青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌

定期購読のお申し込みは こちら
年間12冊1,000円(税・送料込み)Webで簡単申し込み

ご希望の方に見本誌を1冊お届けします
※最新刊の見本は在庫がなくなり次第終了となります。ご了承ください。

WEB限定記事・イベント採録/本文を読む

小川洋子×井上芳雄
『劇場という名の星座』刊行記念トークイベント「帝国劇場と私」

[WEB限定記事・イベント採録]

『劇場という名の星座』刊行記念トークイベント「帝国劇場と私」

小川洋子さんの最新小説集『劇場という名の星座』の刊行を記念して、4月に、俳優・井上芳雄さんとのトークイベントが開かれました。この新刊の舞台は、昨年、建て替えのために惜しまれつつ一時休館となった帝国劇場です。小川さんは、劇場を愛し、劇場を支え、劇場を作り上げた人々の物語を紡ぐために、たくさんの方への取材を重ねました。その一人が、帝劇でデビューし、現在は舞台を中心に多方面で活躍する井上さんです。
トークイベントで再会したお二人は、在りし日の帝劇の思い出や、小説と舞台についてなど、井上さんによる朗読を交えながら、たっぷりと語り合いました。貴重な対話の一部を、再構成してお届けします。


「――そこに、暗闇がある。」暗転した客席に響く井上さんの声でイベントは開演。小川さんも加わり「ホタルさんへの手紙」(本書収録)の冒頭部分を朗読した。

井上さんの言葉が、小説の1行目のヒントに

井上 帝劇を舞台にした小説を書かれるにあたり、最初はどういうお気持ちだったのでしょうか?

小川 それはもう、私には荷が重いと思いました。元支配人の方から、帝国劇場の記憶を小説の形で残しておきたいというお話をいただいたのですが、私は帝劇に通い出して10年くらいでしたし、これまで実在の建物や場所、人物をモデルに小説を書いた経験があまりなかったということもあります。なんといっても長い歴史があり、多くの方が深い愛情を注いでこられた劇場ですから、プレッシャーを感じながら恐る恐る取材を始めたんです。
 そうしたら、取材初日から、たいへん貴重なお話を伺って。これはもう書くしかない、という気持ちになりました。

井上 読ませていただいて、劇場への愛情があふれている作品でした。帝劇のことがただ作品として残るだけでなく、すばらしい芸術作品として残ることにも感動しました。

小川 井上さんにも、小説の根本を支えるような言葉をいくつもいただきました。出演し始めたころは「帝劇の暗闇が怖かった」と。それは観客席から見ていたらわからないことなんです。初めて大きなミュージカルに抜擢された二十歳の若者は、どんな気持ちで、あの大きな舞台に立つのか。想像を巡らせながら小説の1行目を書き始めるにあたり、井上さんの言葉が大きなヒントになりました。

井上 本当ですか! 少しでもヒントになったのなら、こんな幸せなことはないです。

小川 ご本人にとっては何気ない一言が、作家にとって「宝物」になるのです。

劇場を支える「気配を消す」プロたち

小川 それから劇場には、本当にいろんな種類の仕事の方が働いていらっしゃいますよね。裏方の裏方、パンフレットには決して載らないような方が、「良い舞台を作りたい」というたった一つの目的のためにプロの仕事をされていることに、心打たれました。黙々と仕事をしている方が、私は大好きなんですね。

井上 この小説には、ホタルさんと呼ばれる案内係の方や、楽屋係の方、エレベーター係の方から稽古のピアノ担当の方、それから通訳の方も出てきます。高い専門性とともに、作品への理解と愛情がないとできない仕事ばかりだと思いましたし、長く帝劇に関わってきた僕も知らなかったことを知ることができて、うれしかったです。

小川 俳優さんや演出家以外にも、台本を読んでいる方が大勢いらっしゃるということですね。エレベーターのボタンを操作する係の方もちゃんと台本を読んでいて、この俳優さんはこの時間帯に一度楽屋に戻る、この俳優さんはこのタイミングで煙草を吸いに外に出る、と把握した上で、ボタンを操作されている。実際に私が話を伺った方も、たいへん魅力的な方でした。

井上 僕たちは気まぐれだから、今日はちょっと早めに舞台に行こうとか、今日は少し遅れちゃったなみたいな日があるんですが、そういうことにも対応してくださって。

小川 狭いエレベーターの中で、死神のトート(『エリザベート』)とか、ジャベール(『レ・ミゼラブル』)とか、いろんな人と一緒になるわけじゃないですか。大変な緊張だと思うんですが、エレベーター係の方は自分の「気配を消す」とおっしゃっていました。気を散らせてはいけないので。案内係の方もそうですが、裏方の方って、気配を消すプロですね。同時に、気を配るプロでもあって、エレベーター係の方は、俳優さんに何か聞かれたときは、絶対に否定しないと。「音、外しちゃったよ」とつぶやかれたら、「個性ですよ」と一言。

