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新連載/本文を読む

関口 尚「墜(お)ちよ、芭蕉」①

[新連載]

「墜ちよ、芭蕉」①

近江国は国分山に建つ草庵にて、
弟子のひとりが芭蕉を訪ねるが──
蕉門十哲が語る晩年の松尾芭蕉とは!?


イラストレーション●Minoru

 うららかな卯月(うづき)の午後、日の光を背負って山道をのぼった。近江国(おうみのくに)の国分山(こくぶやま)だ。かつて国分寺(こくぶんじ)があったことをその名が伝えてくる。
 山道は茂みを分け入って続き、三度ばかり曲がり、二百歩ほどで八幡宮へたどり着く。参詣者(さんけいしゃ)と出会ったことはないが、社殿は立派で神々しい。
 傍らにみすぼらしい草庵(そうあん)が建っている。茅葺(かやぶき)屋根は腐り、土壁は剝がれ落ち、庭はすすきやよもぎや笹で埋め尽くされている。よくもこんな狐狸(こり)ですら素通りする草の戸に住んでいるものだ。しかも好んで住んでいるのだから恐れ入る。
 草庵の名は幻住庵(げんじゅうあん)と教わった。破れ戸に向かって声を張る。
「芭蕉(ばしょう)先生、いらっしゃいますか」
 しばらく返事を待つ。聞き耳を立てても、かさかさという乾いた笹の音しかしない。まあ、いつものことだ。
 幻住庵を訪ねるのはこれで四度目となる。来るたびに同居したいとお願いしているのだが、にべもなく断られている。薪水(しんすい)の労(ろう)をすべて引き受けると言っているのに、首を縦に振ってくれない。松尾(まつお)芭蕉は頑固者。そう聞いていたが想像以上だった。
 さて、どうしたものか。腕組みをして境内をうろつく。視線を上げて北東を望めば、万葉の時代より鳰(にお)の海と呼ばれた琵琶湖(びわこ)が広がる。湖西には比良(ひら)の高嶺、湖東には富士に似た三上(みかみ)山、手前の湖南には勢田(せた)の長橋が配されている。
 何度眺めても飽きがこない素晴らしい景色だ。ぼろぼろの幻住庵ではあるが、この景色があるからこそ、ここを一時の住まいと定めたのだろう。
「芭蕉先生、芭蕉先生、いらっしゃるのでしょう。ご返事ください」
 再度、呼びかける。
「麓(ふもと)で会った村のご老人が、芭蕉先生は出かけていないからいらっしゃるはず、と言っておりましたよ。居留守はやめてください、芭蕉先生」
 軒を囲む松や躑躅(つつじ)が震えるほどの声を出す。そこでやっとみしみしと床を踏み鳴らす音が聞こえた。
「先生と呼ぶのはよせと言っただろう。翁(おきな)と呼べと」
 ぬっと松尾芭蕉その人が顔を出した。頭を剃(そ)り、墨染めの僧衣といった格好はおれと同じだ。
「翁と名乗るほどの齢ではありませんでしょうに」
 四十七歳と聞いている。おれよりおよそ二十歳の年長だ。せいぜい父親くらいの年齢の人物を、翁と呼ぶのはためらわれる。というより、おかしいではないか。
「門弟はみんな翁と呼んでいる。おまえも入門したのだから、同じように呼べばよい。よいか、盤子(ばんし)。いや、今後の俳号は支考(しこう)だったか」
「支考でお願いいたします」
「まずは中に入れ。それから今日のわたしは風邪っ引きだ。大きな声は頭に響くから静かに話すように」
 翁はじろりと一瞥(いちべつ)をくれると幻住庵に入っていった。わらじを脱いで続く。翁は脇息に寄りかかるようにして畳に腰を落とした。その向かいに座る。
「さっそくですが、翁。わたしをここに置いてください。薪拾いから水汲みまでなんでもやりますから」
 再三にわたって訴えてきた件を持ち出す。翁はあからさまにいやそうな表情を浮かべた。
「身の回りのことは自分でやる。それらは山居での楽しみではないか。松で棚を作り、谷の清水を汲みにいって炊事する。実に楽しい。わたしの楽しみを奪うようなことはやめてもらおうか」
 翁はごろりと手枕で仰向けになると、立て続けにくしゃみを七つも放った。
「大丈夫ですか」
「国分山の雲霧山気(うんむさんき)はことさらに冷えておってな」
「これをどうぞ」
 鼻をかむための小菊紙(こぎくがみ)を渡す。
「助かる」
 翁は盛大に鼻をかみ、小菊紙を丸めた。
「寒気がする。わたしは少しばかり寝るぞ。おまえは勝手にくつろいでおれ」
 そう言うや否や、翁はこと切れるかのようにがくりと眠った。すぐに鼾(いびき)をかき始める。起こしてはいけないから、衣擦れの音をさせないように周囲をそっと見渡す。
 草庵内は簡素を極めている。木曾(きそ)のものらしき檜笠(ひのきがさ)と、越路(こしじ)で贈られたという菅蓑(すがみの)が、柱にかけられている。食事の器はろくにない。部屋の隅では障子が夜具を囲うようにして立てられ、隣間は仏壇のためのひと間となっている。
 江戸で幅を利かせる蕉門(しょうもん)の宗匠(そうしょう)が、このような破茅(はぼう)に住んでいるなんて。多くの門弟を従え、敬われている人間の生活が、これほどまでに質素だなんて。驚きを超えて呆れてしまう。
 ぽかんと口を開けて眠る翁に目を戻す。なんて無防備な人なんだ。おれが入門したのは、たった一か月前のこと。なのにこれほど無警戒なのは、肝が据わっているせいか、考えなしなのか。信用されているせいか、どうせ害はないと安く見られているからか。
 見くびられているなら困る。おれは侮られるのが嫌いだ。それは幼いころからずっとそう。
 美濃(みの)で生まれたおれは、九歳で臨済宗(りんざいしゅう)の大智寺(だいちじ)に雛僧(すうそう)として入った。十一歳のときにはいろは歌を用いて句を作り、周囲から驚かれたものだ。

