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インタビュー/本文を読む

赤坂憲雄『宮﨑駿の詩学』
宮﨑駿の中心にある、世界を考えるための「問い」

[インタビュー]

宮﨑駿の中心にある、世界を考えるための「問い」

「詩学」という方法で赤坂憲雄さんが宮﨑駿の映画から読み取ろうとしているのは、有史以来、人類が包まれてきた原始的な風景そのものだ。宮﨑作品に描かれている豊かな世界像を言葉の内で見つめながら、その先で「人間はいかに生きてきたか」という壮大な問いに迫る。宮﨑駿と赤坂憲雄という二人の詩的想像力が掛け合わされた本書は、この世界を根源の部分から捉え直そうとする実に遠大な射程を持つ思想書なのである。宮﨑駿の作品たちは今、私たちにいったい何を示してくれるのか。赤坂さんがこの本に込めた思いを伺った。

聞き手・構成=長瀬 海/撮影=露木聡子

宮﨑駿の思想的な豊かさが今ならわかると思った

──赤坂さんは二〇一九年に『ナウシカ考 風の谷の黙示録』を刊行されています。あの本では『風の谷のナウシカ』を思想書として読み、同作に黙示録への抵抗の可能性が宿っていることを指摘されていました。前著からの七年間で赤坂さんの思索はどのように深まり、今回の本を書くに至ったのかお聞かせいただけますか?

『ナウシカ考』を書こうと思った背景には、それ以前に漫画版『ナウシカ』を論じた本が全くなかったことがありました。それなら自分でしっかりと論じようと思い、映画版と漫画版を一緒に読み解きながら、『ナウシカ』の世界がどのような思想的な射程を持つのかを考えました。一応のかたちになったとは思うのですが、それでもまだ全てを解き切った感じはなかったんです。例えば、ナウシカがトルメキア王国を統べるヴ王とともに、火の技術を使って全てを焼き払う場面がどういう意味を持つのかわからなかった。『ナウシカ考』を書いたあともずっと考えていたんですが、『君たちはどう生きるか』を観て、なんとなく理解できた気がしました。というのも、あの映画では『ナウシカ』と同じテーマが反復されていたからです。世界を神の視点から創るということに対する拒絶がどちらにもある。そう感じたときに、今なら宮﨑さんの思想的な豊かさを包括的に論じることができるかもしれないと思いました。

──今回の『宮﨑駿の詩学』は、地・水・火・風・空という章を立てながら宮﨑駿の世界像について考える壮大な批評として書かれています。個別の映画を深く掘り下げるような、いわゆる作品論ではありませんね。

 もともと大学でジブリ映画を読み解く授業をやっていたときは一つひとつの作品を丁寧に学生に向けて論じていました。でも、宮﨑駿の映画には、作品単体では見えないことがたくさんあるんですよ。通底しているモチーフや、繰り返し現れる風景を並べてみることで、これまで誰も気づかなかった宮﨑駿像が見えてくるんじゃないかと考えました。

──網羅的かつ包括的に論じるという構えで筆を進められているためか、読んでいると赤坂さんが宮﨑駿の原風景を一つの大きなタペストリーのようなものとして織り上げているように感じました。と同時に、そこから人類がかつて見ていたプリミティヴな情景を摑もうとしている感覚もありました。

 宮﨑駿の世界には天と地の間で火と水と風が戯れるようなイメージがずっとあったと僕は勝手に思っています。作品はあらゆる解釈に対して開かれているはずなので、そういう枠組みで論じることも許されるはずでしょう。宮﨑さんの世界はあれだけ豊かな風景に満ちているのに、言葉が追いつかず理解ができない。そういうもどかしさを少しでも突破したいという気持ちはありましたね。
 宮﨑駿の原風景をタペストリーのようにとおっしゃいましたが、まさにそうなんですよ。実は、この本には『宮﨑駿の曼荼羅』というタイトル案がありました。現在の視点で宮﨑さんの作品を見返すと、まるで曼荼羅が浮かび上がってくるような感覚を受けます。と言っても、その中心に向かって宮﨑さんが糸を紡いでいるわけではない。あくまでも受け取る側のなかにそのようなイメージが湧いてくるんです。

宮﨑駿の想像力を詩学の側から摑む

──前回の『ナウシカ考』では、すでに『ナウシカ』のなかに詩学を読み取る批評的な視座が提示されていました。しかしその詩学はロシアの批評家ミハイル・バフチンがポリフォニーという概念で展開したような、多声的な響きあいとしての詩学でした。今回の本では、フランスの哲学者ガストン・バシュラールが説いた詩的想像力としての詩学の側から考えていらっしゃいますね。

 世界がどのように作られているのかを原始的なイメージに立ち返りながら考えたときに、僕の頭に思い浮かぶのは、世界の五元素である地水火風空が一つの交響楽を奏でている、そういう風景でした。それを手探りで考えようとしたのですが、なかなか難しい。そこでバシュラールが参考になるだろうと思いました。ただ、バシュラールの詩学は理論や方法論ではなく、作法のようなものなので、他人が真似することはできないんですよね。ひとまず彼の詩学を踏まえた上で、人間のイマジネーションを物質化する方向で考えを展開してみました。でも、目算がほとんどないまま書き進めたので、「すばる」で連載を担当してくれた編集者はとても不安だったと思いますよ(笑)。

──全体像がないまま書いていたんですか?

