[連載]
④出産という危機

私は父方の祖父を知らない。一人息子である私の父も、祖父と会ったことすらない。祖父は父が生まれる直前、妊娠中毒症で苦しむ祖母を置き去りにし、どこかへ蒸発してしまったからだ。祖母は私が高校生の時に亡くなったし、父は六十代半ばで認知症となり、ここ十年まともな会話ができていない。それまで私が祖父について聞かされていたのは、「父が中学生の時に北海道で死んだ」との素っ気ない話だけだった。
この前、父に代わって実家の書類を整理していた時である。父の机の引き出しの奥から、我が家の墓にまつわる埋葬記録や、祖父の親族が父宛てに記したであろう文書が出てきた。そこには祖父がどこで死んだかの情報、および墓に入っている親族の死因や死亡年月日などが記載されていた。どうやら祖父は札幌にて内縁の妻と暮らしていたが、四十三歳の若さで頓死したらしい。彼女が死亡手続きをしてくれたおかげで身元が判明し、遺骨がこちらへ引き取られたというわけだ。ただ病死かどうかすら不明で、死因欄には「その他」としか書かれていない。見知らぬ祖父にはなんの感慨もないが、彼の人生に似つかわしい死に様だったのかなと思う。
それはともかく、墓に埋葬された親族九名のうち三名もが赤子だったことに驚いた。いずれも「死胎分娩」と記されているが、二名は妊娠十ヶ月のため死産なのだろう。しかし一名は八ヶ月の胎児なので事情が異なる。その母親──祖父の妹で私の大叔母も赤子と同じ一九三八年八月五日に死亡していた。死因は「心臓弁膜症・急性腎臓炎」。つまり祖母と同じ妊娠中毒症、今でいう妊娠高血圧症候群だ。祖母と違い彼女は助からず、その遺体から胎児が摘出されたことになる。
そこで私は思った。世が世なら大叔母は「ウブメ」に化けていたのかもしれない、と。
ウブメ(産女)とは、妊娠中あるいは難産で死んだ女性の妖怪/幽霊だ。一般的には白装束の腰から下を血で濡らし、赤子を抱いた女としてイメージされる。
ウブメへの怖れを端的に表しているのが、「身二つ」とも称される「胎児分離」の習俗だ。妊娠中の女性が亡くなった場合、妊婦の腹を裂いて胎児を取り出さなければならない。腹に胎児を残したまま葬れば、母が化けて出ると信じられていたのである。『日本産育習俗資料集成』には胎児分離について数多くの報告例があり、おそらく昭和初期まではこの習俗が各地に残っていたと推察できる。例えば熊本県では「妊婦が死亡すれば、死後、腹中から胎児を出す風(原文ママ)がある。もし出さなければ幽霊となって子抱かせに来るといわれている。それで子供たちはその墓の付近を恐れている」。
腹の切開では、鎌を通常とは逆の左手に持って裂くことが多い。切開できない場合は胎児になぞらえた藁人形を遺体に添え、身二つの分離と見なした。こうした呪術的行為により、妊婦霊の出現を阻止しようとしたのだ。
戦後の一九五〇年にも胎児分離習俗の事例が報告されている。福島県会津地方のM村にて、妊娠十ヶ月の妊婦が妊娠中毒症により死亡した。お腹にいたのは双子で、婚外交渉による私生児だった。親族たちは彼女の霊が「必ず化けて七年間は、この家の棟にまつわりつくに相違ない」と怖れ、医師に遺体解剖を依頼。その体から双子の胎児を取り出したのだ。いちおう死体損壊罪にあたる犯罪行為なのだが、当地の信仰習俗への理解が示され不起訴となった。一部では有名な「死胎分離埋葬事件」である。