〈色は葉に出てちりぬる紅葉(もみじ)哉〉

 句作りは誰かに教わったわけではない。伯父が古い俳風の句を作っているのをよく耳にしていて、参考にして作ってみただけだ。それなのに周囲は大騒ぎし、生まれ持っての才覚として抜きん出たものがある、行く末は俳諧の宗匠になるかもしれない、などと喝采を浴びた。
 そう、おれには才能がある。謙遜する気にもならない。
 なにを学んでも人より秀(ひい)で、ゆえに学ぶのがつまらなくなるといった弊害がおまけでついてくる。十一歳のおれは俳諧がひどく容易に思え、老後の楽しみに取っておこう、などとそれ以上の興味を抱かなかった。
 大智寺に入山中、高名な播磨(はりま)の盤珪(ばんけい)禅師の会下(えげ)に入り、参禅に励んだこともあった。盤珪禅は実に面白かった。座禅の際も眠くなったら寝てもかまわない。それがありのままだからだ。説法も多くの人に開かれ、日常のやさしい言葉で行われる「平話説法」といったもの。おれが盤子という俳号を名乗ったのは、あのころの経験が大きい。
 しかしながら江戸での禅法の大会に出向いたとき、講主である高僧と難陳(なんちん)し、負かして大問題となった。その高僧に目を付けられ、才を憎まれ、嫌気が差して十九歳で大智寺を下山した。おれの才能がおれの首を絞めたわけだ。
 下山後は伊勢の山田に隠れ、神道(しんとう)に惹かれて学んだ。その後、孔子(こうし)を学び、老子(ろうし)を学び、医学も学んだ。京に出て漢学を学んだし、和歌も学んだ。しかしどれもおれを満足させなかった。
 仏門も駄目、儒学も駄目、漢学や和歌も駄目。悪いのはおれ自身とわかっている。せっかく学んでも、小賢しい知識で先回りをして飽きてしまう。学べば学ぶほど、得た知識で迷い、そのうち飽きてしまうのだ。結局はさきに進めない。
 ある春の日のことだ。家に飛びこんできた蜂が出られなくなり、窓辺でうろうろと飛んでいた。閉じられた戸板の内側で、ぶんぶん、ぶんぶん、ぶんぶんと緩慢に羽音を鳴らしていた。
 ああ、これはおれだ、と思った。おれは迷って出られなくなり、途方に暮れている春の日の蜂だ。小智(しょうち)と理屈で出口を見失った蜂なのだ。
 おれは自らを誇りながら、同時に自らに飽き飽きしていた。だから自分を持て余した状態で待っていた。なにを待っているかもわからないまま、とにかく待ち続けていたのだ。
 そんな折、耳に届いてきた話があった。
「江戸を発ち、奥州をめぐり、越路を通ってきた俳諧の宗匠が、近江にやってきているらしいぞ」
「漂泊の行脚(あんぎゃ)をしながら、俳諧の新風を探る実践の人らしいぞ」
 俳諧を齧る伊勢山田の友人が、大興奮でおれに報告してきたのだ。
 宗匠であるなら左うちわでのんびりと暮らせるだろうに、なぜ漂泊の旅に出たのだろう。俳諧の一門を構えているならば、その俳風を守っていけばいいだろうに、どうして新風を探る旅をしているのか。
「蕉門を率いる松尾芭蕉桃青(とうせい)というお方さ」
 友人に名を教わったその日から、おれは会ってみたくてたまらなくなった。おれだったら先回りして手を出さない数々を、愚直に推し進めるなんて、いったいどんな人物なのか。
 初対面は元禄三年三月の桃の花が咲き乱れていたころ。近江は膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)にある無名庵(むみょうあん)において。同道してくれたのは、丈草(じょうそう)と乙州(おとくに)という蕉門の門弟たちだ。
 丈草はおれより二、三歳上といったところか。尾張(おわり)出身の僧だそうで、頭をきれいに剃り上げているが、着ている僧衣がよれよれのぼろぼろで、ちぐはぐな印象がある。
