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石山蓮華「ショッピングモールの女」
[第4回] レイクタウンとアイム ヒア(中編)

[連載]

[第4回] レイクタウンとアイム ヒア(中編)

 ショッピングモールには、内科、小児科、歯科や眼科、皮膚科、心療内科などの病院もテナントとして入っている。イオンレイクタウンには「レイクタウンクリニック」というそのままの名前の美容皮膚科や「レイクタウンデンタルクリニック」「おだやかライフ内科クリニック」などが入っている。

 もうすでに8年以上前のことだけれど、私がテレビリポーターとしてモールでインタビュー取材をするときに、取材を申し込む相手はいつも、元気そうな人であった。もう少し細かく言えば、元気に見える人、あるいはレンズの前で元気に振る舞えると、見た目で判断された人であった。
 もちろんモールにはいろいろな人が行き来している。発語できない、咀嚼そしゃくできない、耳が聞こえない、目が見えない、自分の足で歩くのが困難など、外から見える・見えないを問わずさまざまな障害のある人がモールにいる。
 ある程度元気そうに見える人から、より画面映えする元気さと明るさを引き出すため「元気に答えてください」とお願いする。いろいろな人がいるモールに来ても、VTRの中には元気な人しか映っていないというか、元気な人のほうにしかレンズを向けないことを暗黙のルールにしているようだった。
 番組ごとに違う方向を向いてものづくりをするのは当たり前でもある。取材や編集の時間がないから、VTRの尺がないから、台本からずれてしまうから、番組の雰囲気にそぐわないからとか、理由はいくらでも持てる。今も同じ仕事をしている訳ではないし、その後同じコーナーがどんな感じなのかをきちんと見ている訳でもなく、ただそのときの印象だと言われてしまえばそれまでだ。そもそも人が元気であるかそうでないかは、ひとつの物差しでは到底測れない。
 それをわかっていてもなお、こちらも元気で明るい若い女として目の前の人にマイクを向け、台本に沿ったコメントをもらうことを仕事として繰り返していると、演出された元気さを、あくまで日常のものとして描き、元気な人による、元気な人のためのユートピアを作ることに加担している気がした。なにより、私自身がはつらつとしたリポーターであり無害なリアクターとしての仕事をまっとうしようと努める中で、言葉になりきらないしこりが生まれていた。発注された元気を納品できたことに満足する一方で、帰路につく間、高揚は薄れ、私はなにかや誰かを踏みつけているんじゃないかという思いが膨らんだ。同時に、芸のない私ができるのは、明るく元気という型にはまることくらいだった。

 20代の頃、舞台の仕事をきっかけに心身ともにダウンし、しばらく心療内科に通っていた。
 稽古中に私とは別の俳優が、一言の台詞せりふに「もう一回」と繰り返し何度も何度も、千本ノックのようにダメ出しを受けていた。灰皿を投げたり大声を上げたりしなくとも、演出家がいらついていることは明らかだった。具体的には説明しないという方針だったのか、どこをどうしてと言葉で言われるでもなく、「もう一回」というオーダーが繰り返された。千本ノック的な稽古があるらしいと聞いたことはあったし、あるところにはあるだろうと思っていた。しかし目の前に、明らかにそれが現れたのは初めてで、あるところにはある、が今ここにあることに硬直した。
 雑居ビルのワンフロアにある稽古場は、一面が鏡張りになっていた。お互いの姿は鏡で見えたけれど、目を合わせることはなかった。防音された部屋の中に気詰まりな空気が満ち、やっと休憩が取られた。喫煙者の俳優たちは、演出チームとともに外に面した非常階段で電子タバコ片手に談笑し、何事もなかったかのようにリノリウム張りの稽古場へ戻ってくる。非喫煙者の俳優たちはなんとなくお菓子を交換していた。皆それなりにタフであった。
 登場人物のトラウマ的な感情や、過去の記憶を扱う作品だったので、演出家は私にそれを伝えるために、自分の家族が亡くなった日の様子を思い出し、語り、涙ながらに感情を再現した。その演出家は俳優でもあったので、繊細で生々しく表現できた。そしてそれは物語ではなく、実際その人自身に起きたことだった。演出のためであっても、目の前で何度も人が家族の死を悲しんでいるのはただただつらい。ミスをする度に、目の前で物語ではない心の傷を再現される。その説明というか、生々しい語りを引き出している原因こそ、ひとえに私の演技力のなさだったのだ。
 毎日の稽古を通して、私は動悸と胃痛が続くようになり、吐き、食べられなくも眠れなくもなり、涙は出るのに台詞は出てこなくなり、びっくりするほど具合が悪くなっていった。炭鉱のカナリアが稽古を見にきたら、そのまま静かに倒れたかもしれない。
 自分で制作もやっていた演出家は「昨日も仕事が残って朝方まで稽古場にいた。チケットが全然はけていない、このままじゃ大きな借金を抱える」と毎日赤い目をしてうなだれていた。演出助手が本番直前に体調不良で倒れ、そのまま入院した。また別の俳優は、小屋入り当日に「涙が止まらない、もう無理」と言って場当たりの途中で帰っていった。最悪のドミノ倒しである。
 後からこうやってねちねち書くくらいなら、早めに降板すればよかったのかもしれないが、途中で降りて「できなかった」と後悔するほうが終わった後まで引きずりそう、という後ろ向きなんだか前向きなんだかわからない理由で、なんとか千秋楽までやりきった。おかげさまでなんとかはなった。作品を観に来てくれた数少ない人たちからは、いい感想をもらった。無事に(無事とは?)千秋楽を迎え、演出家に挨拶あいさつとお礼を伝えたとき、なにか一言言われて「この人、全然わかってないな」と思ったけれど、それはお互いそうなのだろう。こういうときのことこそ、なにを言われたのかなにひとつ思い出せないのだった。私は「いつか文章に書いてやれ」という貧乏根性を発揮することで、嫌なことをある程度は我慢できるものの、とにかく忘れやすい。

