青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌

定期購読のお申し込みは こちら
年間12冊1,000円(税・送料込み)Webで簡単申し込み

ご希望の方に見本誌を1冊お届けします
※最新刊の見本は在庫がなくなり次第終了となります。ご了承ください。

今月のエッセイ/本文を読む

岩城けい『Matt』(集英社文庫)
ちゃんとイジメました

[今月のエッセイ]

ちゃんとイジメました

『Matt』をこのたび文庫化(なんと嬉しい響き!)していただけるとのことで、久々に読み返してみました。途中から、以前お目にかかったことのある、翻訳家の金原瑞人さんのお言葉がよみがえってきました。「岩城さんは、登場人物をイジメるのがうまい」。
 ……ううむ。その通りかもしれませぬ。十二歳でオーストラリアに渡った真人まさとも、本作では十七歳の高校生。学園生活を謳歌していたはずが、十年生(高校一年生)に上がるなり、北部準州の州都、ダーウィンからやってきた転校生に目の敵にされます。彼の名はマシューで、真人と同じように「マット」で呼ばれます。もう一人のマットのせいで、真人は自転車にイタズラされるわ、大火傷するわ、入院するわ、そのあと取っ組み合いの大ゲンカのうえ謹慎処分。さらにプライベートでも「めんどくさい」ことが多く、家族は離散、家計も火の車、父親は家で飲んだくれている、その後ろには母親以外の女の影、さらに大好きだったガールフレンドとも破局……。
 でも、イジメたくてイジメているのではありません。私自身、個人的には学校生活というのは、若さというギラギラの照明に照らし出された、修羅場みたいなものだと思っています。なぜなら、学校という集団は、会社などの利益を追求するとか、共通の目的で成り立つ団体であるとか、おのおの建前や生活がかかっているなどの損得なしに、同じくらいの年齢の人間がランダムに集められるわけです。それゆえ、個人のブレーキが利きにくい場でもあります。
 本作は、八年前に単行本として刊行していただきました。当時は「内容がキツい」「異国における日本人」「特殊な立場」といったご感想が多かったのですが、国内外とも急速に状況は変わりつつあります。「ガイコクジン」が溢れている現在の日本も、真人をとり囲む状況に近づきつつあるように感じるのは作者だけでしょうか。
 あえて、一つだけ決定的に違うところを挙げるとするなら、この物語を読むとき、真人という主人公は日本人ですが、現地では「ガイコクジン」であるということです。そこへ、もう一人のマット(現地の人)の視点を交えることで、「日本人」の隠れた顔が見えてきます。
 今、「多様性」という言葉があちこちで聞かれます。移民で成り立つ国に三十年以上いると、多様性とは決してなんでもアリのことではなく、異なる小さな細胞の集大成だと感じることがあります。例えば人体のように、唯一無二の細胞が臓器や血管となり、心身ともに快適に活動できるかどうかは、そうした目に見えない細胞一つ一つの出来にかかっているのかもしれません。
『Matt』では、日本生まれの子、移民一・五世である真人が、そうした名もなき細胞の一つであり、やがて、一つの国、移住先である英語圏での生き残りの手段の一つとして、英語名「マット」を名乗るようになります。それは愛称でもありますが、本人の意思によるものではありません。外部の圧力による改名はアイデンティティーを根こそぎ奪う行為でもあります。そこに、苦しみや葛藤が伴わないはずはありません。
 ということで、ちゃんとイジメました。しっかりと念入りに。それまでつけっぱなしだったギラギラの照明も、真人がパスポートを切り刻んだ辺りで、一瞬、真っ暗になります。しかし、豆電球を残してございます。わずかでも光を求め、明るい方へ向かいながら迷える力を発揮するのが人間だと信じております。
 先に、学校は修羅場と申し上げましたが、その半分は楽しい修羅場でもあります。単行本ではそこのところが書けず、残念に思っておりました。そこで文庫版では、現地のハイスクールのハイライトのひとつ「デビュタント」「ソーシャル」または「フォーマル」と呼ばれるアクティビティを題材に、書き下ろし短編を収録させていただきました。
「デビュタント・ボール」とは、英国領であったオーストラリアで、十代後半の新成人が初めて社交界デビューをする際に行なわれた、社交ダンスでお披露目する習慣のことです。旧式のクラシカルなものは、今ではすっかり廃れてしまいましたが、現在は、多くのハイスクールなどで簡略化されたものが催されています。パートナー選びやルールも各学校によって様々ですが、男子女子ともに、胸ドキドキのイベントであることには間違いありません。
 熟女たちの間でも、青春時代のいい思い出話として、ときおり話題に上がるこのイベントを、いつか書いてみたいと願っていました。娘には十一年生になったとき、母親の独断により参加させました。手始めにドレス選び、週に一度のダンスレッスン、そして当日はヘアサロン、ネイルサロン、メイクサロンをハシゴし、満面の笑みで踊る娘を含め、イベント全体を目を皿のようにして見物しました。
 最後になりましたが、このたびは文庫化していただいて大変光栄です。書き下ろし短編も、本編ともども、気軽にお目通しいただければと願っております。

岩城けい

いわき・けい●作家。1971年大阪府生まれ。
大学卒業後、単身オーストラリアへ渡る。2013年「さようなら、オレンジ」で第29回太宰治賞を受賞し、デビュー。同作で第8回大江健三郎賞も受賞。他の著書に『Masato』(坪田譲治文学賞)『ジャパン・トリップ』『サンクチュアリ』『サウンド・ポスト』『M』等がある。

『Matt』

岩城けい 著

集英社文庫・発売中

定価792円(税込)

購入する

TOPページへ戻る