 乙州は丈草よりさらに五つほど上だろうか。ここ近江で伝馬役(でんまやく)を務める商人だそうだ。よく言えば実直、悪く言えば面白味のなさそうなやつだった。
「翁に見てもらう句はお持ちになりましたか」
 無名庵にて芭蕉の到着を待っていると、並んで座る丈草にそんなことを尋ねられた。蕉門の門弟一同は、師である芭蕉を翁と呼ぶのだそうだ。
「いや、句など持ってきておりませんが」
「そ、そうですか」
 丈草は虚を突かれたといった顔をした。さらにその向こうに座る乙州が話に加わる。
「入門を望む場合、俳諧の腕前を見てもらうために、句を用意してくる者がほとんどなのですよ」
「なるほど。しかし入門するかどうかは決まっておりません。芭蕉殿が師事するにふさわしい宗匠かどうか、まずは会って判断させていただこうかと」
 乙州の目が真ん丸に変わる。なにをそんなに驚いているのだ。選ぶ権利はこちらにある。それに句を提出して値踏みをされるなんて、まっぴらごめんだ。値踏みする権利だってこちらにある。
「師事すべきですよ」と丈草が微笑(ほほえ)んで誘いをかけてくる。「わたしは三か月前に入門したのですが、翁と俳諧に関して言葉を交わすだけで、心を耕されるような面白さがあります」
「わたしも入門して半年ほどですが、本当によかったと思っておりますよ」と乙州が続く。
 ふたりとも瞳が熱で潤んでいる。どことなく危い。いまのうちに逃げ出したほうがいいだろうか。そんなおれの迷いなどよそに、乙州が丈草を指差して言う。
「こちらの丈草は入門して間もないですが、徳望(とくぼう)が高く門下で期待されているのですよ。翁も大変な賛辞を贈っております。この僧、俳諧の道に進み学べば、人の上に立つまでひと月を超えることはないだろう、と」
「ふうん」
 この冴えない男が蕉門において才覚ありと褒めそやされているわけか。面白くない。もし入門と相成ったら、こいつが当面のあいだ張り合う相手となるのだろう。
 横目で丈草を窺っていると、「よっこいしょ」と言いながら、ひとりの痩せた男が無名庵に上がってきた。上座にどすんと腰を下ろす。
「お待ちしておりました、翁」
 乙州のその言葉で、入ってきた御仁が芭蕉先生とわかった。容姿は想像していたものとだいぶ違った。六百里の奥州の旅路を百五十日かけて行脚したと聞いたから、屈強な体軀を誇っていると思っていたのだ。
 また事前にこんな噂話も仕入れていた。奥州の旅を大垣(おおがき)で終えたとき、藩の家老次席である戸田如水(とだじょすい)の下屋敷へ招かれた。如水は芭蕉先生と出会ったときの印象を、こんなふうにもらしていたという。
「浮世を安く見なし、へつらわず奢(おご)らざる有様なり」
 世間での名利や実利に重きを置かず、家老次席ほどの重役を前にしても媚びることもなく、俳諧の宗匠として驕(おご)り高ぶることもない。なかんずくおれの心に残ったのは、「へつらわず」の一語だ。相手が権力者でも態度を変えることはない。己の信じた道を生きたいように生きている。
 この噂話から、おれが想像する芭蕉先生の姿は豪胆なものになった。目をらんらんと輝かせ、血色がよく、声が通り、有無を言わせず人を従わせる武将のような男。さらに若きころは藤堂(とうどう)藩の藤堂新七郎家に仕えていたと聞き、想像は確信に変わっていった。
 ところがどうだ。いざ会ってみれば、吹けば飛びそうな極めて線の細い男だった。まるで枯れ木のようだ。本当に奥州行脚をしてきたのだろうか。
 医学を少しばかり学んだおれの見立てでは、芭蕉先生は長きにわたって滋養になるものを摂れていないか、摂っても蓄えられない五臓をしていると思われる。血色の悪さがとにかく目立つ。これは相当にまずい。残生はよくて五年。病(やまい)をこじらせた場合は一年ともたないと見るが果たして。
