころか、わずかな痕跡すら見当たらなかった。

 サエさんはおそらく中絶という行為から遡及して「生まれなかった子」を創りあげた。幼少期より人さし指に奇妙な感触を覚えていたのは事実だろうが、それを人生の挫折や男性遍歴と結び付けたのは、ひとえに彼女の解釈による。しかもここで生まれた・・・・のは、まだ妊娠してもいないのに堕胎されようとしている、あまりにも特殊な水子なのだ。
 しかしまた、それは私たちのいう水子と本質的には変わらない。サエさんは結局、これまでの二度の中絶と、将来するはずだと彼女が考える中絶、そうした自らの行為全体について抽象的な「赤ちゃん」イメージを仮託しているのだ。そこまで極端でなくとも、私たちもまた同じように水子を想定する。流産か中絶した胎芽・胎児それ自体ではなく、「赤ちゃん」や乳幼児に成長した姿を思い浮かべる。そのように成長した子などいないのに、霊魂としては存在するのだという怪談的な語りを行っている。それでいいのだろう。どうにも言語化できない怖れと、どうにも割り切れない倫理。そうした不分明な気持ちにかたちを与えるのが、怪談の役割なのだから。

【参考文献】
「水子供養の発生と現状」森栗茂一、『国立歴史民俗博物館研究報告』第57集
『水子 〈中絶〉をめぐる日本文化の底流』ウィリアム・R・ラフルーア、青木書店


イラストレーション●市川友章

吉田悠軌

よしだ・ゆうき●1980年東京都出身。怪談、オカルト研究家。
怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集長。実話怪談の取材および収集調査をライフワークとし、執筆活動やメディア出演を行う。著書に『日めくり怪談』『現代怪談考』『ジャパン・ホラーの現在地』(編著)『教養としての名作怪談 日本書紀から小泉八雲まで』『よみがえる「学校の怪談」』(編著)『裏山の怪談』等多数。

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