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特集インタビュー/本文を読む

神永 学『ぬえ咆哮ほうこう 浮雲心霊奇譚』
こうあるべきという枠に収まらない、さまざまな友情を描きたかった

[特集インタビュー]

こうあるべきという枠に収まらない、
さまざまな友情を描きたかった

死者の姿が見える赤い瞳の憑きもの落とし・浮雲うきくもの活躍を描く幕末ミステリー「浮雲心霊奇譚」。二〇一四年の第一作『浮雲心霊奇譚 赤眼せきがんことわり』以来、神永学さんが十年以上にわたって書き継いできた人気シリーズがついに幕を下ろします。浮雲、土方歳三ひじかたとしぞう、徳川慶喜よしのぶ。大きな時代のうねりに翻弄されながらも、自分らしく生きようとあがく若者たちを待ち受ける運命とは? 浮雲出生の秘密も明かされるシリーズ堂々の完結編『ぬえ咆哮ほうこう 浮雲心霊奇譚』について、神永さんにたっぷり語っていただきました。

聞き手・構成=朝宮運河/撮影=山口真由子

京都取材で出合った、シリーズ完結編の舞台

──まずは単刀直入にうかがいますが、「浮雲心霊奇譚」シリーズはこの『鵼の咆哮』で完結なのでしょうか。

 これで一区切りですね。今回、浮雲たちが京都に到着して、過去のさまざまな因縁にもひとつの決着がつく。その先を書くこともできるんですが、ここでシリーズを終わらせるのがいいだろうと前作の時点で思っていました。

──自らの過去と向きあうため、江戸を旅立って京都を目指していた浮雲とその仲間たち。シリーズ最終巻の舞台が京都になることは、あらかじめ決まっていたんですね。

 はい。ただどういう展開にするかは決めていなくて、とりあえず現地に行ってみましょうと一年半前の冬、担当編集さんと京都取材に出かけました。舞台にふさわしい場所を探してひたすら歩き回って、午前中だけで二万歩も移動したんですけど(笑)、山科やましな毘沙門堂びしゃもんどうというお寺に出合って「ここだ」と思いました。山の中にあるお寺の雰囲気も良かったですし、どこから見てもこちらを睨んでいるように見える「八方睨みの龍」の天井画やトリックアートのような障壁画もあって、ミステリー的にもいろんなことができそうな舞台だったんです。毘沙門堂を歩いているうちに、最終巻の構想はほぼ固まりました。当初は京都の市街地も巡る予定だったんですが、毘沙門堂が物語のモデルとしてあまりにイメージどおりの場所だったし、市街地まで書くとまた内容が変わってくるので、山科のお寺を主な舞台にすることにしました。

──これまで行く先々で、妖怪や幽霊にまつわる事件を解決してきた浮雲ら一行。『鵼の咆哮』第一話の「赤狸」では京都からほど近い山の中で、地主の家から赤ん坊がさらわれるという事件に遭遇します。犯人は山に潜む妖怪・赤狸なのか? 事件の背後には名家の跡取り問題が絡んでいることが、次第に分かってきます。

 家を絶やさないように跡取りを生ませるとか、次男より長男を大事にするとか、そういう意識は現代でもまだ残っていますよね。田舎の方では特に。僕の地元の山梨には、無尽むじんという古くから続いている風習があるんです。地域の住民でお金を出し合って、困っている人がいたら渡すんですよ。助け合いのシステムなんですが、うがった見方をすると特定の誰かが儲かることをよしとしないシステムともいえる。あと僕もしばらく癖が抜けなかったんですが、地元では家に鍵をかけないんです。かけると怒られるんですよ、近所を信用していないのかって。江戸時代にはそういう風潮がさらに強かったでしょうし、現代にも通じる事件なのかなと思います。

──事件解決のために奔走するのが、途中から旅の仲間に加わった遼太郎です。彼のまっすぐな気性が、重苦しくなりがちな物語を明るいものにしていますね。

 時代小説って今の時代といかにコネクトするかが大事じゃないですか。時代考証ももちろん大切なんですが、昔の価値観を現代に繫げる何らかの仕掛けが必要なんです。このシリーズだとファーストシーズンの八十八やそはちがそうだったし、セカンドシーズンでは遼太郎がそのポジションですよね。セカンドシーズンが始まって遼太郎が出てくるまでは、正直難しかったんです。重厚さは増したんですけど、息苦しい感じにもなってしまって。それでセカンドシーズン第二作の『月下の黒龍 浮雲心霊奇譚』から、遼太郎を登場させたという事情がありました。