「なんだ、わたしの顔になにかついているか」
「いえ」
 ついじろじろと芭蕉先生を観察してしまっていた。
「入門を望むなら、まずは句を見せてもらおうか」
 芭蕉先生が手のひらを差し出して催促してくる。
「あ、入門はまだ」とまで言ったところで、「わあわあ、そうですよね。判断するための句ですよね」と乙州に大声で遮られた。なんて失礼なやつだ。人が話している途中だというのに。
 乙州はおれをちらちらと見ながら、「ほら、句を。翁に句を」と小声で指図してきた。
「だからさきほど申したではないですか、句など持ってきていないと」
「あれは句の披露が恥ずかしくて言った戯(ざ)れ言(ごと)かと」
「そんなつまらぬ戯れ言を口にする輩(やから)と見られていたのは心外です」
「わ、悪かった。それは謝る。だがいまはともかく翁に句を。ないなら捻り出してもよいぞ。適当でもいいから作っておくれ」
「そんな無茶な」
「なにをごちゃごちゃやっておる」
 芭蕉先生の声にはいら立ちがこもっていた。
「し、しばしお待ちを」
 乙州の額(ひたい)に焦りの汗の玉が浮かぶ。芭蕉先生の目が怒りで三角に吊り上がっていく。体を小さくして黙っていた丈草が、観念したように口を開いた。
「翁、申し訳ないのですが、こちらの者は句を用意してきていないようでして」
「なんだと」
 芭蕉先生の矛先がこちらに向くのがわかった。さきほどまでは枯れ木のようだったのに、不思議と生き生きとしている。一応、謝っておいたほうがよさそうだ。
「申し訳ありません。句を用意してくるものとはつゆ知らず」
「ではいまなにか詠んでみよ。どのくらいの句を詠めるかわからなければ、入門の判断ができかねる」
「それがまた申し訳ないのですが、俳諧をきちんと学んだこともなければ、いままでろくに詠んだこともないのですよ。そしてそもそもなのですが、入門するかどうかも決めておりません」
 乙州と丈草が蒼白となって顔を見合わせていた。芭蕉先生は門弟のふたりを睨み、犬が低く唸(うな)るような声で言う。
「入門の面談とわたしは聞いていたがな。なにがどうなっておる。ではこいつはなにをしにきた」
 芭蕉先生がおれを指差した。乙州が畳に額をこすりつけんばかりに頭を下げ、必死に訴えた。
「越人(えつじん)殿から依頼された話でして、なんとか翁に会わせてやってくれと。俳諧の腕前についてはわたしたちも知らなかったものですから」
 たしかに尾張の越人に依頼した経緯がある。おれの兄が蕉門の越人に伝手(つて)があると知って頼んだのだ。
「どいつもこいつも」
 芭蕉先生がゆらりと立ち上がる。本当に不思議な人だ。いよいよ生気がみなぎってきていた。怒りやいら立ちなどを血の代わりにめぐらせ、それで生きているのではないか、などとあらぬ想像をしてしまう。
「申し訳ございませんでした」
 乙州も丈草も平身低頭だ。もはや額が畳にのめりこんでいる。面白くなってきやがった。ほくそ笑みそうになるのを必死にこらえる。
 芭蕉先生ははらわたが煮えくり返っているようで、体をわななかせていた。ややもするとこれは制裁が行われるかもしれない。蕉門のあるがままの姿を目の当たりにできるかも。
 しかし宗匠が弟子をいたぶる様子を見て悦に入(い)るほど、おれも趣味の悪い人間ではない。助け舟を出すことにした。声を張って切り出す。
「皆無というわけではありませんよ」
 乙州と丈草がおずおずと顔を上げ、芭蕉先生は眉を顰(ひそ)めた。
「もともとわたしは美濃国北野の禅刹(ぜんさつ)、大智寺に雛僧として入山いたしました。しかし宗門に嫌気が差し、十九で下山しました。その際に作った句があります」
 芭蕉先生、乙州、丈草と順々に目を合わせてから、ゆっくりと吟(ぎん)じる。

