[新連載]
第一章 二つの謎
宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』には二種類のストーリーが存在していると知ったのは、私が高校生のときだった。
ある日の放課後、地域の図書館で偶然手に取った『銀河鉄道の夜』をパラパラとめくっていると、そこに記されている内容が私が小学校の頃に読んだストーリーとはまるで異なったものであることに気づき、しばらく口がきけないほど驚いてしまった。
当初、私はそこに記されている物語は、『銀河鉄道の夜』に影響を受けて執筆された何かオマージュ的な作品か、あるいは誰かが一定の意図を持って物語のあらすじを組み替えた模倣作ではないかと疑った。私としては、それまで認識していた『銀河鉄道の夜』の内容の方が物語的にははるかに優れているように思えたし、私の中で大切にしていた思い出が不意に傷つけられたような痛みさえ覚えた。
そのとき図書館で見つけた『銀河鉄道の夜』の筋書きは、要約すると次のようなものだった。
ケンタウル祭の夜、学校でいじめにあっている主人公の少年ジョバンニが一人で丘の上に寝転がっていると、どこからか「銀河ステーション、銀河ステーション」という声が聞こえ、気がつくと、親友のカムパネルラと一緒に銀河鉄道に乗っている。二人はともに銀河を旅しながら行く先々で個性的な人々と出会い、人間として大きく成長していくが、あるとき列車の中から親友の姿が消え、主人公はもといた丘の上へと戻される。少年はそこでカムパネルラが級友を助けるために川に落ち、亡くなったことを知らされる。いわゆる「夢落ち」ともいえるような、悲しい結末である。
一方、私が小学校時代、担任の女性教師から読むようにと指導された『銀河鉄道の夜』の結末は、それとはまったく異なるものだった。
前半部こそ似通っているものの、後半部で親友のカムパネルラは死なない。代わりに列車内に「やさしいセロ(筆者注=チェロ)のやうな声」が響いてきて、一冊の大きな本を持った大人が出現し、主人公の少年に向かってこう語り掛けるのだ。

おまへはおまへの切符をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強しなけぁいけない。おまへは化学をならったらう。水は酸素と水素からできてゐるといふことを知ってゐる。(略)けれども昔はそれを水銀と塩でできてゐると云ったり、水銀と
大きな本を持った大人の話は、やがて化学から宗教へと広がっていく。
みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる。
大きな本を持った大人は、未来への漠然とした不安を抱えている主人公に「お前はもう夢の鉄道の中でなしに本当の世界の火やはげしい波の中を
物語ではその後、遠くからブルカニロという名の博士が主人公に歩み寄り、「銀河鉄道」における一連の出来事は博士が実施した「テレパシー実験」だったことを告げられる。主人公の少年は「きっとほんたうの幸福を求めます」と言い残して、博士から小さく折った紙(切符)を受け取ると、丘を駆け下りていく。繰り返すが、この物語では親友のカムパネルラは死なない。
図書館に置かれていた『銀河鉄道の夜』が友人の死で終わる悲しい「閉じた」物語であるのに対し、私が小学校時代に読んだそれは少年が生きるヒントを得て未来へと大股で走り出していく、明るく「開いていく」物語だった。内容はより啓示的かつ科学的であり、「切符」とは何か、「宗教」とは、「化学」とは、と読者に問い掛ける物語になっていた。
故に、私はその後も長らく、小学校時代に読んだその『銀河鉄道の夜』をどこか青春期の荒波を漕ぎ抜けるためのある種のコンパスとして、胸の奥で大切に温め続けてきたのである。
なぜ『銀河鉄道の夜』には二種類のストーリーが併存しているのか——。
その理由を知ったのは、それからだいぶ年月が過ぎ、私が社会人になってからだった。
宮沢賢治記念館(岩手県花巻市)の学芸員・牛崎敏哉の説明によると、『銀河鉄道の夜』は賢治が生前、約一〇年かけて推敲を重ねた未発表作品であり、知人の証言などから一九二四年の秋から冬にかけて執筆に着手したとみられている。現在、八三枚の草稿と一枚の構想メモが見つかっているが、推敲はそれぞれ別々の紙に書き直されているわけでなく、まるで賢治が好きだった「地層」のように一つの原稿の上に幾度も直しが重ねられ、一部を除いて番号が振られていないため、当初はどういう順番で物語が進むのかわからなかった。
その後、研究者らの間で執筆に使われた鉛筆やインク、紙の質などの検証がなされた結果、書き直された順番に「第一次稿」「第二次稿」「第三次稿」「第四次稿」と呼ばれる形が存在していることが徐々に明らかになってきた。一応のまとまりを得ていた「第三次稿」(私が小学校時代に読んだもの)と「第四次稿」(私が高校時代に図書館で手にしたもの)では内容が大きく異なっているが、時期によっては「第三次稿」と「第四次稿」がそれぞれ書籍化されており、現在では多くの出版社が「第四次稿」を『銀河鉄道の夜』として刊行しているものの、一部の版元では依然として「第三次稿」の内容を変更せずにそのまま書籍として販売しているため、「『銀河鉄道の夜』は二種類ある」といわれる状況が続いているらしかった。