 公演が終わってからもしばらく体調は戻らず、演劇が嫌いになりそうだった。クリニックでもらったドグマチールという薬を飲み続けていたら、乳頭から白い液体が出るようになった。いわゆる母乳であるが、そこに母性はない。医者は「副作用の乳汁にゅうじゅうです。ホルモンが悪さしてますね」と言い、薬を変えた。風呂に入るとピューっとおっぱいが出た。指で拭って味見しても、大した味らしい味もしなかった。脱いだまま床に放っておいたブラトップのカップの部分を飼い犬が興味津々でいでいた。しばらくぶりに愉快だった。
 その一連の出来事をきっかけに受けたカウンセリングが一段落した頃、発達障害についての検査を勧められた。言葉の意味について聞かれたり、計算や図形の問題を解いたり、あれやこれやと2時間ほどかかった。すべてを終えた帰り道に、そういえば小学生の頃、職員室の隣の部屋でこれと似たテストを受けたのを思い出した。雨粒の向きに対してどの向きで傘を差せば濡れないかという問題で、私は正解がなかなかわからず、そばにいた教員がいくつか質問をしたりして、答えに導いてくれた。

 結果、10年以上前に高校で同級生たちが指摘した通り、私も『アイムヒア僕はここにいる』の主人公と同じであることを認め、やっぱりね! と思った。クリニックを受診する少し前から、大人の発達障害については本やニュースなどで見聞きして、私とかなり近いところがありそうだなと思い、ADHDだとすれば薬でいい変化が起こるかもしれないと期待していた。実際には、私はASD(自閉スペクトラム症)であるという診断を受けたため、今のところの困りごとが薬の服用のみで劇的に解決することはないようだ。
 人から「蓮華は変わってる」「だらしない」「しっかりしなさい」と何度言われても全然ちゃんとできなかったことや困りごとに明らかな理由があると知り、これまでのさまざまなことが一旦腑に落ちた。腑には落ちるが、空気が読めなかったり、不注意だったりすることは変わりない。
 クリニックのある新宿はその日よく晴れて、新宿御苑ぎょえんの前のアスファルトが白く光って見えた。私は私のまま生きながら、もっと違う、より良い生き方のほうを向いてみたかった。

「これまで大変でしたね」といたわりの言葉をくれた検査の担当者が『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界 幼児期から老年期まで』という本を薦めてくれた。それを読むと、私はいかにも典型的で、ありふれたASDの人間であるとわかった。共感力がない、内向的、感覚過敏、不器用、変わった趣味、ルーティンへのこだわりなどが特性として現れるそうだ。弱点の理由がわかって、やっとどこか安心できたと同時に、もう自分が何者であるか、どうしてこうなってしまったのか考えたり悩んだりするのをやめて、リスト化された特性にアイデンティティの大部分を寄りかからせたくなった。なにもかもが書かれた通りではないので、どこか持て余すような気もしたが、結局のところ幼い頃から私が一番興味を持って執着しているのは、ほかのなによりも、私自身なのだった。

