[対談]
書いているときはその動物になり切って世界を見ています
ドリアン助川さんの本誌連載「動物哲学物語」が『動物哲学物語 ナイス実存』(集英社インターナショナル)として単行本化されました。前著『動物哲学物語 確かなリスの不確かさ』(集英社インターナショナル、二〇二三)に続く「動物哲学物語シリーズ」の第二弾です。今回も、コアラ、ウォンバット、マツカサトカゲ、タスマニアデビル、ハニーポッサム、クオッカ、ジャイアントパンダ、ジュゴン、ヒマラヤタール、フタコブラクダなど、お馴染みのものから珍しいものまで、全二十種の動物たちの生態に哲学のひとさじを加えたユニークな寓話が収められています。
本書には、歌人の俵万智さんが帯文(「大自然を生きるユニークな動物たち。その視点で哲学が語られるとき、言葉はなんて柔らかいんだろう」)を寄せられています。ドリアンさんと俵さんのお付き合いは長く、初めて出会ったのは四半世紀以上前のこと。その出会いから話が始まります。
構成=増子信一/撮影=chihiro.

ドリアン 最初にお目にかかったのは、前世紀末でしたかね、ある通信社の対談で。
俵 そう、そう、そうでした。
ドリアン たしか対談が終わった後に、近くの蕎麦屋へ行って、そこでずいぶん飲んだんですよね。それ以来、私のバンド(「叫ぶ詩人の会」)のコンサートにも何回か来ていただいたり、新宿ゴールデン街に行ったりとか。
俵 私とドリアンさんは同い年で、同級生なんですよね。コンサートにも行ったし、ドリアンさんの書くものがすごく好きで、『ベルリン発プラハ』(一九九八年)が出たときは、みんなであの小説に出てくるところを辿るという旅をやったり。
ドリアン 数人のグループをつくって、ベルリンからプラハまでの旅をしましたね。
俵 それから日本全国の駅弁に
ドリアン 今度の本に収録されている「クロコダイルの恋」という話は、音楽劇としてここ二十年以上歌い続けてきた作品が元になっているのですが、仙台で、私たちが「クロコダイルの恋」を歌って、その横で俵さんが短歌を詠むという、ちょっと変わった趣向のステージを組んだりもしましたよね。
俵 あれは面白かったですね。「せんくら」(仙台クラシックフェスティバル)という催し─クラシックといっても幅広く、いろいろな舞台をみんなで工夫を凝らしてやるようなお祭りなんですけど─があって、私は、その頃仙台に住んでいたので参加させていただいた。「クロコダイルの恋」はその後絵本(『クロコダイルとイルカ』作:ドリアン助川、絵:あべ弘士、二〇一三年)になりました。一つのテーマを、自分の人生の歩みの中で、変化させて温めて長く大事に育てていくというのは、素敵ですね。
割と最近では、旭川でやった日本ペンクラブ主宰のフォーラム(「子どもたちの未来、子どもの本の未来」二〇一八年二月)。私たち二人と絵本作家のあべ弘士さんと三人で朗読もしました。『クロコダイルとイルカ』もそうですけど、あべさんは、それこそ動物を描かせたらピカイチ。
ドリアン 実は、あべさんに「世界で一番会いたい人は誰?」って訊いたら、「不可能かもしれないけど、俵万智さんだな」というんですよ。それじゃ声かけますよといって、あの会が実現したわけ。あべさんにしてみれば夢の世界だったんですよね。
俵 いやいや、それ前もっていっておいてくださいよ(笑)。
常に会っているわけではないけど、ドリアンさんとは同い年ですから、同時代を走っている同世代の表現者としていつも意識の中にあって、今回の本も、すごくドリアンさんらしい形にたどり着いたんだなあと思いました。
同じ星の上にいる生き物のことはなるべく知りたい
俵 寓話的なしつらえというのがドリアンさんらしいし、すごくいいなと思いました。今のような、直接的な言葉というか、人の目の前でパーンと手を叩くような言葉が力を持ちがちで、言葉の洪水の中でものごとをどんどん処理していく時代の中では、人間、いかに生きるべきかというような大きなテーマを考えるのが難しいと思うのですが、今回の本のように動物を主人公にした寓話というものに仕立てることで、大きなテーマの中に柔らかく入っていける。
その手法が一冊目以上に今回の方がこなれていて、このやり方で自在に書けるという喜びがあふれていると思いました。映画でもなんでも、たいていパート1の方がいいんですけど、このシリーズは絶対2の方がいい、と私は思いました。
ドリアン これはそう簡単な道のりではなく、その都度その都度、息が上がりそうな登山をしていたようなものですから、正直、1がいいとか2がいいとかいう客観的な見方はまだできなくて、ただただ這い上がってきたという感じです。でも、俵さんにそうおっしゃっていただいて、とても嬉しい。つまり、劣化しているのではなくて、見るべきところが2になってもちゃんとありますよ、と。しかもまだ伸びていっているんじゃないかって先生に褒めていただいた気分です。
