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阿古真理「ウォーカブルでいこう!」
[第11回] ウォーカブルな城下町で(最終回)

[連載]

[第11回] ウォーカブルな城下町で(最終回)

多彩な文化活動が活発な盛岡

 ウォーカブルな町づくりに取り組むさまざまな地域を歩いてきた中で、特に楽しかったのが、今回ご紹介する三つの城下町です。自動車がなかった時代に枠組みができた城下町は、そもそも歩行者向きの規模ですが、二〇二五(令和七)年に歩いた三カ所は、よく人から声をかけられた点でも印象深い場所でした。これらの城下町を通して、ウォーカブルな町に必要な条件を考えてみたいと思います。
 文化的な要素がギュッと詰まっていたのが、岩手県盛岡市です。九月の滞在中の中日なかびは土砂降りで、「これ以上歩けない!」と思ったら居心地がよさそうなカフェが見つかるというくり返しで、五回も休憩しました。羊毛を紡ぎ手織りするホームスパンの産地でもある盛岡では、手芸も盛ん。町家など古い建物が比較的多く残る鉈屋町なたやちょうでは、手芸サークルが活動に使い、リサイクル着物も販売する古民家を見つけました。「手芸店はずいぶん減った」とオーナーの女性は言いますが、歩ける範囲に何軒も手芸店がある町は珍しいのではないでしょうか。音楽や演劇の活動も活発で、ギャラリーや音楽喫茶店も見かけました。
 個性的な書店も点在しています。盛岡城跡公園へ向かう大通り商店街では、店先に岩手関連本を並べ、魅力的なPOPが目立つ「さわや書店」本店で、何冊も買い込みそうになりました。一九六八(昭和四三)年から続く『街もりおか』(もりの都社)、二〇〇五(平成一七)年に生まれた『てくり』(まちの編集室)といったタウン誌も読み応えがあります。そういえば、一九二四(大正一三)年に『注文の多い料理店』を発刊し、宮沢賢治が世に出るきっかけをつくったのは盛岡の光原社でした。同社は現在、材木町に本店を構え、手工芸品店やカフェなどを運営しています。人気クラフトビールのベアレン醸造所のビアパブもある材木町の歩道には、銅像の賢治が座っていました。
 世に出る前の才能を見出すのは、盛岡の文化なのでしょうか。人気の作家、くどうれいんさんを売り出したのは、内丸エリアにある「BOOKNERD」。近年、独自の選書で新刊や古書を並べる「独立書店」が各地に増えていますが、二〇一七(平成二九)年に開業した同店もその一つです。とはいえ、日本で出版まで行う書店は珍しい。同店は開業翌年、くどうさんの初エッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』を刊行しました。オーナーの早坂大輔さんは、「自費出版した本を一生懸命手売りしている若い女性がいてね。この人をデビューさせなきゃ、と思ったんです」と出版社を始めた理由を話してくれました。私が以前、高円寺の書店で買った同書は一六刷で、くどうさんの人気ぶりがわかります。早坂さんは秋田県出身。「なぜ盛岡に移住したんですか?」と聞くと、「盛岡の中心部は、徒歩圏内にレコード店も映画館もカフェも何でもあるから」と言われ納得しました。
 その足で早坂さんに教えてもらった紅茶専門店やじゃじゃ麺の店を訪れ、大いに満足しました。じゃじゃ麺の店では、カウンターで隣に座ったスーツ姿の男性に食べ方を聞きました。その人は食べ終わると財布を確かめ、店員に「会計は現金だけですよね? お金を下ろしてきます」と言って出ていき、戻ってきて会計を済ませ去っていきます。常連でもなさそうなのに、そうしたやり取りがスムーズに行われる盛岡の懐の深さに驚きました。

文化の源泉はどこにある?

