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窪田新之助「みちのく限界病棟」
⑥「アニキ」

[連載]

⑥「アニキ」

「看護師のあいだで人望がない」
 患者同士の殺人事件を隠蔽した罪に問われた精神科医の石山哲(てつ)(六一)は、初公判の前夜、ホテルのラウンジでこんな趣旨のことを漏らしたという。
 誰のことを指しているのかはわからなかった。だが、その言葉が二回目の公判を傍聴しているときに、何度も頭に浮かんできた。弁護側は、みちのく記念病院(青森県八戸(はちのへ)市)の旧体制を批判した。

証言台に立った新院長

 二〇二六年七月一四日に青森地方裁判所(青森市)で開かれた二回目の公判。前回と同じ濃紺のスーツ姿で座っている被告人の前に、弁護側の証人として現われたのは、妻の菜穂だった。哲の兄の石山隆(たかし)(六三)が退いたのち、二〇二五年から、みちのく記念病院の院長と、その運営母体である医療法人杏林会(きょうりんかい)の理事長を務めている。
 菜穂は、黒のパンツスーツに濃紺のシャツという姿で証言台に立った。身長は一六〇センチほどだろうか。背筋をすっと伸ばし、長い黒髪を後ろできっちりと結い、華美な装飾品は身につけていない。身なりにも所作にも無駄がなく、規律を重んじる学校の先生のようだった。
 それは弁護側とのやり取りにもすぐに表われた。 
 最初に問われたのは、なぜ院長に就任したのかについて。菜穂は、必要なことだけをよどみなく答えた。
「隆さんの奥様が院長になるというお話はありましたが、断られました」
 では、なぜ自ら引き受けたのか。
「隆さんと夫の哲が逮捕され、病院の患者さんや職員たちを放置するわけにはいきませんので」
 弁護人が「責任感から、院長に就任したということですね」と念を押すと、菜穂は「はい、そうです」と答えた。
 質問されるときにも、右手にいる弁護人に顔を向けることはない。終始、裁判官をまっすぐ見据えている。その姿からは、この場で自らに求められている振る舞いが、しかと頭に入っていることがうかがえた。
 そんな妻の様子に、哲はやや上目遣いに、じっと視線を注いでいた。初公判で兄の証言を瞬きを繰り返しながら、落ち着かなさそうに見つめていた姿とは、明らかに違った。

対照的な兄弟の評判

 続けて弁護側が尋ねたのは、義兄から引き継いだ病院がどのような組織だったのかについて。菜穂はいきなり、歯に衣着せぬ言い方をした。
「隆さんの“ワンマン体制”で、とても逆らえる雰囲気ではなかったと聞いております」
 のっけから義兄を批判する発言に、私は思わず傍聴席の中央に目をやった。そこには、先ほど菜穂が「院長就任を断った」と話した隆の妻が、大柄な体に地味な色合いの服装で座っていた。ただ、先に判決が出た隆の裁判で証言台に立ったときと同じように、表情は動かなかった。
 私が彼女の様子に気を取られているあいだにも、法廷ではそのまま尋問が続いた。

弁護人「看護師や職員は隆さんに気を遣っていたのですか?」
菜穂「とても気を遣っていました。怒らせないように、びくびくしながら働いていたと聞いております」
弁護人「隆さんの口癖は何ですか?」
菜穂「『お前、誰から給料もらってるんだ』とか、『お前を辞めさすのは簡単なんだぞ』とかです」

 菜穂の証言によると、ある職員は役職者用の駐車スペースに誤って車を止めたことで、別の職員はなぜなのかマスク着用が禁じられていた時期にマスクを着けていたことで、ともに𠮟責された。いずれもその後、退職に追い込まれたという。

弁護人「隆さんに怒られ、給与や賞与が遅配になったこともありましたか?」
菜穂「そういう話もあります」

 夫のよからぬふるまいが暴露されている最中でも、隆の妻は表情を変えなかった。時々視線を落としては、ノートにメモをするくらいだった。
 弁護側は菜穂に、哲の患者側からの評判についても尋ねた。「精神科の患者さんやそのご家族の評判は良くて、今でも『哲先生、どうしてる?』『いつ、帰ってくるの?』『哲先生、かわいそうだ』とおっしゃいます」
 菜穂の証言は、隆と哲の評判の違いを際立たせた。弁護側は菜穂に、院長に就任した後に病院をどう変えたのかも尋ねた。

弁護人「病院で改善した点は?」
菜穂「まず、患者さんやご家族へのインフォームド・コンセントです。内科では、それまで看護師が説明していました。それをやめ、医師が説明するようにしました」

