[第24回開高健ノンフィクション賞受賞作発表]
第24回開高健ノンフィクション賞受賞作発表
正賞=記念品
副賞=三〇〇万円
主催=株式会社集英社
公益財団法人一ツ橋綜合財団
【受賞作】
『始祖の大地』 上村幸平
【選考委員】
加藤陽子/姜尚中/藤沢 周/堀川惠子/森 達也(五十音順・敬称略)
【選考経過】
第二四回開高健ノンフィクション賞は、一三六編の応募作品のなかから慎重に検討し、左記の通り最終候補作を選び、七月四日、選考委員五氏によって審議されました。その結果、上記の作品が受賞作と決まりました。
【最終候補作品】
『アンダーグラウンド・カルトヒーロー 安部慎一はなぜ漫画を描き続けるのか』 外川 凌
『始祖の大地』 上村幸平
『アフリカ大湖のピースビルダーズ』 田畑勇樹
『水になった若者たち 英国に生きる香港民主活動家の肖像』 板東和正
受賞の言葉―― 上村幸平
ハイダグワイという土地への讃歌

「あなたの文体にはいい年をした大人衆をそそのかす要素があるらしいです」(開高健『オーパ!』集英社文庫)
自分が作家としてデビューするのは、この「開高健ノンフィクション賞」でなければならない、とずっと思ってきた。それは『オーパ!』でサンパウロの
『始祖の大地』は、先住民ハイダが一万年以上にわたって守ってきたハイダグワイという群島における僕の一次体験をベースに、海洋民族たちの文化や言語、植民地主義の歴史と脱植民地闘争を
漂着するようにたどり着いた島での生活の中で、僕には思いもよらぬ出来事が次々と起こり、人々は思いがけないストーリーを授けてくれた。それらをいかに一つの物語として響き合わせるか。それが本作の執筆で最も悩んだことだった。
二年間に及ぶ執筆において、僕の原動力にあったのは、「あわよくば、まだ見ぬ誰かをそそのかしてやろう」というささやかな企みである。ちょうど、開高健が僕たちをブラジルの怪魚たちと遭遇させ、ベトナムの汗ばむ熱帯雨林に誘ったように。この賞が送り出してきた作家たちが、その
僕がこの『始祖の大地』で表現したかったのは、つまるところ、大地とともに生きる人々の力強さである。大地から人間を切り離そうと日夜尽力し続けるシステムの中で、それでも関係性というものを守り抜こうとする人々の姿に、僕は何よりも希望というものを見出してきた。「昔、人間は自然と調和して生きていましたよ」というようなノスタルジアに訴えかけるものではなく、現在進行形で世界を変えることができる、土地と密接に結びついた壮大なムーヴメントを伝えたいと思った。
そのようにして書き上がった原稿が、複数の時間・空間性を
そんな『始祖の大地』をノンフィクションを対象とした賞に選んでいただいたことに、心から感謝したい。そして多くの「行動する作家」たちを世に輩出してきた開高健賞に名を連ねるひとりとして、これからも大人衆をそそのかすような作品を書き続けようと思っている。
第24回開高健ノンフィクション賞選評
「真摯で誠実な繫がり」から生まれる言葉を伝える
加藤陽子

今回の候補作全てに共通していたのは、書き手と深い信頼で結ばれた人々との間で交わされた「言葉」、それを崩壊しつつある「世界」へ向けて発出しようとする静かな気迫であった。為政者が国民を分断しようとする世界にあって、ノンフィクションには何ができるのか。このような問いが書き手の心中に抱かれざるをえない時期が到来したのだろう。
外川凌氏の『アンダーグラウンド・カルトヒーロー』は、一九七〇年代の前衛的漫画誌に「美代子阿佐ヶ谷気分」等を引っ提げて登場し、数年で消えた奇才・安部慎一の彫像を地面から掘り出すように描いた作品だ。精神的窮地にあった少年期、書き手は安部の漫画で生かされていたも同然だった。そのヒーロー(安部)の「人生は続いていて、今でも漫画を描きながら私と同じ時代」を生きていると知った書き手は、安部の友人や家族や本人を訪ねて丹念に話を聞く。安部が深く影響を受けていたはずの太宰治等の私小説の水脈に書き手が向き合い、自ら分析を加えて踏み込んで書いてゆけば、後世に残る作品となるに違いない。
田畑勇樹氏の『アフリカ大湖のピースビルダーズ』。傍観者では駄目だとし、「多くの友達が言った」言葉から眼前の危機を把握し、
板東和正氏の『水になった若者たち』。日本人である自分にも起こり得る未来の一つかもしれないとの問題意識に発し、書き手は香港から英国に移住した人々の姿を端正に描く。現代史のアイコンとなったサイモン・チェンにここまで肉迫できたこと自体、
上村幸平氏の『始祖の大地』。開高賞始まって以来、選考委員全員の満点評価を得た作品となった。北太平洋の東側、カナダ西海岸の北端の群島・ハイダグワイ。そこに移住した書き手は、全ての概念が動詞で表現される先住民の言葉・ハイダ語を習得し、その論理で森を見つめ「地面は
失われた三十年から、「新・新人類」が台頭した
姜尚中

