[新連載]
[第1回] どうにもならないときは「寝たふり」がいい

26年前に上梓した『がんばらない』(集英社)。タイトルは、ぼくたち日本人はがんばることが正義だと思い込んできたけれど本当にそうだろうか、そんな思いを込めたものでした。
「努力したものが成功するとは限らない。しかし、成功したものは皆努力している」
これはベートーヴェンの名言です。
なるほどと思ったけれど、イギリスの思想家バートランド・ラッセルの言葉のほうが、ぼくにはストンと腹に落ちました。
「賢人は避けられない不幸に対して無駄な努力をしない」
人生にはがんばっても、がんばっても、自分ではどうにもならないことがあります。そんなときには無駄に抗わず、「寝たふり」をしたっていいのです。
自分のなかに獣がいる
弁護士で作家、元大阪市助役(現在の副市長)の
彼女は、中学生のときに壮絶ないじめに苦しみます。同級生から無視され、ものを隠され、トイレの個室で上から水をかけられ、人格を否定され……。両親と担任が介入したものの、いじめは収まらず、精神的に追い詰められた彼女は自殺を図ります。一命をとりとめ、ようやく復学しましたが、いじめはさらにひどくなりました。
学校で孤立。家でも世間体を気にする両親に不信感をもつようになり、ときには暴力を振るうこともありました。自分の居場所を求めて暴走族の仲間に入り、暴力団ともかかわりを持つようになっていきます。認められたい一心で背中に彫り物まで入れ、組長と最初の結婚もしました。
「自分のなかに獣がいる」
ぼく自身も高校三年のとき、父親に大学進学を反対され、反射的に父親の首を絞めかけました。自分のなかに獣がいて、「生きたい! オレはここだ!」とのたうち回っていたのです。彼女のなかにも荒れ狂う獣がいました。
ゴミの山から抜け出す
大平さんは20代前半になると、結婚を終わらせ経済的に自立するために、北新地のクラブで働き始めます。経済人のお客との会話の糸口をつかむために、必死に日本経済新聞を読んだ。中卒の知識で日経新聞を読み始めるって……。なかなか真似できません。努力が実り、ナンバーワンのホステスになっていきますが、酒浸りの日々から抜け出せずにいた大平さん。接待で店に来た父親の友人に再会し、「もう一度、人生やり直してみろ」と震えるほどの大声で一喝されました。この一喝から彼女はゴミの山から宝物をつかみ始めるのです。
クラブを辞め、昼間働きながら猛勉強を始めます。中卒の学力で宅建や司法書士の試験にパスするのは並大抵の努力ではなかったでしょう。通信制大学で学び、29歳のときには司法試験に一度で合格を果たしました。
とてつもない努力と集中力です。どうしたらそんなことができるのでしょうか。後に彼女は『くらべない生き方 人生で本当に大切にするべき10のこと』(鎌田との共著、中央公論新社、2010年刊行)でこう述べています。
「子どもが誰かの真似を繰りかえして大人になっていくように、ほかの優れたものを真似して、それ以上にいいものをつくろうと努力するから私たちは成長できる。単調でも、地に足をつけて繰りかえし学んでいくことが大事です」
弁護士となってからは、自分と同じような思いをしている青少年を助けたいと、国選弁護人として活動を始めました。自分自身が立ち直るための弁護士資格が、人を助けるための弁護士資格に変わっていったのです。
遅咲きの優しいお母さん
人生には、ここぞという「がんばりどころ」があります。そこで精一杯力を尽くせるかどうかで、その後の人生が変わります。
大平さんは、中学生の頃、自分ではどうすることもできない体験に絶望したからこそ、自分の努力で何とかなることには全力で挑むことができたのでしょう。
でも、10代の頃に会っていたら、つらくてどうにもならないときは「寝たふり」していいんだよ、と言ってあげたかった。寝たふりしながら、嵐が通り過ぎるのを待っていれば、チャンスの風はきっと吹いてくる。自分を信じて風を待つことができる人こそ、季節外れの美しい花を咲かせるのだ。
大平さんは40歳で再婚、妊娠、出産。寝食忘れて打ち込んできた弁護士の活動はいったんお休み。女の子を授かり、夫とともに大切に育てています。
数年前、中国地方にある彼女のお宅に招待され、テーブルいっぱいの手作りの料理。20代半ばから中学の勉強をやり直しても大丈夫。刺青が入っていても大丈夫。彼女は遅咲きの優しいお母さんになっていました。険しい道を歩んできた末にたどり着いた、ありふれているけれどスペシャルな家庭を見せてもらいました。あの居心地のよさは今もよく覚えています。

イラストレーション●浅生ハルミン
鎌田 實
かまた・みのる●1948年東京都生まれ。
74年東京医科歯科大学医学部卒業。88年諏訪中央病院院長に就任。2005年より同病院名誉院長。チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故後、放射能汚染地帯へ医師団を派遣し医薬品を支援。ウクライナ避難民支援にもいちはやく着手。イラクへの医療支援、国内の被災地支援にも尽力。著書に『がんばらない』『曇り、ときどき輝く』『鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』『鎌田式 健康手抜きごはん』『17歳のきみへ 人生で大事なことは、目には見えない』等多数。