──初登場時は頼りなかった遼太郎も、浮雲たちと旅を続けるなかで成長していきます。「赤狸」では「遼太郎にとって浮雲は、単なる旅の道連れではない。友だ──」と考えるシーンがあって、とても印象的でした。

『鵼の咆哮』では友情のいろんな形を描きたいという思いがありました。先日、作家仲間と話していて話題に上ったんですが、男性って関係性に名前をつけたがるんですよね。恋人だとか友達だとか。名前をつけて、決まった枠に当てはめようとする傾向がある。でも友達といっても関わり方は一つじゃないよね、ということを最近考えていて。浮雲と遼太郎は似たような宿命を背負わされた友だし、浮雲と土方歳三は古くからお互いをよく知る友。分かり合えない部分が出てきても、そこは変わらない。宿敵である狩野遊山かのうゆうざんにしても、ある意味では浮雲の友なんです。友という言葉に込められた、さまざまなニュアンスを感じながら読んでもらいたいです。

──遼太郎の正体は徳川慶喜。「赤狸」の事件を通して彼は、人が自由に生きられる社会を作る、という使命を悟ることになります。

 実際、彼の働きによって江戸時代が終わり、新しい時代が訪れたわけですから。作中ではそこまで書きませんでしたが、大政奉還などの動きも含めて、その後の遼太郎の生き方を想像してもらえればと思います。

衝動のままに生きる、土方歳三の危うさ

──第二話「画虎」は浮雲が子供時代を過ごした寺・持国堂じごくどうでの事件が扱われています。赤狸の事件で浮雲と遼太郎が出かけている最中、寺に残った土方歳三と宗次郎が謎解きに当たることになります。

 浮雲たちがひとつの事件を解決している裏側で、土方メインの事件が並行して起こるという構成は、京都取材の段階で浮かんでいました。やっぱり持国堂のモデルになった毘沙門堂にかなり助けられた部分があって、ここなら何が起こっても不思議じゃないという気がしたんです。それで隠し部屋を作ったり、作中の時間軸をずらしたり、ミステリー的なお遊びをたくさん試すことができました。結構複雑な話なんですけど、まったく悩まずに書けた気がします。

──今回は現地取材がかなり役に立ったんですね。

 大きかったですね。頭の中にイメージができあがっているので、そこからさらに深く一歩踏み込めた気がします。時代ものは資料を読み込んで、空気感を摑み取るところから始めるんですが、今回はその必要がありませんでした。

──かんぬきのかかった部屋の中で、血に染まって死んでいた寺の小僧。やがて不可解な事件の裏側に、僧侶と小僧たちの秘められた関係が浮かび上がってきます。

 理屈ではどうにもならない感情、自分では抑えきれない衝動のようなものが、今回ひとつのテーマになっています。「画虎」は特にそうですね。ある登場人物は僧侶に抱かれるのはいかがなものかと思いながらも、その関係に溺れてしまう。良い悪いではなく、そういう感情を抱いてしまうのも人間の姿だと思います。ちなみに日本では伝統的に男色文化があって、武家や僧侶の世界では男性同士が愛し合うのも珍しくはなかったんですよ。

──抑えられないといえば、「人を殺す理由がないのに、殺したいという願望を持つ」土方もそうですね。今回、彼の殺人衝動がかなりクローズアップされています。

 僕としてはそこが「画虎」で一番書きたかった部分です。これまで理性でコントロールしていた部分が抑えきれなくなって〝歪み〟に足を踏み入れていく。のちの土方の人生を考えると、こういう心の変化があってもおかしくはないんです。新選組って敵よりも味方を斬った数の方が多いらしいですけど、とにかく「鬼の副長」となった土方は人を殺しまくっている。歴史的に美化された土方ではなく、衝動に突き動かされて生きる、危うい土方を書きたいと思いました。