最終候補に残ったのは、今回の応募者のほぼ2割に当たる40歳代前後以下の世代の作品だった。4つの最終候補作品の作者はみな、「失われた30年」の間に生を受けるか、その時代に幼少期を過ごしていることになる。要するに、4人とも、隔世遺伝のように現れた「働いて、働いて、働いて……」といった昭和的な価値の倒錯とは無縁の世代なのだ。
4人の作品を読みながら、脳裏に浮かんだのは、ジャーナリストで、開高健賞の選考委員のひとりであった筑紫哲也さんの「新人類」という言葉だ。ただ、「新人類」が、右肩上がりのバブリーな経済的余裕を背景にした、団塊世代の価値観との断絶を含意しているとするなら、現代の「新人類」は、右肩下がりの「衰退」の局面を背景に、不確実性と情報過多が進み、流動的な自己像形成の時代に立ち現れている新たな若者たちだ。この意味で「新・新人類」と呼んでいいかもしれない。
その感を強くしたのは、上村幸平さんの『始祖の大地』だ。まだ20代後半にさしかかったばかりの「若者」──後期高齢の評者にはそう思えてならない──が、地球の細やかな律動を感じさせる描写を通じて、近代という時代の過酷な痕跡(植民地主義と収奪の歴史)を詩情豊かに描くことが出来るとは、思ってもみなかった。そこには、北辺の群島とそこに住む先住民(ハイダ)に溶け込むように苦楽を共にするひとりの「エトランゼ」としての作者がいる。読み進みながら、映画『アマデウス』(「神に愛された者」)への嫉妬の炎に囚われたサリエリの心境になった気分だった。上村さんの作品は、私にとっては彼の言葉を使えば、まさしく「エピファニー」(啓示)だったのである。
この感慨は私だけの思い込みではなく、審査員全員が多寡の違いはあれ、同じような評価だったに違いない。全員が、満点をつけるなど、開高健賞選考会始まって以来の「快挙」だったからである。
なお、劇画界の往年の鬼才、安部慎一の実像に迫り、創作と実生活の葛藤という、表現者に共通の「
さらに田畑勇樹さんの『アフリカ大湖のピースビルダーズ』は、極めてレアな体験の記録であるが、やや意気込みが空回りしている印象を拭えなかった。それは、表題にも表れていて、過酷なコンゴの現実を考えれば、「ピースビルディング」(平和構築)より前に「ピースキーピング」(平和維持)への道筋のようなものを示してほしかった。
以上の選評を通じて感じたのは「失われた30年」の「焼野原」から、「新・新人類」が、やっと台頭しつつあるという感触だ。
未来への光
藤沢 周

世界すべてのものを私有化し商品化しようとするこの狂乱の時代において、あらゆるものを惜しみなく贈与する人々がいる。カナダ西海岸に浮かぶ群島ハイダグワイに生きる海洋先住民ハイダ。
ある一つの啓示から突然ハイダグワイに移住した著者上村幸平の『始祖の大地』は、森や海に息づくすべての存在と交歓するハイダの人々と共に生活し、その文化と歴史、哲学を描ききった力作である。作家開高健は「書くとは野原を断崖のように歩くこと」と言ったが、ハイダの民は実存そのものが繊細な感受性や想像力を全開にして、微細な植物から海洋生物、獣、天候、人々を緻密に捉え、森羅万象を愛する感性で世界を捉える。そして、著者もその姿に学んだからこそ、稀有なる表現力でこの壮大な作品をものすることができたのだろう。やがて、資本主義と対極にある「ポトラッチ(贈与)」の精神で人々と資産も喜びも分かち合うハイダの人々が、二世紀にわたる植民地政策と同化政策に苦しめられながらも共生存を模索する精神を手放さなかった歴史を知ることになる。その奇蹟的な歴史と文化の根柢にあるのは、豊かな自然と人々すべてに対する敬意だろう。
「心の難民」たる現代の日本人が自身の内に潜む暴力性を見つめ直し、均質化・標準化しようとする強大な力に抗するためにも、この作品は多くの示唆を与えるはずだ。選考委員全員が満点をつけた本作品は、この時代を生きるための必須の書となるに違いない。
暴力ではなく対話を。戦争ではなく共生を。ハイダの民とは違うアプローチで懸命に平和を模索する若者たちを描いたのが、板東和正『水になった若者たち』と田畑勇樹『アフリカ大湖のピースビルダーズ』。前者は英国で出会った香港の民主化運動に関わった亡命者たちとの交遊を通し、「逃亡犯条例」や「香港国家安全維持法」などの人権を
外川凌『アンダーグラウンド・カルトヒーロー』は異色の漫画家安部慎一を徹底追跡。だが、精神を病みながら描き続けることが生きている証明となっている漫画家を追う偏執狂的な筆致こそ、むしろ本作の肝ではないか。マニア
豊作を祝う
堀川惠子

