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特集インタビュー/本文を読む

浅井晶子×マライ・メントライン
浅井晶子『ポルトガル限界集落日記』
外国で暮らすためには、自分のもともと大切にしていたものをいかに守るかが大事

[特集インタビュー]

外国で暮らすためには、自分のもともと大切にしていたものをいかに守るかが大事

日本からドイツ、そしてポルトガルの限界集落に引っ越した浅井晶子さんと、ドイツから日本に来て東京に暮らしているマライ・メントラインさん。今回は浅井さんの『ポルトガル限界集落日記』刊行記念として、距離・文化・言語それぞれの面で母国から離れて暮らすおふたりに、異文化交流について語り合っていただきました。

構成=文芸編集部

オリーブオイルとしょうゆの暮らし

マライ 『ポルトガル限界集落日記』、とても面白かったです。

浅井 本当ですか、ありがとうございます。

マライ オリーブオイルの話が二章にわたっていて、さすがオリーブオイル文化圏だ! と感動しました。ドイツにも、ベリーやリンゴなどの果物を自分で収穫してジュースやジャムにする人はたくさんいますけど、ポルトガルにおけるオリーブオイルは果物よりも上位に来る存在じゃないですか。ドイツでは「Olivenöl(オリーブの油)」という言い方をしますけど、ポルトガルでは「オリーブの油」ではなくてひとつの単語になっているんですよね。

浅井 そう、「Azeite」という一単語です。

マライ 位置づけが圧倒的に違うなと思いました。浅井さんはオリーブオイルを本当に毎日使っているんですか。一日の中で、オリーブオイルが一番最初に登場するのはいつでしょう?

浅井 いつだろう。私は朝御飯が和食なんですが、オリーブオイルを納豆にかけて、たまにみそ汁にも入れます。それが最初かな。それから、庭で採れたオレンジなどの果物をミキサーにかけて毎日ジュースを作っていまして、そこにもオリーブオイルを入れていますね。あとは普通に料理。サラダとか、煮物とか、シチューとか。炒めものにも使います。うちでは胡麻油が貴重品で、それをどぼどぼ使いたくないので、とにかく何でもオリーブオイルで炒めます。

マライ いいですね。「しょうゆとオリーブオイルは相性がいい」とも書かれていましたけど、それはどんなふうに使っているんですか。

浅井 ペペロンチーノを作るときに、塩の代わりにしょうゆを使うんです。オリーブオイルでニンニクと唐辛子を炒めたあと、そこにパスタとしょうゆと白ワインを投入します。おいしいのでやってみてください。あとは、それこそ焼き魚にも最後に必ずオリーブオイルをかけています。私の場合はしょうゆも足します。

マライ なるほど。

浅井 友達のグラシンダに教わったのですが、マッシュポテトも、じゃがいもを塩茹でしたあと、茹で汁とオリーブオイルをたくさんかけてからマッシュすると、すごくおいしい。塩はそこに足します。足りなければ、しょうゆで。これは私だけなんですけど。

マライ マッシュポテトでもしょうゆが出てくるのが浅井さんらしくて面白いですね。自分のルーツですね。

浅井 そう。しょうゆはマストです(笑)。

ドイツの言い訳、ポルトガルの謝罪

浅井 私もマライさんの『日本語再定義』(小学館)を拝読しました。ご自分で書かれたんですか? すごいですね。

マライ そうですね。夫にも読んでもらって直しています。

浅井 それでもすごいですよ。特に「理屈」の項目が面白かったです。ドイツの学生による環境問題についての研究発表で、当時産業化を大規模に進めていた中国について懸念が少なかったので、その点をマライさんが尋ねたところ、「中国人一人頭で割ると、二酸化炭素の排出量は少ないから、中国は問題じゃありません」と本気で言っちゃう。ドイツあるあるすぎて首がもげるほど頷きました。