──一方の浮雲は、何があっても人の命は奪いません。浮雲のこのポリシーは何に由来するのですか。

 過去に辛い目に遭ったというのもありますが、一番は幽霊が見えてしまうからです。普通だったら憎い相手は殺せば目の前からいなくなる。でも浮雲の場合、幽霊となった姿を見続けることになります。命に対する概念が、一般人とは異なっているんですよ。死者の魂が見えるというのは「心霊探偵八雲」シリーズの八雲も同じなんですが、彼が人の命を奪うような機会に遭遇することはほとんどない。でも浮雲の生きている江戸時代は、刀で斬り合いになることも多い。そんな中、相手を殺さないという立場を貫くことは、並大抵のことではないんですが、そこは最後まで貫き通したいと思っていました。

許容できない部分がありながら、
それでも友でいられるか

──第三話「邪蛇」と最終話の「猿」では、朝廷にくみする陰陽師・蘆屋道雪あしやどうせつと、幕府のために働いている呪術師・狩野遊山が揃って登場。最大の危機が訪れるとともに、浮雲と土方の価値観のずれも明らかになりますね。

 僕が三話目、四話目を通して書きたかったのは、土方の本性を知った浮雲が、その事実をどう消化するのかという部分です。他人の命を躊躇ちゅうちょなく奪う土方を見て、浮雲は深いショックを受ける。友である土方だからこそ、浮雲は自分の理想を託していたところがあったんですが、それが裏切られてしまうんです。これまでは浮雲の葛藤をそこまで描いてこなかったので、最後に思いっきり揺らしたかったというのはありますね。許容できない部分がありながら、それでも友でいられるのかというテーマは、土方という実在の人物だからこそ掘り下げられたものかもしれません。

──土方はシリーズの最後まで、殺人衝動をなくすことがない。史実に基づいているからかもしれませんが、こういうキャラクターは神永作品では珍しい気がします。

 そうですよね。先日ある地下アイドルとコラボするという仕事があったんですが、その時に「神永さんの作品はすべてのキャラクターに芯が通っている。だから友達にはなれない」と言われたんです。こんなにまっすぐ生きられると、近くにいて苦しくなるって。その言葉がすごく衝撃でした。確かに世の中にはまっすぐ生きたくても生きられない人もいるし、間違っていると分かっていても、そこから抜け出せない人もいる。それもそうだよなという学びがあって、土方のキャラクターは歪んだままにしたんです。これまでだったら最後は改心して、浮雲と和解するという書き方をしていたかもしれません。若い作家やクリエイターと話すことは、新しい価値観に触れるきっかけになるので、僕にとってとても大切です。

──この巻ではこれまで語られてこなかった、浮雲と狩野遊山の因縁についても初めて触れられています。

 子供時代を一緒に過ごした大切な友ではあるんだけど、ある事件をきっかけにたもとを分かつことになった。今は別々の道を歩んでいますが、それでも友であることには変わりないんです。さっきもちょっと言いましたが、これまでは友情とはこういうもの、と割と枠にはめた書き方をしてきたと思うんです。でも、人間関係ってもっと曖昧な部分があるし、最近はこうあるべきという枠に収まらない関係を書くように意識しています。浮雲と遼太郎、土方、遊山の距離感の違いもまさにそうで、どれが友情のあり方として正しいというものでもないんですよね。心残りがあるとしたら、宗次郎というキャラクターをうまく生かせなかったこと。宗次郎の無邪気さは浮雲の成長にもプラスになったはずなんですが、あくまで遼太郎、土方、遊山の三人にスポットを当てたかったので、詳しく書くことは避けました。遊山の一人語りなども書いてみたかったですけどね。

──シリーズ開始当初は、自らの運命から逃げていた浮雲ですが、本書のクライマックスではついに「いくら逃げたところで、別の人間になれるわけではない。どんなに理不尽であったとしても、人は与えられた生を生きなければならない」と思うようになります。

 これもシリーズを通しての大きなテーマでしたね。今は多様性が叫ばれている時代で、みんな平等に生きられると言われていますが、やっぱり生まれついての特性や才能ってあるんですよ。本当の意味での平等というのは、その差を認めたうえで、それぞれがどう個性を発揮していくかであって、家庭環境や体格、ルックス、才能などに差があるのは当たり前なんです。浮雲は自分が高貴な生まれであることを拒否して生きてきたわけですが、遼太郎や土方と旅したことで、宿命と向きあうことができた。

