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阿古真理『ウォーカブルでいこう!』
[第8回] 歩いて楽しい「遊べる」道

[連載]

[第8回] 歩いて楽しい「遊べる」道

誰が使うための道ですか?

 本連載のテーマ「ウォーカブル」にとって大事な要素の一つが、「歩いて楽しい」こと。歩行者が安心して利用でき、できるなら歩くこと自体が楽しみになる、「遊び」の要素を含む道です。歴史家のヨハン・ホイジンガが、遊びこそが人間活動の本質だと指摘したように、遊びの要素は暮らしに不可欠です。ウォーカブルな町は、遊べる町と言えるかもしれません。
 道路は安全に通行できる場であって欲しいですが、女性や子ども、高齢者、車椅子や杖を使う人、ベビーカーを押す人には歩きにくい道もある。その現状を変えよう、と各国が取り組むのが二一世紀の今です。今回は、歩きやすく遊びの要素を含む道づくりについて考えたいと思います。
 先日、本連載の取材で岩手県盛岡市へ行きました。盛岡は『ニューヨーク・タイムズ』が「2023年に行くべき52カ所」に選んで注目を集めた町。歩いてみると、コンパクトなのに書店や映画館など文化的なスポットが多く、人は温かく料理がおいしい素敵な町でした。その魅力についてくわしくは、別の回でご紹介します。一つだけ残念だったのが、盛岡駅の周辺がウォーカブルとは言い難いことでした。
 町の中心部は駅から徒歩二〇分ほど離れていますし、車を使う人が多いのだと思います。中心部へ向かう駅東口ロータリーには、横断歩道も歩行者用の信号もない。私はロータリーの向かい側のビルにある盛岡冷麺の店へ行くため、キャスターつきのスーツケースを持ち上げ、階段を下りて地下道を渡らなければなりませんでした。こうした車中心に設計された道路の課題は、全国にあるのではないでしょうか。
 三〇年余り前の会社員時代、ある得意先の事業所へ行く際、車が激しく行き交う歩道がない道路を駅から一五分も歩かねばならず怖かったことがありました。歩行者を見かけない初めての道、街灯が少ない夜道にも不安を覚えます。

人中心の町へ舵を切ったニューヨーク

 急激な経済成長の過程で、車社会へ移行した国はたくさんあります。日本では、昭和後半に全国各地の道路のアスファルト舗装が進み、高速道路が張り巡らされました。歩行者が道路の中心から追いだされ、歩道橋や地下道などを歩くよう仕向けられたエリアがたくさんできました。それは車を渋滞しにくくさせ、経済を効率的に回したかったからです。
 確かに車は便利で、雨の日や荷物が多い日も快適に移動できますし、公共交通機関が不便なところにもラクに行けます。しかし、車は臨機応変な「遊び」に対応しづらい。私は大学生になった夏に自動車免許を取り、実家を出るまでの八年間、父の車を借りてあちこちへ出かけました。車で移動中は、気になる店や景色を見つけても通り過ぎるしかなく、残念な思いをすることがあります。座りっぱなしなので疲れますし、渋滞に巻き込まれることもある。そうした不便をわずらわしく思うのは、私が車に向いていないからでしょうか。
 もちろん、公共交通機関が発達していない地域を行き来する、小さな子どもや足が不自由な家族がいる場合など、車なしでは生活が成り立たない人はたくさんいます。また、物流においてはかなめの存在。日常で使うもののほとんどは、車を使えなくなると供給がストップしてしまいかねません。
 それでも、車の出番をもっと減らし人が快適に過ごすことはできないか。そうした試みが世界各地で行われています。成果が出た都市の一つが、ニューヨークです。ブロードウェイなどいくつもの通りが交差するタイムズスクエアはかつて、治安の悪さと慢性的な交通渋滞に悩まされる場所でした。二〇〇九年夏、ニューヨーク市交通局はブロードウェイに面した五つの街区で、自動車道を歩行者専用道に転換させる社会実験を実施。エリア内の交通事故が六割以上も減少する一方で来訪者は約一割増えるといった成果が出て、二〇一〇年に広場は歩行者天国になりました。
『HILLSLIFEDAILY』二〇一九(令和元)年六月二八日配信記事に、当時ニューヨーク市交通局局長として指揮に当たったジャネット・サディク=カーンさんの来日時のインタビューが掲載されています。その記事によると、歩行者や自転車に乗った人が立ち寄って買いものする機会が増えた結果、タイムズスクエア周辺の小売業の売り上げは約一・七倍に増え、地価も上がりました。町に楽しく遊べるゆとりが生まれると、経済にもプラスに働くのです。