 先のことは全く見えていませんでした。世界は地水火風空でできているという大きな枠組みだけがあり、それを切り口にして浮かび上がるものをそのつど、自分の言葉で探っていきました。それをそのまま本にしたので読者もきっと次に何が出てくるかわからないと思います。書き手ですらわかっていなかったんだから。その予測不能な感じを楽しんでもらえたら嬉しいですね。

──赤坂さんの論考を読んでいると、宮﨑駿が持っている思念の強固さ、深さに気づかされます。宮﨑は初期の頃からそれを手にしていて、変奏させながら物語を作り上げてきたんだな、と。例えば、宮﨑作品としては最初期に制作されたアニメーション作品『未来少年コナン』には後に『風の谷のナウシカ』に出てくる都市鉱山がすでに描かれていた、と赤坂さんは書かれています。しかも人間の捨てたゴミでできた山という意味の都市鉱山という言葉は、両作が作られた頃にはまだなかったわけですよね。

 ええ、『ナウシカ考』を書いたときに調べたんですが、都市鉱山という言葉が初めて概念として使われるようになったのは一九八八年でした。未来を予見したというと宮﨑さんは嫌がるでしょうけど、SF的な想像力が地水火風空という人間のプリミティヴなイメージと結託したときに、途方もなく豊かな世界像が描けることを示したのは間違いないでしょう。だからこそ、それをちゃんと指摘して味わうべきだと僕は思うんです。
 宮﨑さんが一九八三年に発表した美しい絵物語『シュナの旅』(アニメージュ文庫)は、こんな言葉で始まります。「いつのころか/もはや定かではない/はるかな昔か/あるいはずっと/未来のことだったのか/氷河がえぐった/旧い谷の底に/時から見捨てられた/小さな王国があった」。宮﨑駿が言葉の人でもあることを示す冒頭ですが、そこでは過去と未来を不思議なかたちで交錯させていた。僕は『未来少年コナン』で〈のこされ島〉に落ちたロケットが『ナウシカ』のセラミック鉱山の原風景だと考えていますが、そこからも宮﨑さんのなかでは時間が単線的に過去、現在、未来と繫がっているわけではないことがわかります。過去と未来をひっくり返して接続させるような想像力が、宮﨑さんの奥底に常にあり続けているのでしょう。

人類の進歩を否定も肯定もしない

──興味深かったのは、赤坂さんが宮﨑駿の作品から、近代以前の部族共同体が抱え持っていた反国家的な思想を読み取られていたところです。赤坂さんはフランスの人類学者ピエール・クラストルの言説を参照しながら、宮﨑のなかに「国家に抗おうとする社会への憧れ」があることを指摘されていました。確かに宮﨑映画では近代以前の部族が理想的な社会モデルとされているふしがありますね。

 宮﨑駿の映画で中心的に描かれている共同体はせいぜい数百人で構成されているものが多いんです。だからそのリーダーも王ではなく、族長と言ったほうがいいでしょう。彼女・彼らは支配的な権力を振るうわけではない。持っているのは言葉だけ。そういう部族社会のあり方を宮﨑さんは理想形として考えているんじゃないかと僕は思います。
 宮﨑さんは国民国家を肯定的には描きません。例えば『紅の豚』には不思議な空賊が出てきますが、あそこにあるのは、かつて網野善彦が何にも属していない空間を指して言った「無主・無縁」の世界のようなものです。調べてみると、実際に一九二〇年代後半のアドリア海にほんの短い期間、国家と国家の隙間のような状態があったらしい。それを作品に投影したのかはわかりませんが、宮﨑さんのなかにアジールに生きている人たちへの共感のようなものがあるのは確かだと思います。

──近代以降の人間が重んじた進歩史観に対する宮﨑駿の鋭いまなざしは、火の技術の描き方にも表れていますね。火は人類にとって豊かな恵みでもあるが、大量殺戮へと繫がる技術の動力源でもある。宮﨑はその両義性を映画のなかで見つめ続けてきたのだと赤坂さんは書かれていました。ここで重要なのは、宮﨑が火の力を否定も肯定もしていないことだと思います。