(C)MAL
本賞の選考委員の顔ぶれは多彩だ。著名な学者、小説家、映画監督らがドンと構え、ノンフィクション系の書き手はむしろマイノリティ。互いに職業人として立つ基盤が違うので、当然、選考会は多様な意見が飛び交い、開高健という作家の奥深さを体現する場となっている。
そんな選考委員全員が初めて満点をつけた。しかも27歳の最年少受賞だ。上村幸平さん『始祖の大地』はカナダ
もう一作、受賞作とは対照的な作品に私は満点をつけた。略して『安部慎一=アベシン物語』。父との関係に苦しむ精神科医の著者が、内心を照らす光を求めるように、70年代を駆け抜けた「天才漫画家アベシン」の狂気と病の世界に分け入ってゆく。泥臭い取材、救いのない人間の業、著者にしか描きえない唯一無二の世界観。無骨なノンフィクションの匂いをプンプンさせる作品だ。家族再生の物語でもある本作には伸びしろが多分にあり、取材を補えば名作が生まれそう。焦るな、深めろ(ここ開高調)。
香港の民主化運動に関わった若者たちのその後の苦闘を描いた『水になった若者たち』は、ロンドンが舞台。「今」「ここ」にある彼らの漂流を、特派員の目線で5年にわたって記録。日常生活をベースに時代の断片をみごとに切り取った。書き手の主観を薄め、構成を整理する必要はあるも、類書のない作品だ。中国共産党による統制強化がいっそう進む今、この作品は必ず世に出してほしい。それは困難な時間を
田畑勇樹さんは一昨年に続いての応募。前作に比べて描写はかなり磨かれた。確実に積み上げるガッツに敬意を表したい。次作は「私」の出番を減らしてみたらどうか。何を取材し何を深めるべきかがより明確になるはずだ。
とまれ今年の豊作を喜びたい。
前半はほぼ横一線。でも終盤で大きく差がついた
森達也

『アフリカ大湖のピースビルダーズ』。読み始めてすぐに思う。これは大切な作品だ。メインストリームメディアがほとんど報じないアフリカの内戦や紛争の現状、凄惨な虐殺の記憶を持つルワンダはどのように変わったのか、コンゴなど周辺国とはどのような関係を築いているのか、そして著者とともに平和学を学ぶアフリカの若い世代は、自分たちの未来をどのように構築するつもりなのか、重要な視点はたくさんある。著者にとっては二回目のエントリーで、前作のテーマはウガンダの農業支援だった。うん。一貫している。
そう思いながら読み進めたけれど、中盤を過ぎたあたりからなぜか文章が頭に入ってこなくなった。理由は今も言語化できていない。でも途中から気になったこと。多くの友人たちに会いながら、その目的がノンフィクションを書くためであることが
次に手に取った『アンダーグラウンド・カルトヒーロー』は、途中まではむちゃくちゃ面白かった。でも息切れしてきた。理由は明らかだ。安部慎一を特異化しすぎている。精神を病む漫画家は決して少なくない。安部が病んだ理由はこの作品で「自らの生活や妻を創作のネタにしている」「写真をモチーフにしている」ことが要因とされているが、その手法を使う漫画家もいくらでもいる。決して安部の特質でも特権でもない。もちろん要因のひとつではあるだろう。でも大上段すぎるのだ。
取材者が取材対象者といつのまにか同一化してしまうという手法は常道だが、その描写も中途半端。ならばもっと突き放すべきではなかったのか。
中国共産党の支配に今も抗い続ける香港の若い群像を描いた『水になった若者たち』は、僕の問題意識にすごく共振した。貴重な記録だと思いながらも、読み進めながらなぜか違和感が拭えない。理由は明らかだ。彼らは日々、自分だけではなく香港に残してきた家族の安否を気にかけている。日々の尾行に緊張しながら、祖国を失いかけて
本賞を受賞した『始祖の大地』については、他の選者たちがたっぷりと語ってくれるはずだ。問題提起も鋭いし文章は圧倒的に巧みだ。特にハイダに暮らす人たちの描写が素晴らしい。開高健が残した仕事のスケールや世界観にも大きく重複する。納得の受賞になったと思う。
上村幸平
1998年大阪府生まれ。フォトグラファー、ソーシャルワーカー。
早稲田大学法学部で国際人道法、ジャーナリズムについて学ぶ。2023年にカナダ太平洋岸北西部に位置する群島ハイダグワイに移住。現地のNPOで先住民福祉に携わる傍ら、釣りやシーカヤック、狩猟採集や先住民ハイダとの関わりを通して、人間と土地、種間の繫がりと互恵関係について考えている。
加藤陽子
かとう・ようこ
姜尚中
カン・サンジュン
藤沢 周
ふじさわ・しゅう
堀川惠子
ほりかわ・けいこ
森 達也
もり・たつや




