[インタビュー]
いろいろな色覚の人がいることは、“私たちらしさ”です
人の色の見え方は人それぞれで、自分の赤と、他人の赤が同じとは限らない。近年の研究から、人の色覚は「多様で連続的」であることがわかっています。
子どもの頃に「先天色覚異常」と診断された川端裕人さん。二〇二〇年に刊行した『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』(現在は新版、筑摩書房)では、色覚を「正常」と「異常」に二分してきた色覚検査を検証するとともに、最先端の研究や眼科医への取材を通じて新しい「色覚観」を提示し、大きな反響を呼びました。
新刊『いろいろな人のいろいろな色 色覚多様性をめぐって』では、色覚少数派の人たちへのインタビューを通じて、色の見え方の「違い」に迫ります。色覚のふしぎに驚き、違いを理解することで、互いを尊重する社会になったら。そんな思いの込められた本書の刊行に当たり、お話を伺いました。
聞き手・構成=砂田明子/撮影=露木聡子

──「色覚」についての本を書こうと思われたきっかけは何でしたか?
小学生の頃に、学校の検査で「先天色覚異常」と診断されました。ですが、まったく実感が持てなかったんです。日常生活で困ったことはないし、友達と比べても、違うところが見いだせない。謎だなあと思いながらも、大人になるにつれ忘れていました。学校での色覚検査もいったんはなくなり、社会の意識も薄れていったと思います。
ところが二〇一六年くらいから、学校での検査が復活し始めます。ぼくにとっては無意味だったあの検査をまたやるのかと驚いて調べ始めると、多くの問題点がわかり、最新の科学研究などを取材して『「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論』を書きました。
このとき、ぼくのように診断では「異常」だけど、自分自身では多数派との違いを自覚できない、独特の位置にいる人がそれなりにいることを知ります。一方で、はっきりと違う見え方をしている人にもたくさん出会ったことで、彼らがどう見ているのかを知りたいと思いました。本来、感覚をわかりあうのは難しいことです。でも微妙な当事者であるぼくなら、さまざまな色覚の人のあいだをつなぐことができるんじゃないか。そう思って、今回の本に至りました。
臨床検査技師、アナウンサー、画家、辞典編集者、
「2色覚」の当事者にじっくり話を聞く
──眼科の診断で「先天色覚異常」とされるのは、日本では男性の約5パーセント、女性の約0・2パーセントと言われています。先天色覚異常の中にも多様性がありますが、この本では、「2色覚」の当事者に話を聞いています。取材はどのように進められましたか?
最初に、「カラーユニバーサルデザイン」を推進するCUDO(NPO法人 カラーユニバーサルデザイン機構)の方々に話を聞きました。彼らは仕事柄、色覚の違いを説明することに慣れています。そうした方たちの話から入ることができたのはありがたかったです。そもそも2色覚と診断を受けている人は少ない上に、カミングアウトしている人はもっと少ないんです。時間をかけて信頼関係を築いた上で、対話を重ねていったという感じです。
──L(赤)・M(緑)・S(青)の三種類の
コミュニケーションにおいて、2色覚の人たちが困ることは二種類あるんです。一つは、何か情報を伝えられて、その中に色で分けられている情報があった場合、それをちゃんと受け取れているかどうかがわからないこと。もう一つが、自分が色の言葉を使ってコミュニケーションをする必要があるときに、適切な言葉選びができないかもしれないこと。この二種類に、皆さん、工夫をして対応されています。
──色覚異常の人は焼肉の焼き加減がわからない、という説がネットには出回っている。それに対して、当事者たちで「焼肉研究会」をつくったというエピソードが印象的でした。
たしかに生肉と焼けた肉の色の差がわかりにくい人はいるんです。だけど色以外で見えているもの、微妙な明暗や彩度の変化、あるいは音やにおいといった視覚以外の五感を使えば、焼けた状態を正しく判断できるんですね。3色覚の人だって、色だけで見分けているわけではないはずです。
ただ、この焼肉問題は根が深くて、自分はできないんだと思い込んでいる当事者の方はいらっしゃる。自分で自分に呪いをかけている面もあるのかなと思います。
──長い間、色覚異常は差別の対象で、医学部が受験できないなど、大学受験や就職に制限がありました。そうしたことが影響している面もあるのかなと想像します。本書に登場する臨床検査技師の服部博明さんは、「2色覚」であることを大学の先生に伝えると、「臨床検査技師なんかなれないから、(大学を)辞めたほうがいい」と言われ、絶望したと話されています。
