[特集インタビュー]
終活について「自分事」として考え、それを文章にしたいと思いました
この度発売された『わたしの骨はどこへいく?』は、自分が死んだらこの「骨」はどこへ行くのかという問いを切り口に、現代社会で「死」と向き合うために必要不可欠な情報を、明るく、ときにはユーモラスに描いた自身初のノンフィクションです。
著者の安田依央さんは小説家。『終活ファッションショー』で、いち早く終活の必要性を描き、『ひと喰い介護』で介護問題をテーマに書かれてきました。安田さんは、小説家としてのほかに、元司法書士としての顔も持っています。小説家として、元司法書士として、いつかは骨になる一人の人間として綴った『わたしの骨はどこへいく?』はどのように書かれたのでしょうか。
聞き手・構成=タカザワケンジ

重いテーマを読みやすく
──『わたしの骨はどこへいく?』というタイトルがまず斬新です。しかも読めば読むほど内容とぴったり。この発想はどこから?
私はもともと司法書士で、相続をめぐる親族間の揉めごとなどを見て、ずいぶん前から「終活」の必要性を感じていました。皆さんに「終活」を知っていただくための活動もしていて、たとえば、『終活ファッションショー』で小説として書いた、ファッションショーがそうです。その後、終活という言葉が広まったので、私はもういいかなと、一旦、終活と距離を置いていました。
ところが、自分も年をとってきて、親もかなり高齢になってきて、今まで見て見ぬふりをしてきたといいますか、他人事だった終活がいよいよ自分の身に迫ってきました。そこで、終活について「自分事」として考え、それを文章にしたいと思うようになりました。
そこで何か取っかかりといいますか、フックになるものがないかと考えていたところ、ある朝、突然「骨だ!」と思ったんです。
──なんと! 骨とは即物的ですが、その分、率直でわかりやすいですね。読んで驚いたのは、死についての法律の数々。知らないことばかりで、元司法書士の安田さんならではだと思いました。そして小説家でもあるわけで、今回のテーマをノンフィクションとして書かれたのはなぜでしょう。
もしも同じ内容を小説で書こうとしたら、難しかったでしょうね。まだ適切な言葉ができてないというか、みんなが意識していないことを小説にするのはすごく難しい。こういう法律や制度があって、こういう解決策があるかも、みたいなことを小説で書こうとすると、説明過多になってしまいます。小説のような実用書のような中途半端なものになってしまうと思うので、今回はノンフィクションとして書いてよかったです。
──あくまでノンフィクションではありますが、小説家らしく、読者に楽しんで読んでもらおうというサービス精神もありますよね。語り手であるご自身を客観視していて、「三日後、私はペンライトを握りしめたまま死んでいた。オタクとしてはある意味、幸せな死に際だが、問題はその先だ」とさらりと書かれています。思わず噴き出しました。
テーマがテーマなので、どうしても深刻になりがちです。字面だけ見たら死、骨、肉は腐って最後は液状化、というようなあまり明るい話ではないので、なるべく手に取りやすく、気楽に読んでいただけるようにと一生懸命考えました。
──本としても、案内板とかコラムとか読みやすさの工夫がされていますね。
集英社学芸編集部のWebサイト「集英社 学芸の森」で連載をさせていただいていた時は、ああいうものはなかったんです。でも、一冊の書籍として見た時に、最初のほうで法律の話が出てきた時点で「もう無理」と思われることは避けたかった。その先を読んでほしいので、先に行けばこういうものがありますよ、みたいな案内があったほうがいいと思いました。
人の死は抜き身の価値観を問う
──現代の日本人は自分が無宗教だと思っている人も多いと思うんですが、そう思いながらも、自分の骨はお寺にあるお墓に入るだろうと思っていたりする。骨をどうしようと考えた時に初めて宗教と直面し、死生観を問われる。自分がこだわっているものが何なのかと考えるきっかけになると思いました。安田さんご自身もそうした戸惑いを率直に書いていらっしゃいます。
本の中でも書きましたが、私は究極の無神論者だと思っていました。無神論であり無宗教。でも、実際に去年、母が亡くなってみると、本当にそうなのかな、と疑問が湧いてきました。父と二人だけの家族葬で母を送ったんですが、葬儀社の方がお線香立てを用意してくれたんです。「無宗教ですから要りません」と言って、宗教的なことは何もしてもらわないことにしました。でも、そうすると葬儀の間、何をしたらいいんだろう、と手持ちぶさたになりました。宗教の儀式をしないと、何もすることがないんだと気づいて愕然としました。今まで葬儀の時に当たり前だと思っていたこと─所作であったり作法であったり─はすべて仏教だったんだなと。「私は無宗教です」と言っていた私ですら、お葬式では仏教の型に違和感なく従っていたことに気づきました。
振り返ってみると、これまで祖母が亡くなったり、おじ、おばが亡くなった時にはお葬式に参列したんですが、仏教式だったので、私も仏教徒としての振る舞いをしていたわけです。それが、母が亡くなって、いよいよ自分が式を司るといいますか、俗な言葉で言うとプロデュースする立場になってみると、鮮明に死と宗教の関係が見えてきました。
連載中に母が亡くなったので、連載を開始した時と、母が亡くなった後では、宗教についての考え方が少し変わり、より深く考えられるようになったのかなと思います。
──なるほど。昔と今とではお葬式についての考え方も大きく変わっていますよね。故人をどう送るかで親戚の中で意見が割れて、親族同士がけんかして、仲が悪くなった例も時々聞きます。
そうなんですよ。人の死をどう扱うかは、それぞれが抜き身の価値観でやり合わないといけない場面なんだと思います。