 そうですね。例えば『もののけ姫』では遊女やハンセン病者といった差別の対象とされてきた人たちが武器を作るタタラ場が出てきましたが、あそこは火の技術の拠点のようなものです。あの場所を率いるエボシ御前は、新しい武器によって国家的な秩序を根底から突き崩そうと考えているわけですが、宮﨑さんはその野心を肯定するわけではない。あるいは漫画版の『ナウシカ』で城オジたちが「火は森を一日で灰にする。水と風は百年かけて森を育てるんじゃ」と言いますが、では宮﨑さんがその思想を自分のものとして老人たちに言わせているかというと、そうではありません。
『ハウルの動く城』ではカルシファーが火の神にして悪魔でもある存在として描かれますよね。僕はあの作品には「人類にとって火とは何か」という根源的な問いかけがあると思っています。それに対して結論はありません。宮﨑さんはいつも問いを提示しているのであり、答えを人々に伝えているのではない。それはとても大切なことだと思いますね。

──つまり、宮﨑駿の作品は一つのメッセージを持つものではない。宮﨑映画の中心にあるのは、この世界について考えるための問いなんだということですね。

 僕が言いたかったのはまさにそれです。メッセージじゃないんですよ、宮﨑さんの映画にあるのは。多くの人たちはそこを誤解している。例えば『ナウシカ』を観て、エコロジーの正義を体現した作品だと受け取ってしまうように。僕はそういう解釈の仕方をしたくなかった。だから今回の本では個々の作品論を展開しませんでした。それだとメッセージやテーマを探すことになってしまうから。
 宮﨑さんが映画を作るのは、問いかけたいからなんだと思います。火とは何か。大地とは何か。風とは、空とは、水とは何か。そういう根源的な問いをぶつけ合ったり、重ね合わせたりしながら映画を作っている。それらの問いを『君たちはどう生きるか』までが揃った現在の鳥瞰的な視点で見つめると、さっきおっしゃったような一つの壮大なタペストリーが見えてくるんです。 

宮﨑駿がいることは奇跡的なできごと

──「空の章」では、「宮﨑駿がつねに極限において問いかけていたのは、技術と権力の隠微にして不条理な関係であった」と書かれていました。宮﨑は人類が犯した過去の過ちを現在の正義から断罪したり反省したりするために映画を作っているわけではない。赤坂さんはそう考えるからこそ、実家がゼロ戦を作っていた宮﨑駿の戦争経験のような、個人的な原体験を探る方に筆を向けないわけですね。

 火は悪であると言ったら人間は人間じゃなくなるんですよね。漫画版『ナウシカ』には森の人が出てきます。彼らは火を捨てた人たちです。火を使った武器を持たず、火を使って料理することもしない。ナウシカはそんな彼らに仲間にならないかと誘われますが、拒む。つまり、火を捨てた人類のあり方を認めるわけではない。
 宮﨑さんは一つの答えに収斂しゅうれんさせるような物語の組み立て方は絶対にしません。自然を愛するからと言って、そういう自分の思考に合った映画を作り、観客から共感を得ようとはしない。だからこそ、一つの作品のある断片だけを切り取って、宮﨑駿はエコロジーの思想を唱えていると決めつけるような読み解き方では、彼の映画の豊かさは捕まえきれないと思います。

──宮﨑駿の想像力は社会的な正しさを訴えるためだけに発揮されるのではなく、もっと広く、深い文学的な射程を持っているのだ、と。

 そもそもSF的な想像力とは、これまで人類が培ってきた経験の延長線上にある風景を見るためのものではないんですよね。経験の積み重ねでは届かない世界を考えるための問いを摑む。それを可能にするイマジネーションなんです。僕たちの世界は今、そのように考える射程を切実に必要としている。宮﨑駿はずっとそれを見せてくれていたんだと思います。
 あれだけのたぐいまれな批評的なまなざしを持った言葉の人がアニメーションを作っていたことは、奇跡のようなできごとだったかもしれません。はたして同じような奇跡がこれからの日本で起こりうるかはわからない。しかし、宮﨑駿がいて、ジブリが一つの時代を作ったことは間違いないわけだから、その意味をちゃんと考えなければならないんじゃないかなと僕は思っています。

赤坂憲雄

あかさか・のりお●民俗学者。1953年東京都生まれ。
東北学を提唱し1999年に雑誌『東北学』を創刊。『岡本太郎の見た日本』で2007年にBunkamuraドゥマゴ文学賞を、2008年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『異人論序説』『王と天皇』『境界の発生』『結社と王権』『東北学/忘れられた東北』『性食考』『ナウシカ考 風の谷の黙示録』『奴隷と家畜 物語を食べる』『怪物たちの食卓 物語を食べる』『いくつもの武蔵野へ 郊外の記憶と物語』など著書多数。

『宮﨑駿の詩学』

赤坂憲雄 著

発売中・単行本

定価2,420円(税込)

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