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今月のエッセイ/本文を読む

松浦弥太郎『今日もごきげんよう』(集英社文庫)
親切の技術

[今月のエッセイ]

親切の技術

 ほとんど外食をしない自分だが、二ヶ月に一度の頻度で通う日本料理店がある。
 四十歳で『暮しの手帖』を作るようになり、日本における上質さと正統さを学びたいと思った。名所名蹟、老舗と呼ばれる名店や旅館、レストランなどを訪ね歩いた。そうした中で出会ったのが『日本料理かんだ』の神田裕行氏だった。
 最初に予約の電話をした際、一人であること。そして、お酒が飲めないがよろしいでしょうか、と聞くと、「ありがとうございます。どうぞおいでください」と快く応じてくれた。
 午後五時に着くと、カウンター席のいちばん奥に案内された。そこは真っ白の白衣を着た神田氏が仕事をする目の前だった。神田氏は「ようこそいらっしゃいました。よろしくおねがいします」と深く頭を下げた。私も「こちらこそ席を作っていただき、ありがとうございます」と頭を下げた。
 この日から神田氏の店へ通うようになり、二十年が経った。席はいつもいちばん奥、神田氏の目の前が続いている。
 神田氏は若い頃にパリに滞在し、日本料理店で料理長を務めた後、徳島の名店『青柳』で活躍し、独立という経歴で知られている。通う度に互いの歩みを語り合うようになり、共通となった外国生活のせいか、なぜか気が合い、いつしか気さくに話すようになった。とはいえ、私からすると、ひとつも敵うことのない兄のような存在であった。
 神田氏から受けた影響というか、学びや気づきは数えきれない。それは氏が追求する料理を通じて、仕事への姿勢、人生哲学ともいえる叡智の体現に触れてきたからだと思う。
 神田氏の一皿の中には、技術だけではなく、迷い、選択し、そして信じるという行為の積み重ねがあった。何を足すかではなく、何を引くか。その決断の潔さに、料理人としての覚悟を見た気がした。
 神田氏は、多くを語らない。しかし、その背中は雄弁だった。続けることの責任。変わり続けるための挑戦。そして、仕事に対して、どこまでも誠実であるということ。料理とは、生き方そのものなのだと、氏の姿を通して私は知った。
 神田氏に料理とは何か、と聞いたことがある。そのときに氏は「料理とは親切の技術」と静かに答えた。この言葉ほど影響を受けたことはないと思うほど、私は深い感動を覚えた。味や食材へのこだわりではなく、「親切の技術」というその哲学に、はっとさせられた。
 親切とは、相手のことを思い、想像し、その人にとって何がいちばん自然で、何がいちばんよろこびになるのかを考え抜くこと。そして、それを過不足なく、さりげなく形にするためには、確かな技術が必要なのだ。
 ちょうどよい温度、ちょうどよい味、ちょうどよい食感、ちょうどよい香り、そして、何より食べやすいこと。料理を出すタイミング。すべてが過ぎないという心遣い。つまり、料理とは、自分を語るものではなく、せいいっぱい相手を思って差し出すものなのだと気づかされた。
 神田氏の料理には、いつも静かであたたかなやさしさに溢れていた。それは、口ではなく、心が「おいしい」と感じる、ほんとうのおいしさだった。客はその一皿を通して、料理を味わうというよりも、あたかも愛されているという体験をするのだ。それは押しつけることも、誇示することもなく、ただそこに在り、食べる人の心にそっと寄り添う心地よいひとときである。
「高級な食材でなくても、一生懸命に親切を込めれば、どんな料理でもおいしいものになるんです。反面、どんなに高級な食材であっても、そこに親切の心が欠けていたら、それは単に口がおいしいと思うだけで、心は動かないのです」と神田氏は言った。
「親切の技術」。その言葉は、料理の世界だけではなく、仕事にも、ものづくりにも、生き方そのものにも通じる、私たちが人生をかけて習得するべきことであると思った。どれだけ相手のことを思い、そのために自分を、どれだけ磨き続けられるのか。神田氏の背中は、そのことを、会うたびに私に静かに教え続けてくれている。
 もうひとつ、私が神田氏から学んだことがある。それは、おいしさとは、与えられるものではなく、自分から探し、見つけるものだということだ。
 ひとくち目で、すぐにおいしいと感じるのは、甘味や塩味といった、調味料の強さに反応しているだけの場合が多いのだという。本来、料理はもっと淡く、静かな味わいであるべきものだと氏は言った。
 香りを感じ、ゆっくりと嚙みしめながら、この料理のおいしさは、どこにあるのだろうと探す努力。そして、ふと、その居場所を見つけたとき、人ははじめて、ほんとうのおいしさに出会う。おいしさとは、用意されている答えではなく、自分の中に見つけるよろこびなのだと、神田氏は言った。
 私は今日も、神田氏の料理の前に座るたびに、問いかけている。この一皿のおいしさは、どこにあるのだろうか、と。

松浦弥太郎

まつうら・やたろう●エッセイスト、クリエイティブ・ディレクター、COW BOOKS代表。
1965年東京都生まれ。2006年より9年間『暮しの手帖』の編集長を務め、15年に新メディア「くらしのきほん」を立ち上げる等、幅広く活躍。著書に『今日もていねいに。』『日々の100』『「自分らしさ」はいらない』『眠れないあなたに』等多数。

『今日もごきげんよう』

松浦弥太郎 著

集英社文庫・発売中

定価1,100円(税込)

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