二〇〇〇年に追跡取材を行った民俗学者の安井眞奈美によれば、当時、M村は戦前戦後の発電所建設など、周辺と比較して発展的かつ開けたエリアとなっていた。当該女性の妊娠が、日雇いの外国人労働者とのあいだにできた私生児だった点からも、旧来の共同体が変化を迎えていた状況がわかる。「家の棟にまつわりつく」という遺族の恐怖、家への祟りというウブメらしからぬ性質は、こうした背景があってこそ語られた言説だろう。共同体側からすれば特殊な恋愛関係を持ち、その結果としての妊娠により亡くなってしまった女性。彼女の死に対し、遺族は自分たちの家への悪影響を怖れたのではないか。安井は次のように指摘する。「つまりイエを存続させようとするイエの論理が、イエに化けて出る産女を出現させていた」「怨念を持つ「母親」の身体がきわめて危険だと考えたからこそ、彼らはわざわざ土地の慣習に従って割腹したのであった」(『怪異と身体の民俗学』)。
私の大叔母は現在の墓へ改葬されるまで、どこかの寺に土葬されていた。遺体から出された子は「私生男子」と記された、父親不明の子である。吉田家の人々もまた、身二つにせねば大叔母が祟ると怖れ、胎児を分離したのかもしれない。
産褥死にまつわる怪談を、チネさんという女性から聞いた。彼女の曾祖母の体験談で、家庭内では「たくじの母」というタイトルが付けられているそうだ。また曾祖母は「ばっぱ」と呼ばれていたので、ここでもそれに倣っておこう。
ばっぱは秋田県横手の林檎農家へと嫁入りした。彼女の妹も、七キロメートルほど離れた家に後妻として嫁いでいた。しかし妹の結婚生活は一年で終わりを告げる。男児を産んだ直後、大量出血により命を落としたのだ。「たくじ」と名付けられた赤ん坊は、伯母であるばっぱが引き取ることになった。ばっぱはその甥を自分の子と分け隔てなく育てていたらしい。
ある夜のこと。子どもたちと川の字で寝ていたばっぱが、ふいに目覚めて身を起こした。開け放たれた縁側の向こうでは、満月の光が田舎道を照らしている。そのまっすぐ延びた道から、ゆらゆらとした足取りで向かってくる人影が見えた。
月明りにぼんやり浮かんだのは、死んだ妹の姿だった。
あっと驚いた瞬間、妹が道の上から消えた。どこへいったのかと視線を動かすと、見上げた先にその顔があった。
いつのまにか妹は縁側の端にいて、板の入っていない欄間ごしに、こちらを覗きこんでいた。浮かびでもしなければ届かないほどの高い位置だ。しかし首から下の体は
とにかく妹はなにも言わず、ただ布団を並べて寝ている自分たちを、そしてたくじを、じいっと覗き続けていた。
「産んでも育てられなかった子に、未練があったんかねえ」
自分の妹だけんども、それはそれはおっかなかったよ。
曾祖母が語った話を、チネさんは祖母や母から伝え聞いた。ただ「たくじ」の名前の漢字については、家族の誰も知らなかったそうだ。
出産時のリスクは母だけでなく子にもある。生まれたばかりの赤子が危機に晒されるのは、母親にとって非常な恐怖をもたらすだろう。
ミカさんは二十四年前、地元の産院で長男を産んだ。
「ずいぶん古くからある病院で。この時はちょうど建て替え工事中だったせいか、大部屋に八人も入れられたんですよね。母子同室でカーテン仕切りだけという賑やかな病室でした」
長男を無事に出産してから二日目のこと。深夜だというのに、大部屋をカツカツと歩き回る音が響いた。さらに続けて、周りのカーテンが開け閉めされる様子も聞こえてくる。
看護師さんが見回りに来たんだな。そう思っているうち、脇のカーテンが乾いた音とともに開いた。大きな白い帽子とワンピースの白衣を着た女性看護師が、こちらに入ってくる。
目と目が合ったにもかかわらず、看護師は挨拶もなしにベッドへ近づき、昨日生まれたばかりのミカさんの赤ん坊をひょいと抱きかかえた。その様子がひどく不穏に感じられ、止めようとしたのだが手足に力が入らない。すると看護師は腕の中の赤ん坊を見つめながら、無機質な声でこう呟いたのである。