〈蓮の葉に小便すればお舎利哉〉

 一瞬の間のあと、乙州が手を叩いて大笑いした。
「これはいい。傑作ではないか。仏門をやめてやるといった気概に満ち満ちておる。この無遠慮さ、実に滑稽なり」
 丈草も大いに笑ったが、僧としての立場からたしなめる口調で言ってきた。
「あるべき因果を蔑(ないがし)ろにする邪見ですよ」
 蓮の葉の露は、極楽浄土の蓮の葉の上に往生したいといった願いを込めて使う言葉だ。その露を小便の露としたところに不道徳な面白さがある。小便の露であっても、お釈迦様の遺骨と同じく往生できるといった句だ。
 仏の道の教えでは、よい行いにはよい報(むく)いが訪れ、悪い行いには悪い報いが訪れるとされる。丈草はそうした因果を蔑ろにしているとたしなめてきたわけだ。ただ、笑ってくれているから堅物ではないのだろう。
 おれの一句によって乙州と丈草は救われ、場は和(なご)んだ。これにて一件落着、めでたし、めでたし。そう得意になって芭蕉先生に目を移すと、ただひとり笑っていなかった。むすっとした面持ちで腰を下ろし、乙州と丈草に向かって言った。
「笑って終わりにしていい句か」
 冷ややかな声色で、再び緊張が走る。おれは驚きのあまり、刮目して芭蕉先生を見た。
「ふたりとも滑稽と笑ったが、それでは句の表面を撫でているだけではないか。特に丈草よ」
 名前を出され、丈草がびくりと体を震わせる。面(おもて)を伏せて応じた。
「ぜひご教授していただければ」
「いま吟じられた句は、小便の露も仏舎利も本来は同質と言っているのだ。同じ空(くう)の相(そう)であり、生じることもなければ滅することもなく、汚れるということもなければ清いということもない。寺を出るにあたって、一切は空だという悟りの句を残したつもりなのだろう。どうだ」
 芭蕉先生の鋭い視線がおれに投げかけられる。おれは選ぶ側だ。試す側でもある。そうした強い姿勢で今日は無名庵に乗りこんできた。
 だがおみそれした。いや、本当に申し訳なかった。いままで誰に聞かせても汲み取ってもらえなかった本意を、いともたやすく言い当てられた。さすがは江戸、尾張、近江などに数百の門弟を従える宗匠だ。これが名人というやつか。おれは危うく感泣しかかった。
「まあ、よい。それより伊賀にてこんな句を作ったのだがな」
 感銘を受けて固まるおれを置き去りにし、芭蕉先生はさっさと次の話題に移った。乙州と丈草に向かって吟じる。

〈木のもとに汁も膾(なます)も桜かな〉

 芭蕉先生が「どうであろう」と自信満々で感想を求めた。おれは俳諧を深く勉強していない。それでも不思議な句であることはわかった。
 花見の句だ。句意としては、桜の木の下では、花びらが汁の椀にも膾の椀にも降り注ぎ、みんな桜交じりになってしまう、といったところだろうか。
 なんて平明な句だろう。でも音の響きがよく、詠みこまれている事物の収まりがちょうどよく、言葉の連なりが驚くほどすっと胸に入ってくる。
「語句のつながりのよさ、十七文字内での収まりのよさ、それぞれが気持ちいいくらいですね」と乙州。芭蕉先生が頷く。
「『万葉集』や『古今和歌集』、それから漢詩や謡曲などに典拠を求めることなく離れ、ふっと自由になったように感じられます。桜と汁と膾といった取り合わせが、これまた自由で面白いです」と丈草。
「そうであろう、そうであろう」
 芭蕉先生はご満悦だ。褒められるのが好きと見た。
「禅小僧はどう思う」
 急に芭蕉先生がこちらへ水を向けた。禅小僧とはおれのことのようだ。
「いえ、わたしはさきほども申したように、俳諧には疎いもので」
「かまわん。思ったことを述べよ。自前の小便の句と同じ調子で、いまの句を読み解いてみせればよい」