──朝廷方、幕府方入り乱れての激しいアクションの果てに、静かな余韻のあるラストシーンが訪れます。浮雲や遼太郎、土方、遊山がその後どんな人生を送ったのか、思わず想像してしまいます。

 シリーズが終わった後に、スピンオフを想像したくなるような物語が好きなんですよね。浮雲と八十八を再会させるまで書こうとも考えたのですが、そこは読者に委ねることにしました。京都に着いた浮雲がどんな生き方をし、それが幕末から明治にかけての歴史にどう影響を与えたのか、それもブラックボックスにしておいた方が、余韻が深いものになるんじゃないかと考えました。

作家をしている限り、
学ぶことに終わりはありません

──シリーズ開始は二〇一四年でした。十二年続いたシリーズが完結した今、どんなお気持ちですか。

 確かデビュー十周年のタイミングで始めたんですよね。幸運だったのは歴代の担当編集さんに、温かく最後まで見守ってもらえたこと。途中で何度か担当が交代したんですが、皆さん熱心に向きあってくれて、「小説すばる」での連載も続けられた。ありがたいことだと思っています。

──このシリーズを執筆するために、天然理心流の道場に入門し、剣術を学ばれたんですよね。

 今思い返しても楽しかったですね。剣術は資料が残っていない部分もあって、体感してみないと実際のところは分からない。おかげで時代小説を読んでいても、作者が剣術を学んでいるかどうかが、何となく分かるようになりました(笑)。この経験を生かして、またいつかアクション主体の時代小説を書いてみたいですね。以前のインタビューでも話しましたが、時代小説は現代ミステリーと違って科学捜査がないので、人の言動にスポットを当てられるし、よりダイナミックな物語を生み出すことができる。そこは「浮雲心霊奇譚」を書いていて楽しい部分でしたし、やれることはやり切ったという思いもあります。

──過去のインタビューではもっと努力しなければ、上を目指さなければ、という言葉も聞かれましたが、近年はのびのびと創作に打ち込んでいらっしゃるように感じられます。

 自分をぎりぎりまで追い込む時期は、必要だったとも思うんですよ。作家を長く続けていると、誰だって壁にぶつかるし、懸命にあがかないと壁を乗り越えられない。それを乗り越えた今では、自分の経験を若い人に伝えることも大事かなと思っています。

──TikTokにブックレビュー動画をアップしたり、若い作家たちとフットサルで交流したり、出版業界を盛り上げるような活動もなさっていますね。

 読んで面白かった本をSNSで紹介しているだけなんですけど、人の本を誉め倒していたら、人間関係の輪がどんどん広がって(笑)。誉めるってすごい力があるなと思いました。「浮雲心霊奇譚」じゃないですけど、出版業界にいる人にもそれぞれ役割があって、僕は人と人と繫ぐことができる立場にいると思うんです。だから若い作家にもがんがん絡みに行きますし、今は書評系のインフルエンサーと作家を繫げようともしています。出版業界のためというのもあるけど、何より自分が楽しいですし、創作のモチベーション維持にも繫がるんですよ。僕はデビュー一年目の新人であっても、リスペクトをもって接しますし、作品も真剣に読みます。新しい表現に触れることで、自分の作品に足りない部分を知ることができるし、考え方もアップデートできる。作家をしている限り学ぶべきことが次々に出てきて、シリーズは終わっても、この仕事は一生終わらないなって思っています(笑)。

神永 学

かみなが・まなぶ●1974年山梨県生まれ。
日本映画学校(現日本映画大学)卒。2004年『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』でプロ作家デビュー。「心霊探偵八雲」「心霊探偵八雲 INITIAL FILE」の他に「天命探偵」「怪盗探偵山猫」「確率捜査官 御子柴岳人」「悪魔と呼ばれた男」「殺生伝」「革命のリベリオン」などのシリーズ作品、その他『イノセントブルー 記憶の旅人』『マガツキ』などの著書がある。

『鵼の咆哮 浮雲心霊奇譚』

神永 学 著

10月5日発売・単行本

定価1,925円(税込)

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