令和元年は、日本のウォーカブル元年

 二〇一九年五月、サディク=カーンさんが来日し各所で講演を行いました。ウォーカブルな町づくりを全国に広める政策に携わってきた国交省都市局の今佐和子こんさわこさんは、「後半でサディク=カーンさんが当時の都市局長と対談した際、触発された都市局長が『ウォーカブル』と何度も言っていました。そこから、都市局内にウォーカブル旋風が巻き起こったと記憶しています」と話します。
 国交省が出したこれからの町づくりのポイントは、WEDO。「Walkable:ウォーカブル(歩きたくなる)」、「Eyelevel:まちに開かれた1階」、「Diversity:多様な人の多様な用途、使い方」、「Open:開かれた空間が心地よい」の四つです。
 一つ目のウォーカブルは、歩きやすい空間にすること。二つ目のアイレベルについては、建物の一階に飲食店や雑貨店、ガラス張りのギャラリーや保育園、フィットネスクラブなどが入ることで、活気が生まれます。
 三つ目の要素は、二つ目と関連して多様な人を受け入れる空間があることです。表通りにスーパーや百貨店、ホテルなど多様な人が利用する大型施設があり、路地裏に利用者層が異なる、間口の狭い個人店が並んでいると、人の流れが生まれます。
 気軽に立ち寄れる店が多くなれば、人通りが増え活気が生まれる。その結果、四つ目のウェルカムな、開かれた空間になります。町によっては、路地裏へ通じる小道もある。例えば、東京・銀座の中央通りには、ビルとビルの隙間を抜け、裏手の道へつながる小道が隠れています。のっぺりした壁が続く建物や駐車場に比べ、出入りしやすい店が多いと、見た目にも変化に富んだ空間になるのです。
 サディク=カーンさんの講演を受け、国交省が募集したウォーカブル推進都市にすぐ手を挙げたのは二〇七自治体。二〇二五年一〇月時点で、北海道から沖縄県まで三九七都市が、ウォーカブルを志すと宣言し、取り組みを進めています。
 安全かつスムーズに通過するための道路では、長時間モノを置くことは道路管理者の許可が必要です。交通の妨げになったり安全性の確保が必要になるため、許可をもらうハードルが高かった。一方で、道路に飲食店のテラス席があり、マルシェが開かれ、大道芸を見られれば楽しい。国交省は全国の道路管理者がこうした例をもっと許可しやすくなるように、二〇二〇年一一月二五日に「歩行者利便増進道路制度」、通称「ほこみち」をつくりました。同年九月七日に都市再生特別措置法を改正し「まちなかウォーカブル区域」も創設されています。二つを合わせて活用する指定区域では、歩道を広げてベンチなどを置く空間の余裕をつくり出すことができ、歩行者が安全かつ快適に過ごせるよう、指定道路沿いの駐車場出入り口の設置を制限し車の通行量を減らせる。区域内の民間事業者は、オープンスペースを提供する、あるいは建物の低層部をガラス張りにしやすくなり、公募で選定された民間事業者は、最長二〇年間道路を占用できます。

