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阿古真理『ウォーカブルでいこう!』
[第1回]散歩が楽しい町づくり

[新連載]

[第1回]散歩が楽しい町づくり

「ウォーカブル」な町とは?

「歩いて楽しい町」を指す「ウォーカブル」という言葉をご存じですか? この言葉を提唱した都市プランナーのジェフ・スペックは、『ウォーカブルシティ入門』(松浦健治郎監訳、学芸出版社、二〇二二年)で、歩行者に好まれるための定義を満たす条件として「利便性が高い」「安全である」「快適である」「楽しい」を挙げています。「ウォーカブル」は直訳すれば「歩くことができる」ですが、歩道もなく自動車の交通量が多い道、陽射しや風を遮るモノもない道は、条件から外れそうに思えます。
 都市計画を依頼された都市に住んで町づくりの構想を練るスペックは、同書執筆時はローマ在住で「通りの半分には歩道がなく、ほとんどの交差点には横断歩道がなく、舗装は不均一でわだちがあり(中略)坂道は急であり、頻繁にある」この町が、旅行ガイド『ロンリー・プラネット』で「世界の歩きたくなる都市トップ10」に選ばれたと記しています。スペックはこのランキングが「歩行者の快適さよりも見どころの多さに基づいている」と説明したうえで、歴史ある町の「無秩序で障害物の多い」道が、なぜか歩行者をひきつける、と書いています。発見があることやその地の歴史の蓄積が、歩きにくさを超えて人を魅了することがあるのです。
 今回の執筆に先立ちいくつもの町を訪れた私は、海と山が近い熱海あたみや山と川が近い青梅おうめで、階段や急坂が多く、その段差ゆえに視界がダイナミックに変わるさまを楽しみ、小道をワクワクしながら歩きました。その一方で、数年前には坂道だらけの町にを上げ引っ越しています。観光客にとってはウォーカブルな町も、疲れた人や足が不自由な住人にとってはそうとも限らない。この概念はどうやら、正解が一つではなさそうです。
 ウォーカブルはしばしば車と対立します。車は物流に不可欠で便利ですが、観光やドライブで通りすがりに気になるスポットを見つけても、駐車できなければ立ち寄ることができません。一方、徒歩は気軽に立ち止まれるものの遠くへは行けない。それを補完するのが公共交通機関と自転車。最近はシェアサイクルや電動キックボードが発達してきました。ヨーロッパのように、日本でも列車に自転車を持ち込むことが一般化し、自転車道がもっと整備されるなどすれば、歩く楽しみはさらに充実するでしょう。
 これまでの都市設計は、車優先でした。それを歩行者中心に組み直そうという試みが今、各地で行われています。令和が始まると同時(二〇一九年五月)に国土交通省がウォーカブルという言葉を使い始め、「ウォーカブル推進都市」を募集しました。まず約二〇〇都市が手を挙げ、二〇二五年三月末で三九〇に上る自治体が賛同しています。すでに取り組んでいる自治体もあります。あなたの町でも最近、車道との段差のない広い歩道ができたり、川沿いに遊歩道がつくられたり、公園にカフェができたりしていませんか?
 スペックは先の書で、興味深い人間の特性を指摘しています。広い車道は自動車が速度を出しがちなので、歩行者には狭い道のほうが安全。人間は狭い空間や隅っこを喜ぶ。高い建物は感覚を狂わせる。五階以上のオフィスや住宅は公共空間と切り離されてしまう。そういった特性を考えると、近年の再開発で誕生している町は、果たしてウォーカブルと言えるでしょうか?

タワマン建設がもたらす変化

 再開発する理由の一つは、災害時の被害を減らすためです。戦後復興の際などに建物が密集してできた町や地域は、被害が大きくなるリスクが高く、狭い路地には緊急車両が入れないといった問題があります。
 高度経済成長期に大都市の人口が急増したことを受け、都市近郊の農村や丘陵地、埋め立て地に建設された巨大団地群やニュータウンも、近年は限界集落化しているところがあります。人口が減少し経済も伸び悩む中、コンパクトな町にすることは、福祉やライフラインといったインフラを整備・管理する自治体も望んでいます。共働きの子育て世帯も、正社員の仕事を見つけにくい郊外より都心の職場に通勤しやすい町に住みたい。そんな人たちの受け皿の一つが、規制緩和で増え続けるタワーマンションです。
 しかし、タワマンは一度に数千人規模の新住民が発生するため、受け入れ側は大変です。『読売新聞オンライン』二〇二五年三月三〇日配信記事によると、神奈川県川崎市の武蔵小杉では、タワマン建設を伴う再開発で個人商店や工場が減り、人口は増えたのにタワマンが建つ地区の町内会の加入者は減って、解散することになりました。
 私は長年、東京都品川区の武蔵小山の近くに住んでいました。今もたまに行くと、再開発で大きく変わったことがわかります。武蔵小山商店街パルムは、一九五六(昭和三一)年に日本初の大型アーケード街になりました。しかし時代は移り、老朽化した駅前の闇市跡の飲み屋街は再開発で消え、二〇一九年に地上四一階、総戸数六二八戸、二〇二一年に地上四一階、総戸数五〇六戸のタワーマンションができました。どちらも低層部分は商業施設が入っています。さらに三棟の建設予定があるそうです。
 その結果、商店街の鮮魚店や青果店が増えたのはよかったのですが、パルム商店街内の東急ストアは成城石井に入れ替わり、タワマンにビオセボンやピカールといった高級食品チェーンが入り、地域に一食一万円前後のレストランも登場しました。町の雰囲気は確実に変わりつつあります。このように、再開発によって町の高級化が進み、住人や働く場が変化し町の文化にも影響を与えることを、「ジェントリフィケーション」と言います。

