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「いる」と「いない」に架ける橋
結婚してない、子どもがいない、との形容が方々で使われるが、それは「いる」がベースにある。人前で自分の状態を説明する際、「結婚しているんですけど、子どもはいないんです……」としょっちゅう口にしている。口にしながら、なんだこの、若干の申し訳なさを含ませた言い方は、と思う。誰に対しての申し訳なさなのか。国? 親? 自分自身? 正直、自分の心の中に申し訳なさは全くない。でも、対外的にはこの申し訳なさ、つまり、「いないんです!」ではなく、「いないんです……」と、わずかでも
戦争・紛争が方々で勃発し、気候変動の影響で酷暑・豪雨が続く。そして、AIの急速な発展。これからを生きる人たちは、様々なものに翻弄されていくと予測できてしまう現在に、なぜ人は子どもをもとうと思うのか。張り合うわけではなく、著者は「いる」立場から「いない」立場に対しても問いを重ねていく。
権力者たちが世界を良くしようとしないのなら、子どもを作らないと宣言するバースストライカーの存在。夫が子どもを産んでくれるんだったら子どもをもつのもいいなと語る人がいれば、「人生で成し遂げたいことリスト」があったら300位くらいだと優先順位を異様に低く置く人もいる。「子どもは生まれてくることを選べないけれど、親は子をもつことを選んでいる」という非対称性に一つの解が出るわけではない。それは、出したら危うい解でもある。
たとえ自分の子ではなくとも、「弱くいたいけな子を抱くとき、私たちはかつての自分を抱いてもいる。その気持ち全体で人間は子どもをもつのではないか」とあるが、その気持ちを理解しつつも、私たち夫婦は子どもをもとうとは思わなかった。それはなぜなのか。「いる」と「いない」の間に断絶があるとして、その間に橋を架けるにはどうしたらいいのか。双方の土台を丁寧に確認しながら取っかかりを探していく。それは確かな一歩だろう。
武田砂鉄
たけだ・さてつ●ライター