国交省職員、市民の一人として奮闘する

 前出の今さんは、市民の一人としてもウォーカブルな町づくりに取り組んできました。パートナーの転勤に伴い東京から栃木県小山おやま市に移り住んでから、時短勤務期間や、二〇一九(令和元)年に取った二度目の育児休暇期間の合計一年四カ月間に、小山の活性化に挑戦しました。
 小山は新幹線の停車駅があり、今さんのように東京へ通勤する人もいますが、車中心社会でもあります。私が二〇年ほど前にこの町へ行った際、駅まで車で迎えに来てくれた人が、私を乗せて駅前ロータリーの一角にある店の駐車場に停めたときは驚きました。その店は、歩いて一分もかからない距離にあったからです。
 そんな車社会で今さん一家は、あえて自家用車を持たずに生活しています。必要なときはカーシェアも利用しますが、ふだんの生活では、「車に乗らない人は変な目で見られる」と疎外感を抱くことがあるほどだそうです。「歩行者はいつも道の脇に寄らないといけないし、危ないから子どもの手は絶対に離せない。保育園の送り迎えも車が想定され、七年前の時点では金曜日に子どもの布団や大量のおむつを持ち帰り、月曜日に持っていくのが大変でした。また、子どもの何歳児健診などで行く病院も町の外れ。バスの待ち時間は一時間以上。周りに何もない場所で長時間赤ちゃんをあやしながら待たないといけない。もちろん大型スーパーも、車で行くような場所にあります」と話す今さん。
 今さんはまず、仲間探しから始めました。二〇一九年から月に一度、小山で活動する面白い人を招いて話を聞く「おやま妄想会議」を企画。人の話を聞いて交流を深めるこの取り組みは、まず五〇人にプレゼンしてもらうことを目標に始めました。今さんの育休が終了した三五人目以降の分は、仲間に引き継いで目標を達成してもらったそうです。
 この妄想会議で今さんは、皆さんがやりたいことを聞き出しました。そのうちのいくつかは、自宅から徒歩圏内の城山公園でキャンプを企画する、河川敷でピクニックやマルシェを開催するなど、小山市役所に相談し一緒に動いて実現にこぎつけ、公共空間が活用できることを示していきました。「今は歩ける範囲で毎週のようにマルシェが開かれ、遊びに行くと子どもも私も友達に会えます。また、駅の近くに、まずコワーキングスペースが、それからちょっとおしゃれな古書店、コーヒー焙煎店、ピザ店などの店が増えていき、歩いて楽しい町に少しずつ変わってきました」と手応えを話します。今さんは、個人が一石を投じれば町を変えられることを、このように行動で示してきました。

ギョウザだけじゃない宇都宮

 今さんが「車社会の北関東も一部で変わってきた」と挙げた町の一つが、栃木県の県庁所在地、宇都宮市です。同市では、徒歩中心の暮らしを支える交通手段のうち二つが活用されています。
 その一つは自転車。燃料を使わず移動でき、健康づくりにも役立ちます。ウォーカブルシティを提唱する第一人者、ジェフ・スペックも、町づくりに組み込むことを提案しており、自転車の利用しやすさはウォーカブルな町づくりに不可欠な要素の一つです。
 宇都宮は車の利用が増え続ける一方で、二〇一〇(平成二二)年から「自転車のまち」を名乗って自転車走行空間の整備に取り組み、近年は駐輪場の整備、レンタサイクルの拡充、自転車通勤の推進などにも力を入れています。一九九二(平成四)年以来、世界のトップ選手が集まる「宇都宮ジャパンカップサイクルロードレース」を実施。二〇二五(令和七)年春、私がJR宇都宮駅から西側のビルが建ち並ぶ繁華街を歩いた際は、車道や歩道がとても広く驚きました。
 二つ目は、全線新設としては国内初の次世代型路面電車(LRT)「ライトライン」を、二〇二三年八月に開業したことです。車社会化に押され、多くの都市で消えていった路面電車は近年、環境に優しく老若男女が使えることから見直され始めました。LRTは床が低いなど、バリアフリーの側面でも評価が高い。スピードも自転車と同程度で、ヒューマンスケールの乗りものと言えます。地下鉄やモノレールより割安に導入できるのも、大きなポイントです。
 宇都宮ではまず、大手メーカーの工場や高校、ショッピングセンターなど市民生活で不可欠な施設が多いJR宇都宮駅の東側で開業。実際に乗ってみると、最初のうちは線路沿いに真新しいマンション群が建ち並びますが、間もなく低層アパートや住宅が点在する郊外の風景になりました。
『観光経済新聞』二〇二五年二月六日配信記事によると、一日当たりの利用者は約一万人で予想の二倍、沿線の地価も二〇一三年と比べ商業地が六パーセント、住宅地が一一パーセントも上がり、市民の外出頻度も高まっています。ライトライン公式ウェブサイトには、市の人口は減少しているのに、沿線は二〇二四年までの一二年間で約一割も上昇したとありました。
 バスとの連携も行うライトラインは、バスの運転士不足の対策にもなっており、二〇三〇年にはJR宇都宮駅西側も開通予定。この構想は一九九〇年代に始まりました。この頃、宇都宮市はギョウザの消費金額が高いことから「餃子のまち」宣言をしています。今やすっかり全国にギョウザの町として知られ、食べにくる人も増えた宇都宮は、この三〇年で着々と楽しい町づくりを進め、成果を出し始めているのです。