変わりゆく「せんべろの町」

 ジェントリフィケーションの要素を含む再開発は、庶民の町でも行われています。その一つが、「せんべろ(千円でべろべろに酔える)の聖地」として知られる東京・葛飾かつしか立石たていしです。タカラトミーの本社があるため、かつては下請け工場がたくさんありました。『人口減少時代の再開発』(NHK取材班、NHK出版新書、二〇二四年)によると、戦後は京成立石駅北側に生活必需品を扱う個人商店が軒を連ねた「立石デパート」が誕生。しかしスーパーが台頭すると飲み屋街へ変わり、いつしか「吞んべ横丁」と呼ばれるようになりました。
 私がこの町を訪れたのは二〇二五年三月。吞んべ横丁を含む駅北側の商店街は、工事壁に囲まれた更地になっていました。着工は二〇二五年一一月一日で、二〇三〇年三月末に地上三六階建のタワマンと一四階建の新区庁舎ができます。南側のアーケード商店街はまだ手つかずで、人気のもつ焼き・煮込み「多゛」は平日の午後なのに、二〇人ほどの行列ができていました。アーケード街には二カ所も公衆トイレがあり、精肉店、青果店、鮮魚店、蒲鉾店、漬物店などが軒を連ね便利そうです。北口側は再開発を機に閉店した店も多いそうですが、南口側のタワマン建設が始まれば、こちらでも閉じる店が出てしまうのでしょうか。
 ロシア‐ウクライナ戦争や人手不足などによる建設費の高騰で各地の再開発計画が中断し、立石でも膨れ上がる開発経費が問題視されています。さらに、『人口減少時代の再開発』によると、もとは火事に遭えば一帯が焼ける、と地権者が再開発を求めていました。しかし開始までの二五年の間に、庁舎をここへ移転させる区の意向が優先される形に変化したそうです。地権者には新しい建物を使う権利がありますが、地価も物価も上がるでしょう。住民の生活への影響は避けられません。立石は、すっかり別の町になるのではないでしょうか。
 町の姿が変われば、今のことは忘れられてしまう。せめて記憶を書き残そう、と町の人たちが二〇二三年、聞き取りを中心にしたZINE『みんなの立石物語』(みんなの立石物語プロジェクト編)を刊行し始めました。二号によると、吞んべ横丁にあったスナック「さくらんぼ」はシンガーソングライターのあいみょんが来店した結果、ファンが訪れるようになりました。北口にあったお好み焼きともんじゃ焼きの店「おはじき」が開業した一九九〇年代末頃は、店の前にパチンコ店とカラオケ店の入るビルがあり、人がすれ違えないほど自転車が並んでにぎやかだったそうです。

町歩きが人気になったのは、いつから?