「では失礼ながら。わたしが思うに、花見の桜のもとでは、馳走も馳走でない汁や膾もみんないっしょ。同じように花見をする人間も、桜のもとでは貴き人も武士も町人も乞食(こつじき)もみんないっしょ。なんなら我ら人も桜もいっしょ。万物は桜と同質であることを、花見という麗しき一日に花びらに埋もれながら感じ入る一句かと」
 述べ終えたが芭蕉先生はにたにたと笑っているだけで、的を射ているのか外したのか教えてくれない。間が持たないのでつけ加える。
「深い意味合いを、平易な語句の並びで表す点に感服いたします」
「うむ」と芭蕉先生は自らの膝をぱしりと叩いた。こちら三人に向かって身を乗り出し、楽しげにつぶやく。
「いまの桜の句は、かるみをしてみたのだよ」
「かるみ」
 おれと乙州と丈草の声が重なる。
「それは俳諧の極意でしょうか」と乙州。
「新しい理念、あるいは俳風でしょうか」と丈草。
 ふたりとも興奮で前のめりになっている。𠮟られていたことなどすっかり頭から抜け落ちているようだ。芭蕉先生はなにも答えず、にたにたと笑い続けている。
 それにしても不思議な句だ。言葉は平易なのに、深淵を覗きこむかのような面白さがある。盤珪禅師の「平話説法」を思い起こさせる。難解な仏教用語や漢語を排し、多くの人に法話を届けようとしていたのに似ている。
 こいつは大したお方だ。改めて芭蕉先生を目に収めた。おれはいままで理屈に関して誰よりもさきんじてたどり着くことができた。知識の広さや解釈の深さで負けたことがなかった。それがいまおれは芭蕉先生の懐で泳がされた。おれの答えを待ち、受け止めようとしていた。これは相当な傑物だぞ。
 長らくおれは待っていた。なにを待っているかもわからないまま、自分を持て余して待っていた。
 その待っていたものが、ついに目の前に現れた。おれの眉間のあたりに稲光が走り、一日千秋の思いで待っていたのはこの人なのだと教えてくれた。
 ついていかねばなるまい。芭蕉先生が俳諧の道を突き進んでいるのだから、おれも俳諧を学ばなくてはいけない。一日でも早く同じ技量を身につけ、ともに歩けるようにならなくてはいけない。
 言いようもない焦燥と出会えたことによる恍惚が、胸中でぐるぐると渦を巻く。前に出て芭蕉先生の僧衣にしがみつきたいのをこらえ、深く首を垂れて訴えた。
「芭蕉先生、わたしはいままで伊勢にて神道や孔子や老子をひとり学び、京では伊藤家の漢学と二条家の和歌を学び、さまよいながら己を生かす道をひたすら求めて参りました。そして今日、この道こそと思わせていただける方に出会いました。俳諧は必死に学びます。芭蕉先生とともに風雅の道を究めたいのです。ぜひとも門下に加えてくださいませ」
「面を上げよ」
 顔を上げると、芭蕉先生は立ち上がって静かに言った。
「先生ではなく、翁と呼んでくれればよい」
「わかりました、翁」
「楽しみにしておるぞ」
 かすかな微笑みを残し、翁は外で待っていた門弟につれられ、次の約束へと出かけていった。義仲寺の門の外まで乙州と丈草と見送る。翁の背中が小さくなるのを見届けた。
「翁に心をかどわかされましたな」
 丈草がこちらを窺いながら言ってくる。胸を張って答えた。
「ええ、奪われましたとも。されど本望」
 乙州が苦笑交じりに言ってくる。
「これで同じ穴の狢(むじな)ですな」
「同じ巣の蜂ってところです」
「え」
「いえ、こちらの話で」
 窓の戸板は開け放たれた。蜂は待っているだけの日々から飛び出した。青空の下、魅惑的な蜜のにおいへと真っ直ぐに飛んでいく。
 おれは蜂だ。
 目的を得て、歓喜の飛行をする蜂なのだ。