 インフォームド・コンセントと同様、患者が危篤になったり亡くなったりした場合の対応にも、旧弊は残っていたという。

弁護人「患者さんが亡くなった場合の慣例は?」
菜穂「内科では、患者さんが危篤状態になったり亡くなったりしても、院長である隆先生の許可が下りるまで、ご家族へ連絡してはいけなかったそうです」
弁護人「今は?」
菜穂「速やかにご家族へ連絡しています」

 さらに弁護側は、隆のワンマン体制が生まれた背景について質問した。
「たぶん部長や課長に裁量権がなく、すべて隆先生の判断を仰ぐ仕組みになっていました。それでは間違いが起きやすくなりますし、結果として隆さんのワンマン体制につながったと思います」
 菜穂は院長に就任後、形骸化していた理事会に外部の有識者を加えた。さらに各部署の管理職へ権限を委ねるよう、規定の改定を進めている。職員からは「ものが言いやすくなった」「風通しが良くなった」という声が寄せられているという。
 弁護側は菜穂の証言を通じて、旧体制では隆一人に権限が集中していたことと、菜穂が就任後にその改革を進めてきたことを示したのだ。

本当は通報すべきだった

 反対尋問が始まった。
 検察側がまず問いただしたのは、菜穂が病院内部の実情をどこから得ていたのかということだった。

検察官「証人は以前は杏林会やみちのく記念病院の運営には関わってなかったですね?」
菜穂「運営には関わっておりませんでした」
検察官「医師としては関わっていた?」
菜穂「はい、医師としては。東京で(筆者注・杏林会の)介護老人保健施設の施設医として働いておりました」
検察官「では、隆さんのワンマン体制や病院の実情は、何をもとに知ったのですか?」
菜穂「私が知ることができたのは、夫の哲さんから聞いたからです」

 哲は当時、週三日ほど東京や横浜など関東地方で勤務していた。菜穂はそのときに会って話したり、それ以外では電話やLINEで病院の様子を伝え聞いていたという。
 検察側は、哲の責任に矛先を向けた。

検察官「被告人も杏林会の理事として、その運営を担っていたわけですね。どうして改善しようとしなかったのでしょう?」
 菜穂は一呼吸置いてから、こう答えた。
「これは私の想像というか推測ですけども、小さい頃から、長男であるお兄さんを立てなさいというふうに、ご両親から言われていたと聞いております」
 検察側は間髪を入れずに追及していく。

検察官「哲さんは、隆さんに意見できる立場だったのではないですか?」
菜穂「時々、隆さんに『おかしいことはおかしい』と進言していたそうです。聞き入れてもらえることもありましたが、多くは隆さんの思い通りになり、自分の意見を押し通すほど強くはなかったのだと思います」

 検察側はさらに、事件当時の哲の判断も追及した。

検察官「なぜ警察へ通報しなかったんですか?」

菜穂「本当は、隆さんの反対を押し切ってでも通報するべきだったと思います。ただ、事の重大さに思考が停止し、あるいは言っても無駄だという無力感から、通報しなかったのではないかと思います」

変わらない兄弟関係

 菜穂への尋問が終わると、被告人質問に移った。
 弁護側は、事件当日の対応や病院での役割について、あらためて哲自身の説明を求めた。哲は、自らにも責任があったことは認めながらも、兄の判断に従う立場だったと繰り返した。
 私は、あらかじめ想定していたと思われるそうしたやり取りを確かめるように聞きながら、哲がたびたび発する一つの言葉に引きつけられていた。
「アニキ」──。
 哲は、隆を「院長」や「理事長」ではなく、「アニキ」と呼んだ。張り詰めた空気が漂うなかで、その言葉だけが浮いていた。哲もそれを意識したのか、ときに「兄」と言い換えた。
 その呼び方には、病院での役職だけでは説明できない、兄と弟という関係がにじんでいた。それは、事件当日の判断にも表れていた。
「こう言うと責任逃れみたいですけど……。私は外来をずっと診察していましたので、自分の仕事の範疇じゃないと思いました。普段から骨折事故などの対応は兄が処理していましたので、今回も兄の仕事の範疇だと思いました」
 亡くなった被害者の遺族に対する虚偽の説明について、哲は異議を唱えたものの、それ以上に兄を説得することはしなかった。死因を肺炎とする方針にも、反対しなかった。
 事件の根本的な原因について問われると、菜穂と同じように哲も、病院全体のコンプライアンスとガバナンスの欠如を挙げた。
「法律を守る意識が甘かったんだと思います」
 さらに哲は、自分が実際には出席していない会議でも、出席者として名前だけが使われていることがあったと証言した。病院運営について意見しても、受け入れられないことが多かったという。
 旧体制の病院について、哲はこう言い切った。
「兄が“支配”していました」
 菜穂が「ワンマン体制」と表現した病院内の実態を、哲は「支配」という、より強い言葉で言い表した。そして、兄に従ってきた自分をこう振り返った。
「当時は、兄であり、上司ですから、支えるのは私の宿命だと思ってやっておりました。ただ、これだけ社会に大きな問題を起こし、間違っていると思います」
「宿命」という言葉で自らを縛ってきた考え方を、哲はいま否定していた。
 弁護側は、哲自身のこれからについても尋ねた。