俵 ことに自然や動物の描写が素晴らしいですよね。動物が獲物を探しに行くときに気配を消す感じとか、この人、動物をやっていたことがあるの? と思うぐらい文章に血が通っていて、同時に詩のような美しさもある。
ドリアン 書いていると本当にその動物になっちゃうんですよ、気持ちの上でね。ヒマラヤタールでもインドスイギュウでも、その動物になり切って世界を見ている、そういう時間が確実にありますね。
俵 そうした描写の下支えがあるから、そこから先の哲学的な話がスッと入ってくる。動物の部分がおざなりだったら説得力がないと思うんですよね。
ドリアン 哲学も同じなんです。大学の専攻は東洋哲学科でしたけど、西洋哲学も読んでいて、いろいろな哲学者の影響を受けた。そうすると、それぞれの哲学者の本を読むときには、その人の視線やものの考え方を通して、この世界を捉えていく。トラになったり、サイになったりするのと同じで、その哲学者になっちゃうんですよ。
だから、そうしたさまざまな哲学者の世界の捉え方や命の捉え方と動物の視点が私の中でくっついたのがこのシリーズなんですね。
俵 今思い出したけど、ドリアンさんに「俵さんは、オポッサムに似ている」といわれたことがある。コアラに似ているとかだったらわかるけど、オポッサムって名前、人生で初めて聞いたから、一体何をいわれているのかよくわからなかった。どうしてこんなにいろんな不思議な動物を知ってるんですか。
ドリアン 同じ星の上にいる生き物─植物も含めてですけど─のことはなるべく知りたいという思いがあって、たとえば私のスマホには瞬時にして植物や虫の種類がわかるアプリが入っている。ああ、これがセンダンの花なのかとか、雑草といわれているものの名前を知ることの喜びみたいなのがあって、子どもの頃からそうでしたね。
俵 私のスマホにはワインのラベルにかざすとそのワインの値段や由来、産地などが出てくるアプリが入っているんですけど、大変反省しました(笑)。じゃあ、昔から自然や動物に興味があったんですね。
ドリアン 小学生の頃は帽子の中にいつも虫がいっぱい入っていましたから。でも、中学生ぐらいになると、虫よりも女の子の方に気持ちが動き出すじゃないですか。初キッスなんてことも夢想して、きっと相手の女の子は帽子の中でクワガタがもこもこ動いているような男とそんなことしないよなとか思い始めて、徐々に比重が変わってきた。もしあの子どもの気持ちのままいっていたら、今頃、昆虫博士か何かになっていたと思う。
俵 どっちがよかったんだろう(笑)。でも、一朝一夕の動物好きではないという、人生の厚みがありますよね。
ひと口に哲学といっても本当に幅広くて、この本の中でも、それこそ人生いかに生きるべきかということから、辺野古の環境破壊の話、いじめ、差別、親ガチャまで、身近な問題も取り上げられているところがすごくいいなと思いました。
健康法としての朗読って素晴らしい
ドリアン かつてはバンドの中で語ったり朗読したり歌ったりしていましたが、一人でも朗読、声に出すということがとても大事だなと思って、今、この動物哲学シリーズの朗読会を全国でやっているんです。一編三十分ぐらいで読めるので、長さもちょうどいい。今度の本に入っている話も、順次朗読していこうと思っています。読むのではなく文章を全部頭に入れて朗読するので結構大変なんですけどね。
俵 一人芝居みたいな感じかな。
ドリアン そう、一人芝居みたいなもので、間にカンツォーネを入れたりとか、ここから始まるステージというのも新しく生まれつつある。それに朗読って健康法としてもいいんですよ。割と体力使うし、人前で読むには何回も練習しなきゃいけない。年取ってから走ったりとかあまりしたくないじゃないですか。その点、健康法としての朗読って素晴らしいなということに最近気づいたんです。
ところで、俵さんの歌集にどれぐらい生き物が登場するんだろうと、読み返してみたんですけど、そこには揺るぎないものがありました。俵万智さんという生活者、今を生きている人の感覚で生き物と接していて、たとえば「カラスから干し柿守る盾として秋の網戸に出番が来たり」(『アボカドの種』より)とか、生き物との関係を
私の場合は、いきなりトラになったりカラスになったりするわけですけど、俵さんは生活者としてどんと真ん中にいて、やっぱりこれが俵さんなんだなと感服して読みました。
俵 何か好きな生き物の歌ありました?
