[今月のエッセイ]
与兵衛の心は
史実の人を書く物語を「歴史もの」、時代設定の上で自由に展開する物語を「時代もの」と呼ぶことがある。その区分だと、時代ものの主人公は
一方で、実在の人物にも「人生を作り上げねばならない人」は多い。私の過去作では『天下、なんぼや。』の鴻池新六や『誉れの赤』の
今作『華屋与兵衛 江戸前握り、始めます』の主人公・
だが与兵衛の残したものは大きい。彼が握り寿司を考案したのは江戸時代終盤だが、以後の日本で単に「寿司」とだけ言えば、大概は握り寿司を指すようになった。魚を発酵させた「熟れ寿司」以来、寿司は長い歴史を持つ。その寿司に対する世の認識を瞬く間に塗り替えてしまったのだから、とんでもないエポックメーカーだ。それだけでも十分に興味深い。
そこで与兵衛を書こうと企画し、彼の人生を作り上げる必要に迫られた。
さて、と考える。与兵衛は寿司に対する世の認識を大きく変えたが、そのために握り寿司を考案したのではないだろう。何かしらで世を動かした人には、大本に自らを
では、与兵衛は何に衝き動かされたのだろう。何を願って寿司を握り続けたのだろう。それが物語の核となる。
日常の中、その答えは案外すんなりと出た。
私はけっこう料理をするクチだが、自分だけが食べる時には極限まで手を抜く。自分のための手間が面倒だからだ。インスタントラーメンに刻み葱くらい、
が、いざ誰かに食べさせるとなると、不思議と手間を手間と感じない。どうして?
そうか。私の料理を食べた人が—概ね妻だけだが—喜んでくれると嬉しいからだ。すると、次はもっと旨いものを、となる。どこまで行っても「これで良い」とはならない。さらに旨く作ろうと思うのだ。プロの料理人であれ家庭料理であれ、そこは皆が同じではないだろうか。
ならば。喜んで欲しいから力を尽くす。それこそ与兵衛を衝き動かした心では—。
あ。何だ。私が小説を書く時と同じだ。
そこに思い至ると、与兵衛の人生が次々に色付いていった。
皆に旨いものを。その思いの原点、原体験は何か。与兵衛が料理人になるにも、誰かの助けがあったはずだ。仲間もいてほしい。支えてくれる妻も、魅力的な人であってほしい。与兵衛の成長には、超えるべき壁のような人やライバルも必要だ。
加えて、何と言っても寿司である。なぜ握り寿司を考えたのか。どんな経緯で山葵を使うようになったのか。最終的に、
そういうものを積み重ね、仕上がった今作である。最終盤はやや荒唐無稽な感もあるが、物語の
執筆に際しては、寿司や料理を如何に旨そうに書くかに気を遣った。結果、書いた寿司が旨そうで、書くたびに腹が減ってしまうのだから困ったものだ。自分のネタで笑う芸人みたいだな、とは思うが、まあ旨そうに書く試みが成功した証と考えよう。
なお寿司についての知識は『すしの事典』(日比野光敏、東京堂出版)が基本であり、その他の料理については江戸時代の料理書『料理物語』を参照している。また作中に登場する「
さてさて、その一作もいよいよ刊行だ。読んで楽しく腹が減る、寿司が食いたくなってくる。読者諸兄がそうなってくれたら、幸甚これに尽きる。
吉川永青
よしかわ・ながはる●作家。1968年、東京都生まれ。
横浜国立大学経営学部卒業。著書に『戯史三國志 我が糸は誰を操る』(小説現代長編新人賞奨励賞)『闘鬼 斎藤一』(野村胡堂文学賞)『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』(日本歴史時代作家協会賞【作品賞】)『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『ぜにざむらい』『乱世を看取った男 山名豊国』『家康が最も恐れた男たち』など。





