[特集インタビュー]
ただのノスタルジーではない、今を生きるはみ出し者たちの物語
かつて、元公民館の建物「ピンクの家」で共同生活をしていた家族たち。そこで育った子供は年齢を重ねた今、どんな日常を送っているのか。江國香織さんの新作『外の世界の話を聞かせて』は、そんな大人たちと、一人の少女の視点が交錯する物語。出発点には、実際に存在した建物と、〝ムーミン谷〟があったという─。
聞き手・構成=瀧井朝世/撮影=露木聡子

出発点は「ピンクの家」と「ムーミン谷」
──新作『外の世界の話を聞かせて』には複数の視点人物が登場します。東京の外苑前で私設図書館・
最初はピンクの家です。以前、三重県の本屋さんの講演に呼ばれていったときに、近所にピンクの建物があったんです。「これなんですか」と訊いたら、「元公民館です」と。その時点でその建物はもう使われていませんでしたが、こんなところで仲良しの人と共同生活したら楽しいだろうなと思ったのがきっかけです。もちろん、小説の中で書いた建物や位置は、実際とは違います。
──彼らがそこに住んでいた様子をリアルタイムで描くのではなく、そこで育った子供たちがすっかり大人になった現代を主な舞台にされたのですね。
そうですね。ピンクの家出身の人たちのその後を書きたかったんです。それと、ムーミンの話が好きだというのもきっかけです。ムーミン谷の住民のように、自分たちの倫理観、価値観で生活していた人たちが、大人になって今の世の中に散らばっていたら面白いのに、と思って。なので、連載の時はピンクの家の暮らしは回想でしか出てこなかったんですが、当時の様子をライブの形でも織り込みたいなと思い、後から昔の輝子の視点も入れました。
──ピンクの家とは関係のない、現代の高校生の陽日も視点人物に加えたのはどうしてですか。
そもそも、ピンクの家とムーミン谷をどう小説にするか考えた時、それらは背景にしたいなと思ったんです。そうでないと、ただのノスタルジーかファンタジーを書いたものになってしまうなと思って。そうではなく、今を生きている子なり人なりを中心に小説を作ろうと思い、陽日の視点も入れたんですよね。だから、最初はこの小説の主な人物は陽日とあやめの二人くらいの気持ちでいました。でも、どんどん増えてしまって……。
──ここ数年、『去年の雪』をはじめ、江國さんの小説は登場人物が非常に多くなる傾向にありますね(笑)。
そうなんですよ(笑)。自分でもなぜなのか分からなくて困っているんですけれど、多くなっちゃうんですよね。最初のイメージとしては、南天文庫の中で陽日の語る現在の高校生活と、あやめの語るピンクの家の昔話という、密室の中の二人の会話というか、二人の世界みたいな話になる予定だったんですけれど……。
──元公民館に住んでいた家族たちだけでも結構な人数がいますよね。輝子と夫と娘のあやめ、輝子の夫の兄の
ムーミン谷ですから、みんないい人で仲良しというのではなく、とにかくみんな変わってるんです。変わっている人たちでも仲間だ、という感じにしたかったんだろうなと思います。
──彼らは勝手に電気をひいて建物を使用していて、「国家権力およびその手先から盗むというアイデア」をみんな気に入っていた、というから政治的な思想があるのかと思いました。でも健夫妻はノンポリだし、輝子も活動家という感じではない。
芳雄は厳しいところがあるけれど、輝子たちはそこまでではなくて、温度差があったんでしょうね。聞くところによると、時代の勢いもあったためか、当時は活動家ではないごく普通の市井の人々の中にも、いろんなレベルで思想を持っていた人がいたそうですし。ピンクの家で育った子供たちは、そうしたことに影響を受けたと思います。影響を受けたうえで、どんなふうに生きていくのかなと思って。特殊な状況じゃなくても、どういうふうに育ったか、どんな環境にいたのか、良くも悪くも子供は影響を受けますよね。そこには怖さもあるけれど、私は面白さがあるととらえたいです。なんにせよ面白いほうがいいですものね、人生は。
──ピンクの家を出た後、離婚した輝子は娘のあやめと外苑前で南天文庫を開きます。輝子が亡くなった現在は、あやめが一人で運営している。昼間は子供たちが集まり、夜は大人のためのセミナーが開かれるこの場所の雰囲気がすごく素敵です。
実際にこういう場所があったんですよ。名前も違うし今はもうないんですけれど、昼間は子供のために文庫を開放していて、夜は運営者の女性が大人向けに絵本講座をやってくれていました。私は二十歳から二十六、七歳くらいまで、その絵本講座に通っていました。もちろんこの小説はフィクションですけれど、場所はそこにそっくりに書きすぎて、今の時代に外苑前にこういう場所があるとするのは難しいところですが……。でも本当に、当時はああいう建物だったんです。いつかあの場所のことを書きたいなと思っていました。作中にも書きましたが、ピンクの家に住んでいた人たちは、たぶん、そこから出た後は隙間みたいな場所でしか働けないなと思って。あやめの職業を考えるのが一番難しかったんですが、あの文庫を書きたかったことを思い出して、これはいい取り合わせだな、って。
事実は小説より奇なり、小説もいけるところまでいっちゃおう
──同じくピンクの家で育った真実子は葬儀社に勤めていて、弟の功は夜はバーテンダー、昼はフリーターです。
