[本を読む]
僕も私も「居場所」がほしい
私の胸には「みんな居場所がほしいのだと思います」という言葉が刺さった。著者が「居場所」という表現によって念頭に置いているのは基本的に物理的な場である。ただ私は自分の専門分野である倫理学に引きつけて、個人ができる生き方のレベルで、精神的な「居場所」という側面にスポットライトを当ててみたい。
それは必ずしも著者の真意から逸れるものではない。そのことは先の引用文の直前に言及されている、料理人から褒められ、必要とされる言葉を聞いたことがきっかけとなって自信が芽生えた少年のエピソードからも窺える。
この少年に限らず、今の日本は画一的な価値観に馴染めない子供たちで溢れている。画一的な価値観とは、例えば、偏差値の高い大学に入り、安定した企業に就職すべきといった価値観である。「社会がまるで強迫性障害」に
また著者は冒頭において以下のように告げている。
「本書を読むことで、これらの活動に直接的にかかわれなくても、ひとりの大人として〔中略〕自分がどんな姿勢や心持ちで日々を暮らし社会とかかわればいいのかが見えてくるはず」
私はここにひとつの形を示してみたい。私の両親、特に父親は、世間一般の価値観や結果に囚われない人だった。よく父は私にどのような考えのもとで行動したのかを問うた。仮に結果が伴わなくとも、しっかりとした考えにもとづいていれば、その点を評価してくれた。それによって私は「(結果が伴うかどうか分からないが)自分にできることは頑張ろう」「しっかり考えたのであれば(結果が伴わなくても)父は認めてくれる」と前向きになれた。つまりそれが私の「居場所」となったのである。
本書を読み終えたとき、はたしてあなたにはどのような社会との関わり合いの形が見えてくるだろうか。
秋元康隆
あきもと・やすたか●倫理学者