だから、決まった形、お仕着せのお葬式の流れに乗ったほうが楽なんですよね。でも、私だけではなく、日本人は宗教となるべく関わらない方向に進んでいる。それは自分たちで選び取った自由でもあるけれど、その分、背負わないといけないものもある。何を選び取るかの自由と責任ですよね。自分の骨をどうするか、自分の死をどうするかを選び取るためには、自分で考えなくてはいけない。
死後、自分の骨をどうしたいのか。自分に信仰は本当にないのか。本当にご先祖様を敬わなくていいのか。自分がどういう死生観を持っているのかを一度見直してみる必要があると思いますね。これが正解というものはなくて、人によって違うから難しいですけど。
──そうですね。だからこそこういう本が一冊あると、じゃあ自分はどう思うのか、あなたはどう思うのかということを話すベースになると思います。また、実務的なことも調べる必要があるのがわかります。コラムで横須賀市のことを書かれていましたね。終活情報の登録制度があるからうらやましい、と。行政の対応も自治体によって違うというのも重要な情報だなと思いました。
そうなんですよね。行政は終活について何もしてくれないのかなと思ったらしてくれるところもあったり、逆にやっぱり何もしてくれなかったりとか。住んでいるところによって違うんです。どこに住んでいても同じように、何かしら行政が助けてくれるといいんですけどね。
現代人の死に法律が追いついていない
──『終活ファッションショー』を安田さんが出版されたのが二〇一二年。二〇一九年に『ひと喰い介護』を発表されていて、どちらも老人たちが直面している問題を小説で書かれています。今回の作品はその先にある「死」と真っ正面から向き合ったことになります。しかも骨をめぐってやがて来たるべき現代社会の問題を先取りされていますよね。
おっしゃる通り、これから死に関するいろいろな問題が噴き出してくるので、そのことをもっと知ってほしいという思いがありました。でも「死」といっても抽象的でピンと来ないんですよ。死を何で表現するかと考えると、一番インパクトがあるのは骨なのかなと。日本人に限らず、全世界の人が一〇〇%持っているのが骨なので、この骨を通して、この国の今後の問題を皆さんと一緒に考えたいんです。
──そうですね。問題の一つとしては、時代の移り変わりに法律がついていけていないのでは、とも感じました。死に関する法律が古くて、かつての日本の家制度の価値観がアップデートされていません。
法律には問題が多いですね。法解釈でできることはないか、現場ではいろいろ考えて工夫してやっていますが、足りていません。やっと最近になって「家族信託をしておけば、老後に認知症になっても安心ですよ」と広くアナウンスされるようになりましたが、とはいえ家族信託って、その言葉通り、そもそも家族や親族がいることが前提なんですよね。もはや家族がいない人、身寄りなき者たちが増加しているのに。それぐらい遅いんです。
じゃあどうするのかといったら、使える法律や行政サービスをつなぎ合わせたり、自分で準備しておくしかない。それが司法書士として「死」の最前線に関わっての感想です。
──本書の中で、安田さんは「身寄りなき者同盟」という提案をされていますね。親族がいない人たち同士が一定の距離感を持ったつながりをつくって、いざという時に助け合おうという「同盟」。この提案に賛同する人は多いと思います。
身寄りのない人が亡くなると困ったことになることが多いんです。病院に入ってとか施設に入ってといった、段階を踏んでの死であればまだいいんですが、孤独死や突然死の場合はそもそもその人が誰なのか特定できないこともあります。
そういうことって実はシニア層だけでなく、若い人でも起こりえます。この本を読んで、もともと身寄りがない人や、身寄りを自ら断ち切ってしまった人は、自分にもしそういうことがあったらどうするのか、ということに少しでも思いをはせていただけるといいと思います。
──もしもの時に誰に頼めるかと考えると、自分の周りの人間関係を振り返るきっかけになりますね。
『わたしの骨はどこへいく?』を、連載していた時に、私の友人、知人から何人にも声をかけられたんです。「何かあったら絶対言うてきてや」とか、「何かあったら行くからね」って。ありがたいなと思いました。私が死んだらこの先、骨はどうなるのか、みたいなことばかり書いていたので、心配してくれたみたいで(笑)。
こちらが壁をつくってしまって、ここから入ってこないでくださいと言ってしまうとそれまで。もしかすると助けを求めることも大事なのかなと思ったりもしましたね。
──骨の話は死の話でもあるんですけど、どう生きていくのかという話でもあるんですね。
本当にそうなんです。この本は自分の骨について考えて、最後には行き先まで書いてしまいましたが、結局、残りの人生をどれだけ充実したものにできるかという意味合いもあるのかなと。終活自体が本来そうで、決して後ろ向きな話ではないんですよ。終わりを考えることで、残りの人生を頑張っていこうぜ、と前向きになれる。この本はそういう本をつくりたくて書いたんです。

安田依央
やすだ・いお●作家。
1966年生まれ、大阪府堺市出身。関西大学法学部政治学科卒業。ミュージシャン、司法書士などさまざまな職業を経て2010年、第23回小説すばる新人賞を受賞して小説家デビュー。著書は『たぶらかし』、「四号警備」シリーズ、「出張料亭おりおり堂」シリーズ、『深海のスノードーム』など多数。司法書士として活動する中、2000年代より「終活」の必要性について、さまざまなイベントや講座を通して啓蒙を開始。『終活ファッションショー』『ひと喰い介護』は、依頼人の終末に関わってきた経験をベースにした小説。現在は執筆活動と並行して、人生の最終章や死後の準備について考えるための個別相談にも取り組んでいる。