「この子にしようかな」
品定めするかのように、女の目が赤ん坊をねめまわす。
「やめて! その子から離れて! 出ていって!」
そう叫んだつもりだが声は出ず、体もいっさい動かない。今にも我が子を連れていこうとする女に向かって、とにかく「離れて、離れて」と念じることしかできなかった。
しばらくすると、女は赤ん坊をベッドに戻し、カーテンの向こうへ去っていった。身じろぎもできず耳を澄ましていると、靴音とカーテンの開閉音が隣のベッドへ、そのまた隣へと、部屋の奥に向かって移動していった。
翌日、朝の当番の看護師に、夜中に誰かが巡回したのかと尋ねたところ。
「そんな時間に見回りなんてしません」と答えた看護師は、しかし直後に神妙な顔つきになり、こちらへ問いかけてきた。
「……どんな格好でしたか?」
変な質問だなと訝しみつつ、昨夜見た女の姿を伝える。
「あのね、私たちは白衣帽なんてつけないし、ナース服もパンツスタイルでしょう。慣れない母親業で夢を見たのよ」
そう言い残し、看護師は病室を出ていった。
確かに、あの格好はやけに前時代的だった。それこそ戦時中の写真に写っている看護師と、よく似ていたような。
「でも夢だって決めつけるなら、なんでいきなり服装を問いただしてきたのか……。歴史の古い病院なので、これまでも似たような報告が続いていたのかもしれません」
そこは戦前からずっと地域の出産を支え続けていた病院だった。ただし今から十年前、無資格の医師による中絶手術で患者が死亡する医療事故が発生。責任を問われるかたちで翌年に廃院となり、現在その土地には商業ビルが建っている。
また、これは考えすぎだとも思うのだが。
「あの看護師を見た翌日、同室にいた別の赤ちゃんがスクリーニング検査を受けたんです」
結果、その赤ん坊に聴力がないことが判明した。自分たちよりも病室の奥にいた母子である。
「あの時、古い格好の看護師は、私たちの奥にいた赤ちゃんを『選んだ』んじゃないか……。もし私の子が選ばれていたら、また違う結果になっていたのかもしれない、って」
ミカさんはどうしても、そんな想像を巡らせてしまうのだ。
現代であっても、赤子が無事に生まれてくるとは限らない。こんな話も聞いた。
長男はたいへんな難産だったんです、とヨシコさんは語る。
予定日を過ぎても生まれる兆候がなく、陣痛促進剤を使用したが効果なし。ついには胎児が仮死状態になってしまい、帝王切開での出産となった。破水した際に羊水が汚染されたため、子どもの体は緑に変色し、呼吸機能も低下していた。そのまま保育器管理となったのは言うまでもない。
「赤ちゃんが連れていかれた時は、私のせいでこんなことになってしまったのだと気が気ではありませんでした」
息子が部屋にいないからと、夫はすぐに帰宅してしまった。ヨシコさんは一人きりの病室で、赤ちゃんに会いたいとひたすら泣き続けていた。
すると突然、廊下の外が騒がしくなった。泣き
ただでさえ憔悴しきっているヨシコさんの心が、さらなる不安でざわめいた。枕に顔をうずめて耳を塞いでいるうち、ようやく眠りにつくことができた。
次に目覚めると、院内はすっかり消灯され、しんとした静寂に包まれていた。もう深夜になったのだろうと思っているうち、足元に不可解な重みを感じた。
ぺたり、ぺたり。湿った音とともに、なにか小さなものが布団の上を移動している。
頭を起こすと、ベッドの端に赤黒い塊が見えた。血だらけの小さな人型のものが、右から左へと這いずっている。
その首には、細長い紐のようなものが巻かれていた。こちらの視線に気づいたのか、それが顔を向けてきた。互いの目と目が合ったところで、かすかな声が発せられた。