井上 もちろん俳優としてはやってはいけないことですが、そう言ってもらえるだけで、救われると思います。

小川 そうなんでしょうね。俳優の方が気持ちよく舞台に出られるように、日々努力をされているし、そうした自分の仕事に誇りをもっていらっしゃる。私は羨ましかったです、劇場で働くことが。こんなにも多くの力を合わせて仕事をするという経験は、一人で書いている作家にはないので。

井上 作品を作り上げるという点では同じだと思いますが、そこは違うんですね。

小川 ぜんぜん違いますね。

劇場には苦楽を分かちあう「親しめの親戚」がたくさんいる

小川 劇場にはたくさんの方が関わっているという今のお話で思い出したのですが、帝劇の貴賓室で井上さんに初めてお話を伺った日、次の面会の予定が、岡本(義次)プロデューサーだったんですよ。

井上 はい。岡P(オカピ―)。

小川 入り口のところで、お二人がすれ違いましたよね。岡Pさんが井上さんを見て、「おお、芳雄」と、一言おっしゃった。その一瞬の雰囲気がとってもすてきだったんです。仕事上の上司と部下とも違うし、友だちとも違う……他では味わえないような爽やかな、親愛の情にあふれた雰囲気がそこにはあって。

井上 確かに、先輩後輩ではあるんですが、それだけでもない……家族に近いというか。親しめの親戚、みたいな感じでしょうか。岡Pはじめ、多くの方に育てていただき、苦労も喜びも一緒に味わってきたところがありますね。

小川 そういう関係にあふれていますね、劇場は。

井上 そうですね。本当はね、自分のいいところだけ見せたいんです(笑)。だけど、長くやっているとそうじゃないとき、苦しいときがたくさんある。それを全部分かちあうのが、劇場という場所なのかもしれません。

小川 「稽古場は恥をかくところ」と聞いたことがあります。これ以上出せません、というところまで自分を出し尽くさないとできない役ばかりを、井上さんはされていて。

井上 僕はモーツァルト役の稽古で、力いっぱい歌いすぎて歌い終わったことに気づかず、下あごが上あごを直撃して歯が取れたことがあります(笑)。

小川 えっ!! そんなことが……。

井上 僕にかぎらず、他の役者さんもみなさんそういう経験があるんじゃないかな。それくらい稽古場って出し尽くす場所ですし、そうしないと舞台に立てないんです。

小川 そうなんですね。そういえば演出家の栗山民也さんは、「井上さんは真っ白なキャンバスみたいに稽古場に現れる」とおっしゃっていて。

井上 何も用意してないってことかも……(笑)。

小川 もちろんそういう意味ではなくて(笑)、素直に何でも受け入れますよ、という役者さんだということですね。

井上 ありがとうございます。僕なりに準備はしていくんですけれども、自分の準備なんてたかが知れている気がするんです。だから演出家の方はじめ、みなさんが思い描くところに僕も乗っかりたいなという気持ちが強い。一人では苦しいけれど、みんなの力を借りることができるから希望が湧く。舞台ってそういう仕事だと思います。

小川 デビュー25周年を記念したアニバーサリーブック『井上芳雄 25th ANNIVERSARY BOOK』にも、「僕が」を主語にしてはいけないと書かれていましたね。相手がいてこそのお芝居だし、演出家の方、スタッフの方、裏方の方、いろんな方に支えられていることを常に意識していたいと書かれていて、こういう方がスターになられるのだと納得しました。そして、いろんな方の中には、観客の方の力もありますよね、絶対に。

井上 はい。いつもお客様には力をいただいています。ただ、必ず力はいただくんですが、それがどんな力なのかは、舞台に立つまでわからないんです。日によっても、場所によっても、作品によっても違うので、お客様からどんな力を得て自分がどう変わるか、作品がどうなるかは、蓋を開けてみないとわからない賭けみたいなところがある。そういう緊張感や面白さがあるのも、演劇のすばらしさだと思っています。