弁護人「有罪判決を受ければ、医道審議会(※1)の行政処分を受けます。どんな処分になると思いますか?」
哲「医師免許停止だと思います」
弁護人「精神保健指定医の資格はどうなりますか?」
哲「取り消しとなります」
弁護人「そうなると、医師として働けなくなりますね」
哲「はい」

 医師としての将来をめぐり、どこか沈んだ空気が漂い始めた直後のことだった。九カ月に及んだ拘置所での日々について問われると、哲は感極まったのか、言葉を詰まらせた。
「仕事は忙しかったので、拘置所では久しぶりにゆっくり時間を取ることができました。所長が毎日、休みの日まで私服で見回りに来る姿を見ました。これが責任ある立場のやる仕事なんだと感じました」

 検察側の反対尋問に移った。
 検察官は、兄に従うしかなかったという説明を踏まえたうえで、なお哲自身が警察へ通報することはできたのではないかと問いただした。
 哲は静かに答えた。
「正直言って、アニキをさしおいて、私が通報することはできなかったと思います。アニキを説得して、通報させなければいけなかったんだと思います」
 兄という存在の前では、自ら動くことができなかった。哲は最後までそう主張した。

残った違和感

 閉廷後も違和感が募り、しばらく消えることはなかった。
 ワンマン体制、兄弟の評判の違い、支配、震える声──。どれも、すっきりとは腑に落ちなかった。というのも、元看護師がみちのく記念病院で働いていた当時のことを、どこか怯(おび)えを見せながら私に語っていたからだ。
「隆も哲も、どっちも怖いですよ」
 さらに現役の看護師は、兄弟の違いをこう表現した。
「隆はねちねちと追い込んでくるタイプ。哲は瞬間的に爆発するタイプ」
 同様の評判は、二人を知る地元の経営者や同級生など、病院の外からも聞こえてきた。
 そんな証言が頭にあったからだろうか。公判後に裁判所で目にした光景に、さらに引っかかりを覚えた。
 菜穂と弁護士は哲とともに、法廷のある二階からエレベーターで一階へ降りた。だが、玄関前まで来ると二人は哲をその場に残し、透明な自動扉を抜けて外へ出た。一〇メートルほど先の表通りに待たせてあったタクシーに歩み寄り、運転手に声を掛けて後部座席のドアを開けさせる。そして、そろって玄関のほうを振り返った。
 哲はその合図を待ってから、ゆっくりと玄関を出た。その先で待ち構えていた記者たちのカメラの、シャッターが一斉に切られた。哲は気にする素振りを見せず、タクシーに向かった。
 哲と弁護士は後部座席に乗り込んだ。菜穂はそれを確認してから、助手席に座った。
 奇妙な光景だった。いまや病院を率いているのは菜穂であり、哲にはすでに役職すらないのだから。
 公判のあと、病院関係者は私の取材にこう語った。
「病院内では、隆より哲の実権が強かったと言われています。菜穂が理事長になったのは、哲が院政を敷くためではないですか」
 病院を「支配」していたのは本当に隆だったのだろうか。哲はただ兄に従っただけだったのだろうか──。
 事件の真相にたどり着くには、やはり、杏林会を巨大組織に築き上げた石山家の歴史を遡る必要がある。

※1 事件や不正などを起こした医師の行政処分を審議する厚生労働省の審議会。

表紙写真●筆者提供

窪田新之助

くぼた・しんのすけ●ノンフィクション作家。
2004年JAグループの日本農業新聞に入社。国内外で農政や農業生産の現場を取材し、2012年よりフリーに。著書に『データ農業が日本を救う』『農協の闇』、共著に『誰が農業を殺すのか』『人口減少時代の農業と食』など。『対馬の海に沈む』で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞した。

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