ドリアン 生き物がよく出てくるのは、やっぱり俵さんが石垣に暮らしていたときのものですね。「牧水が海亀ならば泣きながら浜辺に産んだ歌の数々」「なぜここに蝶がいるかはわからない「そんなものなの」「そんなものです」」(いずれも『未来のサイズ』より)。これ、すごく哲学入っていますよ、偶然と必然という意味では。
俵 それは
ドリアン 「足元のヤドカリたちが動き出す私の気配が消えたしるしに」(『未来のサイズ』より)。
俵 これは実感ですね。
ドリアン これは歌でもあり詩でもあることの本質なんですけど、自分が体験したことをきちんと伝えるには、生き物と共感する部分がなきゃいけないし、そこには新しい地平と共感が両方含まれていないといけない。何回読んでも新しく感じるのは、そこに揺るがない万智さんがいらっしゃるからで、だからすごく安心して読める。
俵 沖縄にいるとき、私の住んでいる家の前にマングローブが生えていたんです。マングローブというのは汽水域に生息できる植物の総称なんですけど、別に塩が好きなわけではなく、塩分がちょっとあるところで生活すれば競合するものがいないということなんですね。木の中に黄色い葉っぱが一枚あって、そこに塩分を蓄えて、我慢できなくなったらその黄色い葉をぽろっと落とす。歌集にも書きましたけど、地元ではその葉を「犠牲の葉」と呼ぶんですね(「一枚に塩分集め落とす知恵 マングローブに「犠牲の葉」あり」(『未来のサイズ』より))。
生き物の生態が哲学的な示唆をもたらしてくれるということでは、その経験が強く印象に残っています。
ドリアン 生き物とは関係ないですけど、「40+20=60 母として成人している還暦の朝」(『アボカドの種』より)という歌、ああ、そうかって、すごくよくわかります。
俵 同世代ですからね。私、四十歳で子供を産んだから、子供が二十歳になるとちょうど私が還暦という、四十足す二十が六十ぴったりみたいな気持ちになりました。
ドリアン お子さんには、うーんとちっちゃいときにしか会ってないんだけど、ほんとうに可愛かったですね。
そんな時の流れも思い出せて、今日はとても味わい深い時間でした。ぜひまた「クロコダイルの恋」以来のコラボをやりましょう。
俵 いいですね。

ドリアン助川
どりあん・すけがわ●作家、詩人、歌手。
1962年東京都生まれ。明治学院大学国際学部教授。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。小説『あん』は英語、ドイツ語、イタリア語など26言語に翻訳される。フランスでは「DOMITYS文学賞」「読者による文庫本大賞」など4つの賞に輝く。『線量計と奥の細道』『水辺のブッダ』『青とうずしお』『幸運であるトムとセセリチョウの世界』など著書多数。朗読や歌のライブ、ポッドキャスト「ドリアン助川 ECHO WORDS」も展開している。

俵 万智
たわら・まち●歌人。1962年、大阪府生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。学生時代に佐佐木幸綱氏の影響を受け、短歌を始める。1988年に現代歌人協会賞、2021年に迢空賞を受賞。『サラダ記念日』『未来のサイズ』『生きる言葉』の他、歌集、評伝、エッセイなど著書多数。





