[本を読む]
知性と感性が星々のようにまたたく小説
世界の途方もない広さと、自分の途方もないちっぽけさと。
旅をめぐるかつての恋人たちの物語を軸に、知性と感性が星々のようにまたたく小説だ。この世の真理に触れたときに湧きあがる寂しさにも似た充足と、旅愁に洗われた静かな願い―読み終えてみると、このロマンティックなタイトルそのものが李琴峰という作家のまなざしを宿していることに気づく。
本書には二つの中篇が収められている。表題作は、一か月前に別れた元恋人と二人きりで海外旅行をする羽目になった〈私〉が、黄金色に燃えるナイルの夕景をよそに惨めな気分で歩いている場面から幕をあける。
航空券とホテルを予約したのは八か月前。今からキャンセルしても渡航費は返金されない。だったら二年間続いた交際の記念に、と互いに割り切って臨んだつもりなのに、ダブルベッドの部屋が予約されていたこともあってきまりの悪さが先に立つ。おまけに観光初日でぼったくられ、目当ての神殿に入ることもできないままとぼとぼ引き返す両者のあいだに会話はない。それでもこの二人―〈私〉と〈りさ〉は気晴らしに別行動をとることすらできないのだ。なぜなら、ここは言葉も宗教も文化も違う異国だから。しつこいタクシーの客引きたちは屈強そうな髭ぼうぼうの大男ばかりで、東アジア人の女二人が歩いているだけで当然のように眺めまわされるから。
別れた恋人同士の、いかにもよくある気まずい旅模様をユーモラスに描きながら、「女と女」という組み合わせゆえに浮きあがる社会の不均衡を同時に手渡してみせる作者の技量に舌を巻く。それだけではない。〈私〉と〈りさ〉のあいだには性愛をめぐって越えられない溝が横たわっている。せせこましい社会の規範や抑圧のなか、地の果てや海の隅のような場所を一緒に夢見た二人でも、互いの傷を肩代わりすることはできない。
同じ主題は併録の「東京奇俠伝」のなかでも残酷に繰り返される。後味はけっして甘やかではない。だが、この小説の言葉は鮮やかに重力を切り裂き、悠然とたちのぼる景色は平らかな光となって、世界の美しさを諦めない者たちの行く手を浩然とおしひろげるのだ。
倉本さおり
くらもと・さおり●書評家