 眠る翁が寒そうなので紙子をかけた。翁が言っていた通り、国分山は少しばかり寒い。
 幻住庵を出て山道を下ると、茂みの中に湧き水がある。水を汲んで帰り、米を研いだ。庵内の掃除を終えても翁が起きないので、俳諧の勉強をすることにする。いまは成り立ちについて学んでいるところだ。
 俳諧はもともと連歌(れんが)から派生した。連歌というのは、和歌を上の句である五七五と、下の句である七七に分け、ひとりが上の句を詠み、もうひとりが下の句を詠み、かけ合いで一首とする詠み方だ。
 平安時代の後期、さらに五七五、七七とつなげていく長連歌が誕生した。長句である五七五と、短句である七七を、交互につなげていく。五七五、七七、五七五、七七、五七五、七七と。
 この長連歌はふたり以上の複数人で行う。鎌倉時代には百句つまり百韻(ひゃくいん)でひとまとまりが通例となったそうだ。いまではこの長連歌を一般的に連歌と呼んでいる。
 さてこの連歌だが、室町時代になると稀代の連歌師である宗祇(そうぎ)が現れ、絶頂期を迎える。宗祇は准勅撰の『新撰菟玖波(つくば)集』を編纂し、連歌の高度な完成と普及に努めたのだ。
 連歌が成熟を迎えたそのころ、俳諧が盛んになった。俳諧の形式は連歌と同じ。五七五、七七、五七五、七七、五七五、七七と複数人でつないでいく。
 しかし連歌と俳諧には大きな相違がある。連歌は和歌で用いられる雅な和語をもっぱらにして作るが、俳諧は俗語や漢語を用いてもかまわない。
 内容も異なる。連歌はあくまで雅な和歌の世界だが、俳諧は庶民的でおかしみのあるもので、ときには卑俗な笑いをも含む。
 連歌は雅。
 俳諧は俗。
 となると人が集って句を出し合うなら、俗の俳諧のほうが盛り上がる。連歌は格式が上がったはいいが堅苦しくなって作り手が離れ、俳諧は滑稽を肝とすればいいため、多くの人が興じるようになった。
 がさがさと下草を踏みしめる音がする。はっと顔を上げると、乙州が庭へと回って入ってきていた。
「すまないね。声をかけても返事がなかったものだから、勝手に入らせてもらったよ。翁はおられるか」
 眠る翁を無言で指差す。
「昼寝か。いや、もしかして体調が悪いのか」
 翁を起こさないようにと乙州は小声で尋ねてくる。同じく小声で返した。
「風邪のようです」
「心配だな。調子を崩すとすぐ下血されるからな」
 翁はずいぶんと長いあいだ腹を患ってきたらしい。食べ物が合わなかったり、冷えたりするだけで簡単に下血してしまう。頻繁に下血するため、ひどい痔疾に悩まされていた。
「翁のことを医者に診てもらっていないのですか。わたしの見立てではけっしてよくないと思うのですが」
「蕉門には医学を学んだ者が何人もいて、薬を出してもらっているのだがな。いっこうによくならん」
 乙州はわらじを脱ぎ、足を洗って上がってきた。聞けば商用で伊賀へ行った帰りだという。荷問屋にして伝馬役を生業とする乙州は、仕事柄あちこちへと足を延ばし、帰りがけに幻住庵に顔を出してくれる。
「これを支考に持ってきてやったぞ」
 頭陀袋(ずだぶくろ)から出てきたのは、翁が音頭を取って選集した『冬の日』と『春の日』だった。これらの句集を読めば、蕉門の句の傾向がわかると先日教えてくれたのだ。
「こいつはありがたい」
 読みたいと口にはしたが、まさかすぐ届けてくれるとは。乙州は実直かつ実務に長(た)けていると、翁からの信頼が篤(あつ)かった。
 いまのところ俳諧は乙州と丈草に指南を仰いでいる。実作の指導中、五七五の文字数を指折り数えたらふたりに笑われた。だがどうして恥ずかしいことがあろうか。誰にだって一歩目がある。しかもこれは翁と歩むための大切な一歩目だ。笑われても気に病む必要はない。
「では先日の続きからなのだが」
 ゆるりと乙州が切り出す。俳風の移り変わりを習う約束となっていたのだ。乙州は有名な句を例に挙げつつ、丁寧に教えてくれた。
 もともと俳諧は連歌の余興として行われていた。それが俗という独自の面白味と価値を持ち、連歌より支持されるようになった。
 俳諧の広がりの中心にいた人物。それが松永貞徳(まつながていとく)だ。彼を祖とする貞門(ていもん)が一大流派としてでき上がる。翁は藤堂家に仕えているあいだに俳諧を始め、松永貞徳の門人だった北村季吟(きぎん)に教えを請うたという。つまり翁は貞門から出発したわけだ。
 貞門は京を中心に隆盛を誇った。遅れて大坂より、西山宗因(そういん)を指導者とした談林(だんりん)と呼ばれる一派が生まれた。
 談林は句の題材が貞門より奔放で、古典をばかばかしく作り直して組みこんだり、謡曲調を取り入れたり、とかく真新しい滑稽さを追求することで熱烈な支持を得た。
 伝統を重んじる貞門と、真新しさを第一とする談林は、やがて敵対し合うようになる。対立が激しくなったのは延宝二年のころ。翁は俳諧の宗匠として立つため、藤堂家を致仕してすでに江戸へ下っていた。明けて延宝三年、談林の西山宗因が東下した折に、本所の大徳院にて宗因歓迎の百韻の俳席が設けられ、そこへ翁も参加したという。
「翁も世の流れに沿って、談林に染まったってことさ」
 乙州は眠る翁をちらりと見やって言った。
「貞門が数十年にわたって俳諧の中心にいたが、延宝三年のころ談林が主役の座を奪った。だがその談林も十年余りで衰微(すいび)した。支考はなぜだと思う」
「さあ」
 延宝三年ならかつておれが〈色は葉に出てちりぬる紅葉哉〉と詠んだ十一歳のころのこと。幼くて俳壇の趨勢(すうせい)など知る由もない。
「奇抜になりすぎたんだよ。貞門を打ち破らんとして新しさを求めすぎ、珍奇な句ばかりになった。なにより詩情が失われてしまったのさ」
 乙州は西山宗因の句を教えてくれた。