 盛岡は二〇二三年、ニューヨーク・タイムズが「2023年に行くべき52カ所」のリストに選んで注目を集めました。推薦した作家・写真家のクレイグ・モドさんが綴ったニュースレターの全文が、岩手県の公式ウェブサイトに掲載されているのでご紹介します。推薦の理由は「川や山々の自然が、散策にぴったりな街中の景色に美しく溶け込んでいる」こと、町の人が気さくで飲食がおいしく、四〇歳未満の人が開く個人店や代々続く店が多い、東京から新幹線で二時間半と近く、新旧の建物が混在する点を挙げていました。
 大きな河川が三つも流れる盛岡に城下町がつくられた理由の一つは、北上きたかみ川の水運が利用できるなど交通が便利だったことです。中心市街地を流れる中津川では、夕方になると高校生たちが河川敷へ降りる階段に座り、おしゃべりしていました。町のあちこちから岩手山が見え、大きな樹木が目立つ点も、この町を美しく印象的にしています。
 空襲の被害が比較的少なかった盛岡には、一九一一(明治四四)年竣工の岩手銀行赤レンガ館(旧盛岡銀行本店)などの近代建築が多く残っています。歴史が目に見えることや自然との距離の近さ、そして長く寒い冬が盛岡を文化的にしたように思います。何しろ読書も演劇も音楽も絵画も手芸もカフェも皆、室内で楽しめる。長い冬に感性を磨く人たちが、文化的環境を守り続けているのではないでしょうか。
 中心市街地の人通りが多い歩道は、エリアごとにデザインが異なる舗石を敷き、車道との段差を減らしています。町の中心にあるバスセンターは二〇二二年にリニューアルし、主に知的障害があるアーティストのプロデュースを手掛け注目される盛岡の企業、ヘラルボニーがアートプロデュースしたホテルも併設しました。
 第8回でお伝えしたように、盛岡駅前は車優先の設計です。しかし盛岡経済新聞二〇二三年一〇月一六日配信記事によると、地元商店街組合が中心となって、歩行者が地下道を利用するしかない通りを歩行者天国にする試みが行われるなど、駅前もウォーカブルにする模索を続けています。

住みたくなった姫路

 仕事柄もあって東京から離れることは難しい、と考えている私が「どこでもドアがあったら住みたい!」と思ったのが兵庫県第二の都市、姫路市でした。同じ瀬戸内文化圏に育ったので親しみを感じますし、スーパーや百貨店などで生活必需品が揃うだけでなく、カフェや書店が点在し、城下町らしい史跡や美術館もある。この町に住めば、徒歩または自転車で暮らしを楽しめそうです。
 一九九三(平成五)年、日本で最初にユネスコの世界文化遺産に登録されたうちの一つである姫路城は、平成の大修理完了から一〇年経っても真っ白な壁が輝く天守閣が、駅の北側のあちこちから見えます。それは、中心市街地の建物に高さ制限が設けられているからです。JR姫路駅から城へ至る大手前通りは、神戸の三宮中央通り、大阪の御堂筋と並んで二〇二一(令和三)年、全国初の「ほこみち(歩行者利便増進道路)」に指定されました。自転車道が設置され、植栽や街路樹がある広い歩道の一部にカフェコーナーができ、ベンチも置かれています。いくつかのベンチの前に、女性のヌード彫刻があることには違和感を覚えましたが。
 姫路の人たちも気さくです。空き店舗の活用に取り組む姫路駅西地区の和雑貨店では、店主の男性に「開店して数カ月なのに、東京から訪ねてくれるなんてうれしい」と感激され楽しくおしゃべり。話の流れでおすすめの店を教えてもらい、夕食は男性客でにぎわう大衆食堂へ、翌日の昼は元食品卸会社の建物をリノベした、地元野菜を使ったメニューが売りの食堂へ向かいます。大衆食堂でカウンター席の隣にいたシニア男性に聞いた話から、みゆき通りでマンションを建設中だった場所に地元の百貨店があったと知りました。
 姫路では、アーモンドバターを塗るアーモンドトーストがモーニングの名物です。以前から食べてみたかったトーストを堪能し、古書店をいくつか回って、本で重くなった荷物を抱えて東京へ帰りました。町に魅力を感じるかどうかは、ウォーカブルなことに加え、好きなジャンルの店があることや、人とつながれるかどうかも大きいと改めて感じました。