神戸の中心にオープンカフェ通りが誕生

 今さんは、「東京は、世界に誇れる環境によい都市です。以前、コペンハーゲンの町づくりに関わる人が、イベントで『東京は世界のロールモデルだ』と言っているのを聞きました。でも、大阪と神戸もすごい。車社会が侵しきれなかった都市の風格を感じます」と話していました。大阪では二〇二一(令和三)年に、幅四四メートルもあるメインストリートの御堂筋が、全国初の「ほこみち」制度の指定を受け、二〇三七年を目標にすべて歩道にする計画です。
 神戸市の中心にある三宮さんのみやからJRと阪神電鉄の隣駅、元町もとまちエリアまで東西に走る三宮中央通りも同時期に「ほこみち」に指定。三宮中央通りまちづくり協議会が二〇〇四(平成一六)年から、社会実験として春と秋に開業したオープンカフェは、二〇二〇年のコロナ占用特例として行った通年営業を、ほこみち制度の活用で続けられることになりました。
 ほこみち指定は、神戸市が進める「三宮クロススクエア」構想に対応するためでもあります。市が交通量調査を行った結果、三宮の駅周辺を通る車の約半分が、通過するだけだと判明。市は二〇四五年頃を目標に駅の周囲半径約五〇〇メートルを、広場を造って歩行者中心の空間に変身させます。
 三宮の変化で私がうれしかったのは、阪急電鉄神戸三宮駅北側で、高架下の飲食店がオープンカフェを設けていたことです。私がここをよく歩いた一九九〇年代前半は、路上駐車も交通量も多く、道を挟んで北側が飲み屋街でゴチャゴチャしていました。飲み屋街ならではの夜のにぎやかさも好きでしたが、今の昼間にくつろぐ人たちの空気感も伸びやかでよいなと思います。
 サンキタ通りと呼ばれるこの道も、二〇二二年にほこみちに指定されました。神戸三宮阪急ビルを建て替える際、あわせて高架下のリニューアルも行い、神戸市と共同で道路空間を整備し歩道を大幅に広げています。そのうえで車道とフラットで一体感のある舗装を行い、ヨーロッパのように洗練された空間に仕上げたのです。
 サンキタ通りはテラス席が密集しているせいでしょうか。歩きながら、一九九四年にウィーンへ行った折に休憩した、町なかの居心地がよいオープンカフェを思い出しました。その後まもなく始まったカフェブームで、日本にも大きなガラス窓の開放的なカフェが次々と誕生しました。テラスにオープンカフェを設ける店もありましたが、二〇〇〇年前後はまだ、目の前に駐車場や交通量が多い道路があるなど残念な景観が目立ちました。憧れの空間をつくる研究が進み、制度が整えられ、町の風景に溶け込んだカフェ空間がついに実現したのかと思うと感慨深いです。

イラストレーション=こんどう・しず

阿古真理

あこ・まり●作家・生活史研究家。
1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに執筆する。近著に『家事は大変って気づきましたか?』『大胆推理! ケンミン食のなぜ』『おいしい食の流行史』『ラクしておいしい令和のごはん革命』『日本の台所とキッチン一〇〇年物語』『日本の肉じゃが 世界の肉じゃが』等。

『何が食べたいの、日本人? 平成・令和食ブーム総ざらい』

阿古真理 著

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定価880円(税込)

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