 ところで、ウォーカブルの要素を含む町づくりは、必ずしも行政だけでなく産業界や市井の人々による取り組みも入り混じります。そもそも、歩いて楽しむ散歩が注目され始めたのは、いつ頃からでしょうか。「風景」が発見されたのは都市化が進む近代でしたが、散歩もどうやら、自動車の普及が関係しているようです。
 社会批判を含む散歩を始めたのは、前衛芸術家の赤瀬川原平らでした。赤瀬川が書いた『超芸術トマソン』(白夜書房、一九八五年)は、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」=「トマソン」の撮影を、雑誌連載で呼びかけ収集した記録です。この呼び名は、当時読売巨人軍にいたアメリカ人バッターのトマソン選手から取られています。赤瀬川が一九七二(昭和四七)年、仲間と東京・四谷を歩いていた際、建物の側面に上った先に入口がない七段の階段を見つけ、「四谷階段、もしくは純粋階段」と名づけたのが最初。このほか、塗りこめられた窓の跡、ビルの上層階壁面のドアといった、本来の用を果たさないトマソンが全国で発見されます。
 赤瀬川らはやがて、収集仲間を見つけます。『路上觀察學入門』(赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編、筑摩書房、一九八六年)に寄稿した歯科医師の一木努いちきつとむは、上京したての一九六八年、一八九四(明治二七)年に建てられた初代三菱一号館の解体現場で拾って以降、さまざまな解体現場でカケラを収集していました。
 一九八〇年代に次々と書籍化され、注目された彼らの活動は、資本主義批判を含んでいます。赤瀬川は『超芸術トマソン』の四谷階段を発見したくだりで、「そういう不経済なことは資本主義が許しません。この資本主義の世の中に作られてあるものは、全部役に立つものばかりです」と書いています。一木は『路上觀察學入門』で、二〇年間で訪ねた解体現場は約四〇〇にも上り「それぞれが建物の一部として生きていた『豊かな時代』がしのばれてならない。建物が解体されるとき、建築に携わった人たちの情熱も、刻みこめられた歴史も、街の景色や思い出も、ともに打ち砕かれ、粉々の破片となって、葬り去られてしまうのである」と書いています。人々に愛された建物が解体される、あるいはそうした一画が再開発されるとき、しばしば反対運動が起きるのは、運動する人たちのこうした思いがあるからでしょう。私は阪神・淡路大震災で被災した後、更地になると毎日見ていたその風景を思い出せなくなりました。立石の人たちが危惧するように、人は失った風景を簡単に忘れるのです。
 町を再発見する散歩が注目されたきっかけは、テレビ番組と思われます。二〇〇五(平成一七)年に始まった『世界ふれあい街歩き』(NHK)、二〇〇六年に始まった『ちい散歩』(テレビ朝日系、現在は『じゅん散歩』)、二〇〇八年開始の『ブラタモリ』(NHK)など、〇〇年代半ばに人気の散歩番組が次々と登場しました。それまで「散歩が好き」、と言うと枯れたイメージを持たれがちだった気がしますが、長い不況のせいか、成熟社会に突入したからか、町を楽しむ散歩が市民権を得ました。リーマンショックと東日本大震災で、効率重視の社会に疑問を抱く人はさらに増え、新型コロナウィルスによるパンデミックを迎えます。地元に閉じ込められた人々は、散歩を通して住む町の魅力もつまらなさも発見しました。

ウォーカブルな町に住みたい

 私が本連載に取り組んだきっかけは、自分の引っ越しでした。使いやすいキッチンと住みたい町の両方を満たす物件を見つけようと、二〇二四年一月に現在の部屋に引っ越すまでの一年以上にわたった紆余曲折うよきょくせつは、「住みたい町」を真剣に考える機会となりました。
 日常の買い物が便利で、夫は職場がある渋谷へ四〇分以内に行け、最寄りの駅から徒歩一五分以内、在宅仕事の息抜きや打ち合わせができるカフェもあって、散歩して楽しい、災害に強いなどの条件にかなう町は好む人が多くいるため、家賃が割高です。郊外や地方にも魅力的な町はたくさんありますが、しばしば東京都心へ出かけ車も運転しない自分たちの生活を考えると、そうした町に住むのは現実的でありません。
 近隣住宅の庭で季節の花を楽しめる、路地があり、水辺にも行ける、といった散歩の条件を考えると、私が住みたいのは結局、ウォーカブルな町なのです。私の憧れは「自分も」と手を挙げる人が多そうな平凡さなのに、そうした地域が当たり前でないのは、なぜでしょうか。また、こうした快適さを既存の町につくり出すことはできないのでしょうか。
 実は国が旗を振る前から、町を魅力的にしようと取り組む人たちは全国各地にいました。シャッター街だった商店街に新しい店ができる、マルシェなどのイベントが行われる。あるいは、古い建物を保存するなどして景観を守る、古い住宅をカフェなどに転用して維持する人たちもいます。そうした形で地元の町を元気にしてきた人たちは、ずっと前からいたのです。
 コロナ禍でリモートワークが広がり、「寝に帰る」ではなく暮らしの場として地元を再発見する人、移住を考える人も増えました。自治体が推し進める再開発は、悲喜こもごもの急激な変化を引き起こす側面もあります。行政にとっては、町の安全を守ることが必要。地方の場合、女性が離れ人口が減る流れも食い止めたい、といった事情もあります。
 今は、さまざまな思惑と事情が絡み合う、ウォーカブルを考えるちょうどよいタイミングではないでしょうか。

イラストレーション=こんどう・しず

阿古真理

あこ・まり●作家・生活史研究家。
1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに、ルポを執筆。近著に『家事は大変って気づきましたか?』『大胆推理! ケンミン食のなぜ』『おいしい食の流行史』『ラクしておいしい令和のごはん革命』『日本の台所とキッチン一〇〇年物語』『日本の肉じゃが 世界の肉じゃが』等。

『何が食べたいの、日本人? 平成・令和食ブーム総ざらい』

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