[本を読む]
物が満ちた世界で、
たった一人を求める
身分差、お金、家族の反対、病、距離──恋愛には障害がつきものだ。では、さまざまな不自由が技術によって解消されてしまった世界で、恋愛小説は成り立つだろうか? 本書は、恋愛を阻むものを社会ではなく人間の内側に見出す。誰かを求めながら、自分自身をうまく受け入れることのできない二人の物語だ。
舞台は、飢えも貧しさも病もほぼ克服された未来。人々の暮らしは〈中央〉とロボットに守られ、必要な物は量子的な技術で何でも作ることができる。平等で安全な世界だ。けれど、作中で記号名のまま呼ばれる青年Zは満たされない。美しい肉体を持ち、鏡に映る自分を誇らしく思う一方で、それがほんとうの自分なのかという疑いを抱えている。完璧な肉体も、その疑念を晴らしてくれない。
〈全裸の山〉は、人々が定期的に集まり、衣服を失った姿で交流する場所。富や身分を示すものを取り払うための制度だが、裸になれば平等になれるわけでもない。Zの美しさはいっそう人目を引くけれど、自らを醜いと感じる女性彫刻家Aにとっては、他人の視線にさらされるつらい時間だ。人目を避けて岩陰に隠れた彼女は、そこから見たZの裸体に、初めて完全な美を見出す。そして思い切って、Zに彫刻のモデルになってほしいと頼む。
Zは見られることには慣れているが、他人の眼差しのなかにも自分の姿ばかり見ている。一方のAはZの裸体に美を見出しながら、自分が他人に見られることを恐れている。この非対称な〈見る/見られる〉の関係が、彫刻を介してどう変化してゆくのかが、最大の読みどころだ。作品づくりは、相手を写し取るだけではない。向き合ううちに、作る側も作られる側も、自分を見る目まで揺さぶられる。芸術が、告白や性愛とは別の、二人だけのやりとりになる。従来の恋愛小説とは少し趣の違う、親密さの形だ。
〈中央〉は物も安全も与えてくれる。けれど、ともに過ごした時間のなかで生まれる想いまでは作れない。物が満ちた世界であっても、特別なたった一人と育てる関係だけは替えがきかない。SF的な仕掛けによって恋愛を未来へ運び、その根にある欲望と孤独を、裸のまま取り出した一作だ。
香月祥宏
かつき・よしひろ●書評家