──んまー。
紛れもない、新生児の泣き声だった。その瞬間、ヨシコさんは自分の子が死んでしまったのだと確信した。
「ごめんね、ごめんね」言葉とともに涙があふれる。
「ママがちゃんと産んであげられなかった。本当に、本当にごめんね」
最後にママに抱きしめさせて。そう告げると、赤黒い子は足元からこちらの胸へ這い上がってきた。その小さな体に両手を添え、そっと撫でまわしているうちに意識が途切れた。
いつのまにか朝になっていた。体を起こすと、胸のまわりがやけに冷たく感じられた。あふれ出た母乳で、入院着がびしょびしょに濡れていたのだ。
とにかく院長のもとへ急ぎ、息子の安否を確認する。
「元気だよ、今日には母子同室になれるからね」
良い意味で予想外の回答に、ヨシコさんは診察室の椅子にへたり込むほど安堵した。ようやく落ち着いてから、昨晩の騒ぎはなんだったのかと質問してみた。
「初診の妊婦さんが飛び込みで来たんだよ。在日の外国人で、いろいろと事情があったんだろうけど」
日本語を話せなかったため、ことの詳細はわからない。おそらく医師にかからないまま自宅出産を試みたが、あまりの難産に助けを求めてきたのかと思われる。
胎児の首には、
そして母親は子の遺体の引き取りを拒否した。駆けつけた家族との話し合いの末、世話役である親戚が遺体を引き受け、埋葬するという結末になったそうだ。
「人は簡単に母親になれるけど、母親になるのは簡単じゃないからね」
院長が独り言のように呟いた。ヨシコさんはなにも答えず、昨夜見た光景をぼんやりと思い浮かべた。
あの赤ちゃんは、この世に生まれてすぐ命を落としてしまったけれど、最後にお母さんを求めて、私のところに来たのかもしれない。
早朝の診察室で、二人は黙りこくったまま、どこかあらぬほうを見つめ続けていた。
出産は「生」の究極的行為でありつつ、常に「死」の危険と隣り合わせになっている。妊娠出産に伴う死者であるウブメとは、生と死とがメビウスの輪のように繫がった存在で、だからこそとても怖ろしい。私たちはどこからきてどこへゆくのか。いつもは考えないようにしているその問いかけが、ウブメによって明るみに出てしまうからだ。
私の祖父も、恐怖に
祖母はあと少しで、父親のない子とともに死んだウブメになるところだった。しかしなんとか父を出産し、そのため私自身も、さらに私の子も、この世に生を受けることとなった。
先日、札幌で仕事をしたついでに、ススキノの南側、中島公園の脇を訪れてみた。祖父が内縁の妻と暮らし、死を遂げたアパートがあった場所である。もちろん当時の建物は跡形もなく、マンションに挟まれた細い道路があるのみだ。ただ、そこに立つ電信柱に「南無阿弥陀仏」とだけ書かれた紙が貼られていたのが、なんだか少しおかしかった。
【参考文献】
『日本産育習俗資料集成』恩賜財団母子愛育会編 第一法規出版
「死胎分離埋葬事件」山口弥一郎、『民間伝承』1953年5月号所収、秋田書店
『怪異と身体の民俗学 異界から出産と子育てを問い直す』安井眞奈美 せりか書房
イラストレーション●市川友章
吉田悠軌
よしだ・ゆうき●1980年東京都出身。怪談、オカルト研究家。
怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集長。実話怪談の取材および収集調査をライフワークとし、執筆活動やメディア出演を行う。著書に『日めくり怪談』『現代怪談考』『ジャパン・ホラーの現在地』(編著)『教養としての名作怪談 日本書紀から小泉八雲まで』『よみがえる「学校の怪談」』(編著)『裏山の怪談』等多数。