〈すりこ木も紅葉(もみじ)しにけり蕃椒(とうがらし)〉

 なんとすりこ木も紅葉したぞ。あ、唐辛子をすり潰して赤色がついたわけか。といった種明かしの句だった。なるほど詩情もへったくれもない。
「これが談林の棟梁とも言うべき宗因の句ですか。素人の自分でもすぐに作れそうだ」
「そう言うな。こうした戯(たわむ)れの句だからこそ、凝り固まった古き貞門を打ち破り、俳諧の在り様を変えられたのだから」
「まあ、自分もふざけるのは嫌いじゃないですが」
「翁も談林に行き詰まりを覚えたんだろうよ。だから自らの俳風を探り、蕉門を立ち上げたってわけさ。貞門は形ばかりの言葉遊びになり、談林は奇抜を狙って珍奇なものばかり。翁はもっとさきへと進もうとした。そもそも翁は日頃より、新しみは俳諧の花なりとおっしゃっているからな」
「新しみは俳諧の花」
 ぞくりとする言葉だった。誰もまだ試していない方法で俳諧を詠んでみたい。それで翁を感嘆させてみたい。
「そういえば幻住庵に同居したいって願いは、翁に聞き入れてもらえたのか」
 ふと思い出したのか乙州が尋ねてくる。
「駄目ですね。まるで請け合ってくれません」
「そもそもどうしていっしょに住みたいのだ。いまのように通いで従事すれば済むことではないか」
「ごもっとも。しかしわたしはすべてが欲しいのですよ」
「すべてとは」
 乙州が顔をしかめる。
「あれを」と文机に置かれている『南華真経(なんかしんきょう)』を指差す。『南華真経』とは『荘子(そうじ)』のことだ。唐代に荘子が皇帝から南華真人(しんじん)の号を賜ったため、道教の教えが書かれた経典とも言うべき『荘子』をこのように呼ぶ。
「『荘子』がどうしたというのだ」
「荘子が唱えた万物斉同(ばんぶつせいどう)はご存じですか」
「だいたいはな。この世のすべてのものは、唯一絶対の道に立てば同じ価値であるってやつだろう。乱暴に言ってしまえば、みんな同じってやつ」
「翁の〈木のもとに汁も膾も桜かな〉の句は、桜の下にて境はなく、すべては桜、我も桜。これは『荘子』ですよね」
「そう読めるな」
「わたしの小便の句を聞いた翁は、禅における空の相を理解しているからこそ、あっさりと句意にたどり着いた」
「翁は仏頂和尚(ぶっちょうおしょう)に師事して参禅していたと聞く」
「なんでも備えているのですよ、翁は。老荘の思想も、禅の教えも、李白や杜甫の漢詩も、西行をはじめとする和歌だって。そのすべてを」
 いったん言葉を切り、翁が眠っていることを確かめてから、さらに声を小さくして続ける。
「食らいたいのです。翁のすべてを食らい、翁と同じ俳諧の地平に立ちたい。翁の目指す俳諧を十全に理解したい。そのためには一番そばで過ごすに越したことはないのです」
 乙州が腕組みをしてうつむく。
「不遜ですか」と尋ねると、「いや」と顔を上げた。
「思うに蕉門は誰もが翁を敬慕しているが、ただの仲良しこよしではない。生き馬の目を抜くようなところもあり、芭蕉二世をいつか名乗らんと腹に一物抱く者もいる。不遜、大いにけっこうだろうよ」
 待てども翁がいっこうに目を覚まさないので、また来ると言って乙州は帰っていった。幻住庵の外まで見送り、戻ってみると翁が身を起こして胡座(あぐら)をかいていた。しゃきっとしており、目覚めたばかりには見えない。
「狸寝入りでしたか」
「師匠を狸呼ばわりするとは、失礼な弟子がいたもんだな」
 翁がにやりと笑う。
「わたしと乙州殿の話に、聞き耳を立てていらしたのですね」
「そんなことをせずとも丸聞こえだ。わたしは地獄耳なもんでな」
 全部聞かれていたとは。肝が冷える。慌てて乙州との会話を振り返っていると、翁が心底楽しそうに言う。
「たいらげてみよ」
「え」
「わたしをすべて食らうのであろう」
 体が勝手に逃げ出そうとして腰を浮かしかける。しかし歯を食いしばり、とどまった。腹をくくって返事をする。
「食らってみせましょう、一切合切を」
「心意気やよし、といったところだな。同居を許そう」
「本当ですか」
「まずは宿へ戻って荷作りをしてくるがよい。さあ、急げ」
 翁は大きくひとつ手を叩いた。弾かれるようにして立ち上がる。
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げると、後頭部に翁の声が降ってきた。
「不遜、大いにけっこう。だがわたしの余生は長くないぞ。早くわたしのところまでのぼってくるがよい、志等しき水雲の狂僧よ」
 幻住庵を飛び出し、山道を駆け降りた。手足を千切れんばかりに動かしながら、翁の、乙州の、つまるところ蕉門の懐の深さに舌を巻く。ならばもっともっと不遜になってやろうではないか。
 翁は俳諧の道における巨星だ。おれは翁のすべてを食らい、同じ巨星に育ってみせる。ただ、芭蕉二世なんて後釜の地位が欲しいわけではない。名利も実利もいらない。
 おれは松尾芭蕉桃青そのものになる。
 翁になり、翁より翁の俳諧を理解し、翁より翁の俳諧を高め、翁より翁の俳諧を広めてみせる。
 しかし俳道に巨星はひとつでいい。松尾芭蕉はふたりもいらない。星の寿命が尽き、消えゆくのを待つなんてけちなまねもしない。明確に取って代わってみせる。おれは必ずや若き巨星となり、じきじきに告げるのだ。
 墜(お)ちよ、芭蕉と。

関口 尚

せきぐち・ひさし●作家。1972年栃木県生まれ。
2002年、『プリズムの夏』で第15回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。07年、『空をつかむまで』で第22回坪田譲治文学賞を受賞。25年、『芭蕉はがまんできない おくのほそ道随行記』でWEB本の雑誌 北上次郎オリジナル文庫大賞を受賞。著書に、『君に舞い降りる白』『パコと魔法の絵本』『はとの神様』『サニー・シックスティーン・ルール』『ブックのいた街』『虹の音色が聞こえたら』等多数。

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