[今月のエッセイ]
海苔のこと、餅のこと
わが家の食卓には手巻き寿司がよく登場する。寿司の具さえ切れば簡単に準備できるからだ。三十年以上も使っている直径三十センチ余の木製の寿司桶があり、炊きたてのご飯を桶に広げ、寿司酢を混ぜて冷ます。具は
なぜ海苔の話かというと、十月に刊行予定の小説『もち街道 小僧を追って伊勢参り!』の登場人物たちが江戸・大森の海苔問屋の人々だからだ。江戸時代の海苔作りや問屋の仕事などをあれこれと調べているうちに、ますます海苔にこだわりはじめた。
小説の下調べのため、東京都大田区にある「大森 海苔のふるさと館」を訪問した。大森の海では昭和三十八年まで海苔の養殖が行われていたそうだ。海苔の摘み取りに使われた舟が再現されており、小屋で海苔作りをする等身大の人形まである。海で海苔を摘み取り、海辺で細かく切って天日に干して板海苔になるまでの過程がよくわかる。海苔作り自体は大変な作業だが、江戸時代に海苔に携わっていた人々は、案外と人生を楽しんでいたのではないかと『江戸名所図会』にある「浅草海苔」の絵を見て、そう感じた。名所図会には大森・品川あたりの海苔作りの様子が描かれているのだが、どこか
もちろん苦しく大変なこともあっただろう。海苔職人に限らず、毎日同じ仕事を同じ人間関係の中で続けていくうちに、壁にぶちあたって塞ぎ込み、人生を見つめ直すこともあったはずだ。行き詰まった人生から逃げたい気持ちと、江戸時代に流行した伊勢参りとが結びついていたような気がしている。親や店の
わたしも小説を書いている間に、二度、伊勢へ行った。名古屋からだと近鉄やJRに乗って二時間程度で行ける。
伊勢で欠かせないものは赤福餅だ。内宮前のおはらい町に本店がある。創業三百年をゆうに超える老舗で、今も多くの人で賑わっている。やわらかい赤福餅二個とたっぷりのお茶が、円形の木のお盆にのって出される。餅の上を、なめらかなこし餡が覆っている。店は五十鈴川沿いに建っており、縁側から川の流れを眺めることができる。小説の中では、海苔問屋の女将と番頭が、題名のとおり小僧を追って伊勢参りをし、この赤福餅を味わう場面があるのだが、わたしもまた主人公の気持ちを想像しつつ赤福餅を味わってきた。
江戸時代の人たちの旅は、現代人には想像もつかぬほど過酷だったかもしれない。川越しも一苦労だし、関所も通らねばならない。それだけに旅に出たときの、非日常の新鮮さは、現代の旅とは比べものにならないくらい大きかったのではないか。伊勢参りの旅によって、物の考え方や価値観まで変わってしまったこともあったかもしれない。見知らぬ土地の名物も、心に効いただろう。小説の中で、小僧を追って伊勢参りに出た登場人物たちも新しい人生を踏み出していく。下調べのために伊勢に向かったわたし自身も大いに気分転換ができた。
西山ガラシャ
にしやま・がらしゃ●作家。1965年愛知県生まれ。
2015年『公方様のお通り抜け』で第7回日経小説大賞を受賞しデビュー。著書に『小説 日本博物館事始め』『おから猫』等がある。





