[本を読む]
身の回りに転がる「おかしい」は、「公共訴訟」で変えられる
訴訟は多くの人にとって縁遠いものだ。できれば裁判などとは関わりのない安穏な人生を送りたいと思っている人が世の大半だろう。理不尽な目に遭ってもそんなもんだと我慢して、おかしなルールだなぁと思っても歯を食いしばって従う。そうしてできあがった社会は、ちょっと窮屈で息苦しくはあるけれど、耐えられないほどではない。今の日本は、そんなふうにできている。日頃から自分を押し殺しているせいか、我慢競争から抜け出した人に石を投げるのも忘れない。はぁ嫌だ嫌だ。けど仕方ない。
本書は、その「仕方ない」を気持ちよく覆す。社会は完璧なんかじゃなくて、問題だらけ。だから自分たちが「おかしいですよ」と声をあげるのはまったくもって正当なこと、全然アリなのだと教えてくれる。なんなら自分が声をあげて訴訟を起こしたことが、世のため人のためになるんだと気づかせてくれる。
というか、私たちがなにも不都合を感じず、気にさえしていない部分こそ、かつて誰かが訴訟を起こし、国と闘ってくれたおかげだったりするのだ。この手段を「公共訴訟」という。
例を知るとぐっと身近になる。私がもっとも「えっ⁉」と驚いたのは、以前は裁判の傍聴に行っても、メモをとるのは禁止だったということ。これだって自然にルールが変わったわけではなく、「それはおかしい」と訴えた人がいて、最高裁が判断し、知る権利が尊重されるようになったのだ。おかげで今、私たちは傍聴席でメモをとれるというわけ。この一例だけでも、いかにルールというものに
法律や裁判の判例は、たしかに難しい。素人には何度読んでも理解しきれない部分もある。けれど素人こそ、自分や大切な人のために、法のことを少しでも知っておいたほうがいい。身の回りに転がる「おかしい」は、こういう手段で変えられるんだと知っておいたほうがいい。
自分たちの手で社会はどんどんよくしていくことができるなんて、なんだ、最高じゃないか。
山内マリコ
やまうち・まりこ●小説家