それらの事実を知ってもなお、私の胸には二つの疑問が霧消しなかった。
一つ目の疑問はなぜ、賢治は一応のまとまりを得ていたはずの「第三次稿」をあえて「第四次稿」に書き換えたのか、ということである。「第三次稿」の段階ですでに物語は成立しており、先に説明したとおり、その内容はもう十分に素晴らしいのに、である。
そして二つ目の疑問は、私の担任だった小学校の女性教師はなぜ、私に「第四次稿」ではなく、あえて「第三次稿」の方を『銀河鉄道の夜』として読ませたのか、ということだった。
私が長く担任を受け持ってもらった女性教師から「第三次稿」の『銀河鉄道の夜』を読むよう指導されたのは、小学六年生のときだった。放課後、私は帰り際に女性教師に呼び止められ、表紙がぼろぼろになった古い百科事典のような「宮沢賢治作品集」(すべての作品が収められた全集ではなく、選ばれた十数編の作品が収録されていた)を手渡され、この中にある『銀河鉄道の夜』を読むよう勧められた。
彼女は教職について七年目の二〇代後半の若手教師で、普段から大の賢治ファンであることを公言していたため(彼女は特に『よだかの星』が好きだった)、『銀河鉄道の夜』には複数のバージョンが存在し、「第三次稿」は一般的には広く知られていない方の内容であることは当然知り得ていたはずだった。それにもかかわらず、彼女はあえて「第三次稿」の『銀河鉄道の夜』が収められた古い作品集を私に手渡し、それを読むよう勧めたのである。
私は手渡された『銀河鉄道の夜』をその日のうちに夢中になって読破した。翌朝、女性教師のもとに走り寄って感想を伝えると、彼女は嬉しそうに目を輝かせ、私に向かってこう言ったのだ。
えっ、と私は驚いて聞いた。「これって本当の話なの?」
女性教師は
「もちろん本当の話ではないけれど、賢治さんはその旅行の中で様々な風景を見て、色々なことを考え、この『銀河鉄道の夜』を書いたと言われている。その旅行というのが、彼が大好きだった妹さんを亡くした直後に行った
『銀河鉄道の夜』については、そのもとになったとされる賢治自身の旅が存在していることが、研究者や多くの賢治ファンの間で知られている。
賢治が一九二三年の夏、故郷の岩手県花巻市から鉄道と船を乗り継ぎ、当時日本領だった樺太へと向かった旅行である。
当時二六歳。表向きの目的は花巻農学校の教師として樺太の製紙工場に勤める旧友に教え子の就職を頼むためだったが、彼はその前年、二歳年下の最愛の妹トシを結核で亡くしていた。
彼はその旅先の東北本線の車中や青函連絡船の船上などで、トシの死を悼む数多くの「
賢治が樺太へと向かう旅に出たのは一九二三年の七月三一日から八月一二日。彼はそこで出会った風景や心情を『銀河鉄道の夜』に織り込んでいる。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすゝきの風にひるがへる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
一方で、幼い頃から天文学や宗教といったものに関心を抱いていた私は、義務教育を終えると、女性教師から教わった「第三次稿」に出てくるブルカニロ博士の言葉に導かれるように、大学や大学院で化学を学び、気がつくと集団行動が苦手な、あまりぱっとしない全国紙の地方記者になっていた。人並みにいくつもの挫折を味わい、四〇代半ばで賢治の故郷である岩手県に配属されたとき、私はふとかつて教わった女性教師の言葉を思い出し、彼女の言葉の中にあった『銀河鉄道の夜』のもとになったとされる賢治自身が歩んだ樺太旅行を、自らの目と足でたどってみようと思い立ったのだ。
二〇二三年は賢治が樺太を旅してからちょうど一〇〇年目にあたる節目の年でもあった。私は会社に休暇の取得を申請すると、彼が一〇〇年前に旅した同じ日程で、花巻駅から北へと向かう列車に飛び乗った。
そのときの私はまだ、賢治が一〇〇年前に見た同じ風景の中に立つことで、私が個人的に抱え込んでいる『銀河鉄道の夜』にまつわる二つの疑問に、なんらかの答えを見つけ出せるのではないかと信じ込んでいた。
賢治はなぜ「第三次稿」を「第四次稿」へと書き換えたのか。
そして、小学校時代の担任だった女性教師はなぜ、私に「第四次稿」ではなく、あえて「第三次稿」を『銀河鉄道の夜』として読ませたのか、という謎に。
◆引用文献
宮沢賢治『宮沢賢治全集7』ちくま文庫、一九八五年
●写真/浅沼和明
三浦英之
みうら・ひでゆき●朝日新聞記者、ルポライター。
1974年神奈川県生まれ。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』でLINEジャーナリズム賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞、新潮ドキュメント賞を受賞。最新刊は『日本で一番美しい県は岩手県である』。