リピートしたい観光地、松本

 長野県松本市はファンが多い町です。松本市の調査によると、二〇二四年度の日本人観光客の八割強がリピーターでした。外国人の宿泊者数も、コロナ禍の三年間をのぞけば右肩上がり。少子高齢化が進んでいますが、転入者の四分の一がUターンで二〇~三〇代が多く、世帯全部の転出入では転入のほうが多く、二〇二〇年以降に移住者が急増しています。なぜ松本は愛されるのでしょうか?
 北アルプスなどの麓にある盆地の町、松本は、平安時代から信濃の中心地で、幕藩体制のもとで、松本藩の城下町になった江戸時代以降、今に至るまで産業発展が続いており、教育や文化を重んじる気風があります。
 中心街を、地元在住のイラストレーターの山本香織さん(以下、香織さん)とその夫で東京の清泉女子大学の学長の山本達也さん(以下、達也さん)に案内してもらいました。最初に行ったのは、城の一部だった上土町あげつちまち。明治に町になり、一九一三(大正二)~一九五九(昭和三四)年に市役所が置かれたこともあり、商業も発展しました。映画の町としても人気でしたが、二〇一〇(平成二二)年にすべての映画館が閉館。しかし、一九一七年開館の上土シネマが、二〇二四年に上土シネマミュージアムとして再生。案内してくれたボランティアガイドの学生さんが、将来は外観も建設当時に戻し、映画館を復活させたい、と熱く語っていました。
 続いて訪れたのが、二〇一八年竣工の複合施設「信毎しんまいメディアガーデン」。「前はボウリング場がありました。信濃毎日新聞社の本社ですが、三階までは商業施設として市民に開かれ、町を見渡せる三階テラスが気持ちいいんです」と言う香織さんについてテラスに出ると、北アルプスの山並みがビルの向こうに見えました。残念だったのが、松本城の天守閣がビルに隠れて見えないこと。ただ、周囲からの眺めがよくなるよう、堀の中にあった松本市立博物館はメインストリートの大名町通り沿いへ移転済みで、私が行ったときは元の建物を取り壊し中でした。中心市街地は道路が整備されていて歩きやすく、イベントで活用できるよう歩道を広げた道路もあります。
 二日目は午後から土砂降りだったので、香織さんとカフェ巡りをしました。そのうち二店は、歴史を伝える実家をカフェにした、とオーナーさんたちが教えてくれます。
 三つの城下町それぞれで、初めて行った店でオーナーや客とおしゃべりできたことが、「この町に受け入れられた」と感じさせてくれました。観光客にも魅力を伝えたい、という町を愛する気持ちが伝わってきて、滞在をより充実させてくれたように思います。

