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岡野大嗣『夜なのに夜みたい』を滝口悠生ゆうしょうさんが読む

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歌の体、文の体

「歳月」「音源」「景観」など十五の章からなり、各章いずれも始めに散文が、続いて短歌が置かれている。ふたつの形式が並ぶことで、そのあいだにひとつの体が、句体と文体を支える体が見えてくる。時間にさとい体、音に敏い体、その時々で様々な敏感さを備えた体が「世界との間に立ち上がる気配」を捉える。短歌は永遠を一瞬に、散文は一瞬を永遠にする。体は屈伸運動をするように歌と文を繰り出す。
 奇妙なタイトルの秘密は冒頭に序章的に置かれた散文にある。朝の目覚めの情景ではじまり、「朝なのに夜みたい」と正しい「なのに」の用法で締められるスケッチのような一段落。その後も二文で一段落を構成する(短歌とは違う)定型を守りながら、人称の示されない主体は外に出て街なかを歩き、「冬なのに夏みたい」「風なのに声みたい」と何気ない景色を逆接で結んだ二語で縁取っていく。しかし次第に結ばれる二語の対立は緩み、日が落ちる頃には「街なのに街みたい」と「なのに」を挟んで同じ語が並び、結局一度も自称を用いなかった主体の一日とこの散文は「夜なのに夜みたい」な夜を迎えて終わる。
 短歌は言うまでもなく、「なのに」という語が続く語に逆説的な対立を要請するように、一見自由で不定型な散文にも随所に型のような力学は働いている。歌も文も、それを構成する言葉は誰もが自由に使用可能ないわばフリー素材で、書き手の創意は用いた語自体でなくその用法に働く。どの夜も誰の夜も同じ夜という名だが、「なのに」という語で同じ二語を結ぶ新たな型のもとに特別な「夜」が現れる。冒頭の散文は一日の経過とともにその型の創出される過程を描いている。
「輪郭」と題された最終章には死の気配が濃い。誰の体もいずれは死を迎えるが、言葉は不在となった存在の輪郭をその後にまで留めるものでもある。最後に置かれた一首は、ぜんたいに希薄だった「わたし」という自称を三つも用いて、しかしそこに他者の声を豊かに響かせる。体が消えて死と生が連絡する。短歌なのに古武術みたいだった。

滝口悠生

たきぐち・ゆうしょう●作家

『夜なのに夜みたい』

岡野大嗣 著

発売中・単行本

定価1,870円(税込)

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