イベント中盤、 「一枚の未来を手にする」より“プリンス”を愛する女性と少女が描かれる場面を朗読する井上さん。

本を読む感動と、舞台を見る感動

──(司会)お二人は、帝国劇場のどこが一番お好きですか? 一つ挙げるとしたら。

井上 はい、たくさんありますけど、やっぱり僕たちは稽古場への思いが強いですね。帝国劇場の稽古場は9階にあったんですが、入り口近くに階段があって、そこを上ると少し高いところから稽古の様子を眺められるんです。自分の出番がないときに階段に座って、稽古を見ているのが好きでした。演者側からはあまり見えない場所なんですよ。そこでリラックスして自分の稽古を振り返ったり、他の俳優さんといろんなことを喋ったりするのが楽しかったですね。

小川 そういう場所があったんですね。観客としての私は、入ってすぐの美しいステンドグラスの光を見ると、ああ、来たな、という思いでいっぱいになっていました。今回、取材であのステンドグラスの裏側を見せていただいたら、何やら秘密の扉があって。そこを開けると、細長い空間があったんです。それを見たときに、あ、(帝劇を創った)菊田一夫さんは死ぬに死にきれず、ここでみんなを見守っているに違いない、と思って。

井上 ああ、そうやって物語が生まれるんですね。今日ぜひお聞きしたかったんですが、作家でいらっしゃる小川さんは、文学からも感動を受け取っていらっしゃるわけですが、本を読む感動と、舞台を見る感動というのは、違いますか?

小川 違いますね。舞台というのはつまり、肉体的な感動です。汗が飛んでくるような、手を伸ばせばすぐ届くようなところに生身の人間がいて、歌っている。しかし、絶対に飛び越えてはならない、舞台の境というのがあって。私は舞台を見るようになって、登場人物の体温が伝わってくるような小説を書かなければダメだと思うようになりました。
 ですから、小説を書くのと舞台はまったく違う種類の仕事。なんですが、何かを生み出すという意味では、私はシンパシーを感じています。作家は、登場人物を神様みたいに動かしているわけじゃないんです。書いているうちに勝手に動き出すので、よく観察をして、邪魔をしないように、そっと彼らについていく感じで書いているんですね。

井上 そうなんですか。意外です。作家の方でさえ、思い通りにいかないというか、思い通りにいかせないほうがいいと。

小川 おっしゃる通りで、私についてきなさい、という姿勢では失敗しちゃうんです。ですから演劇を作る方の謙虚さとか、演劇の神様の前に跪くような姿勢を非常に尊敬するとともに、どこか作家と共通するものを感じたりもしました。

井上 僕たちはゼロから何かを作る仕事ではないので、言葉でも音楽でも、書かれた方へのリスペクトがあります。その上で、書かれた方の意図を自分なりにくみとって、できるだけ沿わせて、表現したいと思ってやっている。だから、役割としては全然違うんですが、今のお話を聞いて、やはり良い作品を作り上げていく点においては、同じようなところに到達できる仕事なのかなと思いました。

小川 拍手はいただけないんですけど(笑)。でも今回、この本をお送りしたある俳優さんから、「言葉の舞台に喝采を」という、詩人の言葉のようなメールをちょうだいしました。それも宝物です。

──会場から万雷の拍手


「こちらへお座り下さい」に登場する“幸運の椅子”にちなんだ抽選コーナーも。小川さんが引いた席番に座っていた方には、小川さん・井上さんのサイン入り『劇場という名の星座』が贈られた。

小川 ありがとうございます。最後になりますが、劇場や演劇が、どれほど人生を豊かにしてくれるものであるか。それがこの本で少しでも伝わればうれしいです。ぜひまた劇場で再会できたらと願っています。井上さん、今日は本当にありがとうございました。

井上 あらためまして、この本を小川さんに書いていただけたことを、帝劇に関わってきた一人として、とても幸せなことだと感じています。新しい帝劇ができたとき、待ってましたとたくさんの方が来てくださるように、これからもたくさんの方の力をお借りしながら、僕たちも引き続き頑張ってまいります。今後とも、応援よろしくお願いします。

小川洋子

おがわ・ようこ●作家。
1962年岡山県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。88年『揚羽蝶が壊れる時』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。91年『妊娠カレンダー』で芥川賞、2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、26年『サイレントシンガー』で毎日芸術賞ほか受賞多数。近年の作品に『掌に眠る舞台』(集英社)、『耳に棲むもの』(講談社)など。

井上芳雄

いのうえ・よしお●俳優。
1979年福岡県出身。東京藝術大学音楽学部在学中にミュージカル『エリザベート』でデビューし数々の作品に出演。読売演劇大賞杉村春子賞、菊田一夫演劇賞など受賞多数。ライブ活動、テレビ出演も精力的に行う。『アイ・ラブ・坊っちゃん』に出演中。近著に『ミュージカル新時代』(日経BP)がある。

TOPページへ戻る