 自閉スペクトラム症のスペクトラムというのは「連続体」という意味で、言葉通り、発達特性は人によって発現の仕方に無数の違いとグラデーションがあることを表している。まっすぐ考えれば、今後は己の特性をよく理解し、向き合い、工夫して生きていくということになる。
 ASD関連の本や当事者のインタビュー集などを読むと、共感して励まされるとともに、それぞれが人知れず大きな困難を抱えるも、社会の理解や対応が進んでいないこともわかった。私やほかのASD者が今この社会でより良く生きたいのなら、個人でどうにか工夫してやっていくことが唯一の道であるというか、誰かやなにかに頼りたいなら、それもまず自力で探し、繫がらなくてはならないのだと言われているようにも思えた。また本に込められた熱い想い、社会への怒りや希望といった気持ちに触れ、かえって滅入めいってしまうこともあった。
 私は診断を受ける前からずっとASD者だ。ASDという言葉を知る前から、ありがたいことに親や周囲の人からは、人と違う部分を個性としてある程度尊重され、伸ばしてもらったことで今がある。子どもの頃から引き続き芸能の仕事を辞めずに済んでいるのも、人との違いを個性として面白がり、手助けしてくれた人たちのおかげに違いない。今の人生は、奇跡そのものだと思っている。それでも私ははじめから絶対に選べなかった「普通の私」にどこか憧れている。子どもの頃から人と違う自分でいたいとは思ってきたけれど、それはあくまで買い物のように、選び取れることであってほしかった。

 レイクタウンには車椅子とベビーカーの貸出があり、多機能トイレやベビールームがあり、フロアの各所にはベンチやソファが置かれている。テレビのカメラは元気な人のほうにしか向いていなかったが、障害の有無にかかわらず、誰しも元気なときとそうでないときがある。モールという建物そのものは、元気じゃない日の人間を織り込んで設計されている。
 私が当てはめられたASDの特性リストには「感覚過敏」もあった。モールは音と光と匂いの洪水だ。あらゆるテナントから聞こえるBGM、店員さんの呼び込み、フードコートから漂う油の匂い、ゲームコーナーの明滅、吹き抜けに反響する迷子のお知らせ。
 中学生の頃、出演した映画がアーバンドック ららぽーと豊洲とよすのユナイテッド・シネマで上映されることになり、友人と連れ立って出かけた。着いてみると、彼女は大きい音や人混みが苦手で、通路の真ん中で耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。冷たいジュースを飲んだり、休んだりしてなんとか持ち直したものの、特に休日の混雑した巨大モールは、誰にとっても快適な場所ではないと知った。
 一部のモールでは、刺激の洪水を弱めようとする試みが行われた。照明を落とし、BGMを消し、レジの読み取り音を小さくする時間「クワイエットアワー」である。日本では2019年、新百合ケ丘しんゆりがおかのイオンが商業施設として初めて実施し、感情が高ぶったときに落ち着くためのスペースも用意されたという。
 しかしこの試みは一般的でなく、時間も回数も非常に限定的だ。もしもレイクタウンの果てのないフロアが静かに、落ち着いた雰囲気になれば、自分が選びたいものを手に取りながら選べる人が確実に増えるのだろう。

 自分がASDであると知ってから、なんとなくだけれど、私はその「困りごとがある人生」を受け入れて、この先はなにか新しいことをするのではなく、すでにある程度の経験があることを元手にして、静かに安住していくのだと思った。できないことがあるのは当たり前。だから、できる範囲でやりたいことをやっていく。
 それは一見、ASD者である自分を理解したようでいて、私ではない誰かが描いた発達障害者のパッケージに自分をまたはめ込んでみようという、これまでと違う方向性での不自由さに落ち着こうとしていたのだった。普通になれないとは思っていたが、それが明文化されたところで、どこへどう向かって行けばいいかすぐにはわからない。フロアマップなしで、真っ暗な売り場に来てしまったようだ。ずっと自由に生きているはずなのに、私はどこへ行きたいかがわからない。目の前には、昨日と地続きの今日がある。



イラストレーション●近藤聡乃

石山蓮華

いしやま・れんげ●電線愛好家、文筆家、俳優。
TBS ラジオ「こねくと」でメインパーソナリティを務める。電線愛好家として「タモリ倶楽部」などのメディアに出演するほか、日本電線工業会公認「電線アンバサダー」としても活動。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)がある。過去の出演作は映画『思い出のマーニー』(スタジオジブリ)、ドラマ『日常の絶景』(テレビ東京)など。

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