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「大久保佳代子のほどほどな毎日」
[第23回] 本当は「書くこと」が苦手 そんな私が「書く」理由

[連載]

[第23回] 本当は「書くこと」が苦手 そんな私が「書く」理由

 この連載をはじめ、数本のエッセイ連載を抱えている私ですが、今年の春からまた新たに某有名雑誌で連載がスタートしました。そのオファーをいただいたときは、正直、迷った、悩みに悩んだ。なぜなら、それが〝週刊連載〟だったから。
 同じエッセイでも月に1本と週に1本書くのとでは大違い。後者は本当に大変なんですよ。実は私、過去にも週刊連載を経験しておりまして。それは有料サイトのコラムというクローズドな場所での連載でね。そのせいか、これがまあ〜驚くほどに反響がなくて。故に「読んでいる人なんていないんじゃないか」と勝手に思い込み、どんどん気も緩んじゃって、二日酔いのモーローとした頭で原稿を書き上げたこともあったりして。毎回、担当者が届けてくれた「すごく面白かったです」の一言。「たとえ読者はいなくても、この人のために私は書こう」という気持ちで約15年続けた有料サイトの週刊連載。あのゆる〜い感じでも大変だったのに。これが有名週刊誌ともなれば、さらに高いクオリティを求められるだろうし、当たり前だけど適当に書くわけにはいかないわけで。そりゃあ不安にもなるわけですよ。「大丈夫なのか、できるのか、私!?」って。でも、ここは〝やらない後悔〟よりも〝やる後悔〟。思い切って、挑戦しようと決めたのです。
 で、実際にやってみた感想は「思った通り」、まあ〜大変(笑)。そもそも、今でこそこんなにエッセイを書いている私ですけど、書くのは得意じゃないというか、どちらかといえば苦手なんですよ。学生時代の作文や読書感想文を読み返しても、当たり障りのないことばかり書いているし。大学で文学部に進学したのも単純に消去法。 親から〝上京チケット〟を手に入れるためには大学進学が必須条件だったから。「専門的に学ぶほど勉強に興味はないし、文学部ならざっくり学べそうだし、ここなら偏差値も届きそうだし」って……まあ要は何も考えずに受験したんですよね。結果、卒論の課題に太宰治を選んだものの何も書くことがなくて。論文の大半を太宰の経歴で埋めるという暴挙に出たところ、まんまと「もっと自分の視点で書いてください」と教授から突き返されちゃったりして。
 今、振り返っていて気づいたんだけど。多分、私は自分の思いを言葉にするのが苦手なんだろうね。目の前で起きた出来事や事実を言葉にできても、「私はこう思った」「私はこう感じた」に繫げるのが苦手。とにかく情緒的なものを文字にするのが苦手。小学生の頃、親友と交換日記をやっていたんですけど。それもまた、1ページに「せ」、2ページに「っ」、3ページに「く」、4ページ目に「す」、覚えたての下ネタを大きく書いてはアハハと爆笑するような、情緒もクソもないひどいものでしたからね。そんな私が書くことを続けられたのは、褒めてくれる人がいたからなんだろうな。有料サイトの連載もだけど、初めてオシャレな雑誌で連載を持ったときも担当編集さんがすごく褒めてくれたんですよ。それが嬉しくて、また褒めてもらいたくて、何度も読み返しては時間をかけて書いたりして。そんなことを繰り返していたら、いつの間にか〝書く筋力〟がついていた、そんな感じなんだよね。
「良いネタはないか〜」「良いネタは落ちてないか〜」と目をギラギラさせながら歩き回り、ネタを見つけたらPCでザザッと文章の土台を作り、それをスマホに転送して空き時間にコツコツと整えていく……。重箱のすみをつつくように小さなエピソードを探しては、それを練りに練り、膨らませてはエッセイに仕上げる毎日。2ヶ月に1本、月に2本、週に1本、合計4本のエッセイ連載はなかなか大変だけれど、この経験もきっと私の〝書く筋力〟をまた鍛えてくれるはず。ちなみに、さっきから「大変」「大変」ばっか言っていますけど、もちろん、書くことはプラスになってもいるんですよ。まず、エッセイのネタを常に探しているからこそ「ここに何かドラマがあるんじゃないか」と。普段なら見逃しているような、小さなこと、小さなもの、小さな心の動きにも目が留まるように。それは自分の感性を豊かにしてくれているような気がするし。あと、アクティブにもなったよね。仕事場で「何かが起きたらいいな」「誰かの言葉が引っ掛かったらいいな」と思ってはいるけれど、忙しさに追われていると、何も感じないままに1日が終了。何も起きないまま次の〆切が訪れてしまう、なんてことになりかねないから。ネタが落ちていそうな場所に自ら出向くようになったりして。前々回、この連載でも書かせてもらった、市川市動植物園の子猿のパンチくん。彼に会いに行ったのだって、半分エッセイのためですからね、あれ(笑)。
 こんなふうにエッセイを書いていると「他の人のエッセイも読むんですか?」とよく聞かれる。ちなみに、その答えは「NO」。なんなら、逆に読まないようにしています。自分が得意じゃないぶん、文体とかリズムとか、何かしらの影響を受けてしまいそうで。ただ、「エッセイってどんな感じだったっけ?」って、その楽しさを思い出したいときは、松尾スズキさんの『松尾スズキの、のっぴきならない日常』を読んでいます。月に550円払って読むメルマガなんだけど、本当に文章が面白くて。「よし、書くぞ!」の気持ちにも火をつけてくれるんだよね。ちなみに、自分のエッセイは今までほとんど読み返したことがない。そのときの自分が生々しくそのまんま、そこにパッケージされているからこそ、なんだか恥ずかしくて読めないんだよね。でも、文字として、本として、それが残るのはありがたいことなのかもしれないと最近は少し思っている。普段、写真を撮らない私にとってはそれがいつかアルバムのような存在になりそうだから。70歳や80歳になったころには懐かしい気持ちでこのエッセイも読んでいるかもしれないよね。「連載がしんどいとか言ってるねぇ。まだまだあおいねぇ」って、縁側でお茶をすすりながら(笑)。

聞き手・構成=石井美輪
イラストレーション=中村桃子

大久保佳代子

おおくぼ・かよこ●タレント。1971年5月12日生まれ、愛知県出身。
千葉大学文学部卒業。1992年、幼なじみの光浦靖子と「オアシズ」結成。「めちゃ×2イケてるッ!」でのブレイク後、バラエティ番組にとどまらず、コメンテーターや女優としても活躍している。近著にエッセイ集『まるごとバナナが、食べきれない』(集英社)、『パジャマあるよと言われても』(マガジンハウス)。

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大久保佳代子 著

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