前からバー勤務の人は、昼夜逆転の生活だから苦労も多いのではないかと興味深く思っていたんですね。だから功の働き方はあっさり決まりました。でも、どうして真実子が葬儀社になったのか、きっかけをよく憶えていなくて……。
──真実子が先輩社員から、葬儀場の控室は日常の場と死に寄り添う場の間にある「緩衝地帯」だと教わったというエピソードと、作中にも出てくる「隙間みたいな場所」という言葉が重なって、腑に落ちました。
そうですね。火葬場について書いた部分は私も好きです。今回のこの小説の中では、彼女の職業がいちばん、この小説を下支えしてくれていますね。
──そんな真実子は四回結婚しています。三番目の夫の
連載の時は、最初から三人で住んでいたんです。そもそも功が一人で住んでいたのに、大晦日に豊樹が飲んだくれているのを拾ってしまい、その後、豊樹が自分の元教え子だった
──陽日はそういう大人たちを見てきているんですよね。あやめは陽日に「人間はみんな
ムーミン谷の人たちなので、みんないろいろなんです(笑)。でも、歳をとればとるほど、ムーミン谷じゃなくても事実は小説より奇なりだなと思いますね。四、五回結婚した人なんて現にいるわけだし。以前なら、そのまま小説に書いたらリアリティがないと言われるから結婚歴は二回にしておこう、と加減していたんですけれど(笑)、最近はもう、いけるところまでいっちゃおうと思うようになりました。だから登場人物が増えてしまうのかもしれませんね。どこまでいけるか試してみたいところがあります(笑)。
どんな人にも「隙間の場所」はある
──あやめさんはよく陽日に、「なにか面白いことあった?」というニュアンスで「外の世界の話をして」と言います。それがタイトルに繫がるわけですね。
タイトルは最初から決めていました。ピンクの家の子供たちのその後をあやめを中心に書こうと考えた時、彼女はちょっと過去にとらわれているなと感じたんです。ムーミン谷の外に出たら、きっといろんな
──一方、陽日はあやめにピンクの家の話を聞きたがります。彼女にとってはピンクの家が「外の世界」ですよね。それと、陽日は学校の同級生より学校に通うのをやめた
そう。どんな人にとっても自分が属しているところの外は、「外の世界」なんですよね。そういう対比が、この小説には過剰なくらい出てきていますね。外と内が変化することもあります。南天文庫に来ている子供の中には単純に本だけが目的の子や、親の帰りが遅くて預けられている子がいるけれども、陽日みたいにこの場所に合ってしまう子もいるんですよね。そうすると南天文庫はその子にとって、外の世界ではなく、内側になる。それは面白いことだと思います。
──三歳からずっと南天文庫に通ってきた陽日は、文庫を自分にとって大切な「隙間の場所」と感じている。『ティモレオン』など、彼女が手にする書籍の具体名が出てくるのも楽しいです。書名はどのように選んでいったのですか。
その時々で何の本がいいか考えながら決めました。高校生の頃はきっと背伸びしたいし、本が好きな子なら読解力はもうすでに大人と同じくらいあるだろうから何がいいかな、と。選ぶのは楽しかったです。後半に陽日が南天文庫で子供の頃に読んでいた『おしゃべりゆわかし』や『トンカチと花将軍』などの児童文学の名作と再会して懐かしく思うところも気に入っています。そうした本の中も、居場所なんですよね。読んでいる間はみんな本の中に出かけていって、そこで登場人物たちに会うわけですから。この小説も読んでいる人にとって隙間になっていたらいいなと思っています。
──陽日が学校で友達を作らず一人でも平然と過ごすことができているのは、隙間の場所を持っているからなんでしょうね。
きっとそうだと思います。子供もそういう場所があると強いんじゃないかな。場所じゃなくて、人でもいいですよね。つまり、家族以外に、魅力的だと思える大人、面白いと思える大人がいたら……。
──江國さんの小説には時々、親以外の大人の女性となんらかの関わりを持つ十代、二十代の子たちが出てきますよね。羨ましいです。
私も、めっちゃ羨ましいです(笑)。
──今作は、大切な隙間を持っている人たちの物語といえますね。
結局、はみ出し者たちの話になりました。たぶん私は、はみ出し者の話が好きなんです。たとえば現在の時間軸でいうと、学校を辞めた瞳が分かりやすくはみ出し者ですけれど、彼女にも居場所は絶対にある。陽日はピンクの家出身の人たちを見て、そう感じているに違いないんです。そういうことは実際に見ないと分からないんですよね。言葉で「はみ出してもいいんだよ」とか「人はみんな違っていいんだよ」と言われてもあんまり信用できないけれど、そのように生きている人が現にいるというのは、とても心強いと思います。大人であっても環境や職場によって自由にできるかは違ってくるでしょうけれど、でもできるだけ、いろんな人が、自由に選んでいい、と思ってくれる世の中だといいですよね。


江國香織
えくに・かおり●作家。
1964年東京都生まれ。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の著書に『きらきらひかる』『左岸』『抱擁、あるいはライスには塩を』『なかなか暮れない夏の夕暮れ』『去年の雪』『シェニール織とか黄肉のメロンとか』『川のある街』『ブーズたち鳥たちわたしたち』ほか多数、小説のほか童話、詩、エッセイ、翻訳など幅広い分野で活躍している。