「適正サイズ」の理想の町

 新旧さまざまな時代の建物が並び、井戸や水路が点在し、中心に女鳥羽めとば川が流れ、山並みが見える松本の、住み心地はどうなのか。香織さんの友人に集まってもらい、ラジオ番組のパーソナリティでもある六一歳、地元育ちの塚原正子さんが営む「コミュニティースナックまさこ」で聞きました。
 参加者は塚原さん、大阪市出身の五〇歳の香織さん、東京・目黒区生まれの五〇歳で公共政策論が専門の達也さん、地元育ちで地方女性のキャリア支援の会社を営む三九歳の高山未央さん、町づくりのコンサルティング会社の共同代表で四一歳の埼玉県出身、園田聡さん。町づくりにくわしい人の集まりになりました。
 山本夫妻には高校生の娘が一人いて、松本に移住して一四年目。達也さんは東京と往復する二拠点生活です。「二一世紀には、自然環境と都市文化がミックスされる町にクリエイティブな人たちが集まる、と主張する自分が大都市に住んでいたら説得力がない」と香織さんに移住を提案。海外の都市とも比較したうえで松本を選んだそうです。松本が候補に浮上したのは、富山で達也さんが講演をした帰りに家族で訪れたとき。女鳥羽川や明治時代の旅館を改装したカフェ、城があり、外国人も多い松本の町を「ベビーカーを押しながら歩くうちに、二人の目つきが変わった」と達也さんは振り返ります。「調べたら空襲を受けていないし、人口が二三~二四万人余りの規模もいい。移住したかったのは、自分の町を大好きな人たちが住む町。松本は、まさにそんな町でした」。人口約二〇万人は、自宅と職場、遊びに行く場所が徒歩圏内でも完結させられる一方、バッタリ知人に会う気まずさは避けられる規模だそうです。
 やはり人口規模で松本を選んだのが、二〇二一年から松本城三の丸エリアのリノベに携わる園田さん。五歳の息子と二歳の娘、「将来移住してもいい人」だった兵庫県出身の専業主婦の妻と四人で暮らしています。
 香織さんは、「フリーランスなので、どこでも住めます。自然と都市文化の掛け合わせがある点が、決め手になりました。運よく中心部に家を買えたので、保育園も大きな公園も徒歩圏内で子育てする上ですごくラクでした」と話します。
 高山さんは農家の夫、小学校三年生の息子、一年生の娘の四人暮らし。松本市郊外で生まれ、今は別のエリアの郊外に住んでいます。「高校生の頃、町のボランティアをする集団に参加し、この町でできないことはないと思った」と言い、札幌、東京、名古屋に転勤した会社員時代も週末は帰省していたそうです。
 塚原さんは大学進学で東京に行き、マイアミに二年住んだ以外は松本在住で、八七歳の母親と二人暮らし。中心部に住んでいますが、「最近、母が若干買いもの難民」と言います。近所の商店街にあった生活必需品の店が減っていき、よく行く店がなくなってしまったからです。生活必需品が揃うのは郊外の大型商業施設だから車が必要、という地方都市の実情は松本も例外ではありません。園田さんも幼い子どもを抱える生活では必要、と松本に来てから車を買ったそうです。しかし、中心部に来た折は「味噌は大名町の萬年屋さん、鰹節は植田さん」と顔が見える買いものを徒歩で楽しんでいます。中心部で買いものすることは、町の空洞化を食い止める行動にも見えます。中心部でも生き残っている個人店はある。やがては利便性とコミュニティを守り生活を楽しむことのバランスを取る着地点が、見つかるかもしれません。
 松本の魅力を尋ねると、園田さんはお互いを尊重し合える距離感がよいと言い、塚原さんが「お殿様がくるくる替わったせいか、行政に頼らず自分たちで何とかしようとする文化があります」と説明し、「二〇〇〇年代末以降、若い人たちが新しい店を始め、面白くなっていきました」と振り返ります。目に見える形で歴史の足跡を残しつつ、自分たちにとってより魅力的で暮らしやすい町をどのように再構築できるのか。そのやり方を探すことは、松本に限らずウォーカブルな町づくりを試みるすべての町に通じています。
 水辺や道路、古い建物の安全性を高め、使いやすく楽しい場所にすることも、住民や利用者の安全を守り、町の求心力を高めるための再開発も、本当は町の魅力を高めるという同じ目標に向かっています。どの手段を選ぶのか、選ぶことは可能なのか、町にかかわる人たちが納得するための話し合いが必要です。通りすがりのよそ者に気軽に話しかける人が目立つ三つの町は、コミュニケーションを大事にする共通点があるように感じました。それがあれば、ベターな着地点は見つけられるのではないか。町の条件はさまざまですが、コミュニケーションが必要という点は、どこの町でも同じです。権力者が市井の人たちの声に耳を傾けられるのか、住人も人任せでない町づくりを考えられるか。私たちは今、その姿勢を問われているのかもしれません。

※長い間、ご愛読ありがとうございました。

イラストレーション=こんどう・しず

阿古真理

あこ・まり●作家・生活史研究家。
1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに執筆する。近著に『家事は大変って気づきましたか?』『大胆推理! ケンミン食のなぜ』『おいしい食の流行史』『ラクしておいしい令和のごはん革命』『日本の台所とキッチン一〇〇年物語』『日本の肉じゃが 世界の肉じゃが』等。

『何が食べたいの、日本人? 平成・令和食ブーム総ざらい』

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