それは二〇〇七年の話なんですね。二一世紀に入ってなお、誤った認識がまかりとおっていたわけですから、前の世代はさらにひどい経験をしている。そうした歴史は書いて残しておかなければいけないと思っています。
一方で、2色覚の方は今も昔も、自分たちの知覚とは異なる多数派の見え方を解釈し、赤や緑といった3色覚の語彙を学んで、多数派に合わせて生活しています。この状況を色覚多様性の研究者である平松千尋さんは「少数派の人たちが、独特の『解釈労働』させられている」と表現していて膝を打ちました。多数派が知っておくべきことだと思います。
──解釈労働を少しでも軽減するためにも、アナウンサーの生田
そうですね。それにユニバーサルデザインにすると、3色覚の人にとってもたいてい見やすくなるんです。最近は災害が多く、気象庁が発表する防災気象情報の警戒レベルをよく見るようになりましたよね。ここで使われる色は統一されています。白、黄、赤、紫、黒と、警戒レベルが上がっていく。さまざまな色覚の人にわかりやすい色が使われています。
「色」の違いがもたらす世界の亀裂
──画家の黒坂祐さんの章も印象的でした。色は相対的なものだということを、芸術を通して教えてくれます。
多くの人にとって色は実在なんですよね。リンゴの赤が世の中に〝ある〟と感じて生活している人がほとんどだと思いますが、そうでない人たちがいる。自らの色覚に向き合いつつ創作している黒坂さんの作品は、「色」の違いがもたらす世界の亀裂みたいなものを見せてくれます。現実世界に亀裂が入る経験ってなかなかないのでショッキングではあるんですが、そう感じるのは、亀裂に気づかずに生活できているからですね。黒坂さんは時々個展もされているので、ぜひ生で絵を見ていただきたいです。
──辞典編集者の平木
最近メディアなどでは異常を障害に変えて、「色覚障害」と表現することがあります。現実的に困りごとがあるという意味では障害なのですが、抵抗を感じる当事者はいますし、障害として扱うべきかどうかについては議論があります。そのほか「色覚特性」や「少数色覚」、社会における弱者という意味での「色弱者」という言葉などがある。実は、自分が新しい言葉を考案しようと意気込んでいたこともあるんです。でも早々に諦めました。状況によってふさわしい言葉は変わってくるからです。
重要なのは、大前提として「色覚多様性」があるという理解です。まだ誤解している人がいるのですが、色覚多様性は色覚異常の言い換えではなく、3色覚も含めて、全ての人がこの多様性の中にいるということ。そしてこの中に優劣はなく、得意なことと不得意なこと、有利なことと不利なことがあるだけだ、という基本を押さえていれば、状況によって使う言葉は変わっていいと思うようになりました。
──なぜ人の視覚は多様なのか。色覚が混在している意義とは何なのか。そうした生物学的な進化の歴史も書かれていて面白かったです。多様性は種にとって強みになりますか?
多様性があるから生物学的に強みである、とまでは言えないんです。ある危機が起きたときに、それに対して適切な多様性をもった生物が生き残ってきたわけですが、このことと、今生き残っている生物が多様であるから強いというのは、また別の問題です。今後の環境変化によって、強みになるかもしれないし、ならないかもしれない。また、強みにならない多様性は排除されていいのか、という問題もあります。
ぼくが言えるのは、多様性は人類の人類らしさ、私たちらしさだということです。そうであるからこそ、互いの違いを知って、互いに敬意を抱く社会になったらと願っています。
一方で多様性をめぐる議論は重要で、この本で展開したかったもののできなかったので、次作でやりたいですね。
──色覚への興味・探求は続きますね。
色覚にかぎらず、当事者でないと語れないことと、非当事者でないと語れないことがあります。ぼくは半分、当事者としてのねちっこさで、非当事者的な距離感をもって語り続けたいと思っています。

川端裕人
かわばた・ひろと●小説家、ノンフィクション作家。1964年兵庫県生まれ。千葉県育ち。東京大学教養学部卒業。日本テレビ勤務を経て作家活動に入る。小説作品に『空よりも遠く、のびやかに』『ドードー鳥と孤独鳥』(新田次郎文学賞)、ノンフィクション作品に『我々はなぜ我々だけなのか』(科学ジャーナリスト賞・講談社科学出版賞)『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』(共著、科学ジャーナリスト賞)『おしゃべりな絶滅動物たち 会えそうで会えなかった生きものと語る未来』他多数。