マライ 別に理論として間違ってはいないんですけどね(笑)。

浅井 そう、間違ってはいないけれども、それは屁理屈じゃんっていう。「屁理屈」に当たるドイツ語は、実はないんですよ。このニュアンスは難しいですよね。他方、ポルトガル人はあんまり屁理屈をこねない。日本人に少し似ているところがあると思いました。例えばスーパーで、人の横をすり抜けたいときに、ドイツだと店員さんでさえ客に向かって「どいて」とか「邪魔」とか、あるいは丁寧な言い方をしても「気をつけて、私が通るから」という感じで言いますよね。気をつけるのはそちらだろうと毎回思ってました。これがポルトガル語になると、「すみません、失礼します」みたいな言葉になるわけです。日本人の感覚と近いですよね。一方で、ポルトガル人は、時間など、いい加減なところはすごくいい加減なんです。ドイツ人は一応五時に約束したらだいたい五時、遅くとも五時十五分には来るじゃないですか。ポルトガル人はそれが六時、七時は当たり前で、下手すると来ない。連絡も来ない。

マライ ええっ。

浅井 時間感覚が本当にひどいんですよ。だけど、ものすごく謝ります。毎回ごめんごめんって言うんですよ。そこの違いかな。私には、ドイツ人って何かの理由で遅れてしまったときに謝らない印象があるんです。天気がどうとか、私の母が急にこうなったとか、電話がかかってきてねとか、遅れた理由を十五分ぐらいかけてずーっと説明しますよね。最終的に私がその説明を聞くのがもう嫌になっちゃって、「わかった、わかりました、私は気にしていない、あなたは悪くない」と言って納得させてあげて初めて本来の話が始まる……みたいなところがあって。それがポルトガル人はおとなしいというか、「ああ、すみません」と素直に収まるところが日本人と似ていて、私としては楽ですね。自己主張しなくていいというか。

マライ 確かに。ドイツにも謝る人はいますけど、その後の説明がすごく細かいですよね。それはドイツ人にとってすごく大事なことで、「ちゃんと理由があることをそこで証明しないと、逆に相手に悪い」という考え方なんです。遅れたプロセスには自分が怠けたのではない様々なファクターがあって、それを全部今ここでみんなに報告したい、全員で一回それを確認して納得してもらいたい、という感覚がある気がします。

浅井 そうそう。

マライ それがドイツ人にとってはマナーなんですよ。理由を言わないと、ただ遅れてくる失礼な奴ということになる。浅井さん、高校生のときを思い出してください。先生に怒られたときに理由を言うと、「そんな理屈聞きたくない」と、さらに怒られた記憶はないですか。

浅井 言い訳するなと言われますね。

マライ そう、それは言い訳、つまり屁理屈だから聞きたくない。そこで取りあえず謝るのが日本人だと思うんですけど、ドイツ人は逆にその理由を聞きたい人たちなんですよ。

浅井 そうですよね。そういえばポルトガル人は屁理屈はこねないんですけど、どうやら「できない」と言えないみたいなんですよ。例えば家の修復について、業者に見積もりをお願いしても、「オーケー、見積もり出すよ」と言って帰っていって、それからそのまま音沙汰がない。一週間後に電話すると、やるやる、ちゃんと書くよと言ってそれっきりになったのが三件ぐらい。見積もりは出したけど、そこから仕事に来なかった人もいます。

マライ それもすごいなあ。

浅井 五十万円ぐらいの仕事を頼んで細かい金額まで決めて、「じゃあ二週間後に」と言ったのに来なくて、お店に寄ってみたら、「ごめん、今他の仕事をしているから二か月後に行くよ」と。でも二か月後もやっぱり来なくて、そろそろ一年半。もう来ないと思います。

マライ まだ待っているのね。

浅井 さすがにもう別の人に依頼しました(笑)。多分、できないと言えないんです。プライドが邪魔するのか、仕事を逃したくないのか、理由が本当に謎で、それも能力の問題ではなさそうなのに言えない。全部やるよ、やるよ、やるよと言って、結局できないということが多いです。

マライ ドイツ人の場合は「できない」は言う気がしますが、「わからない」は、場合によっては、言わないんじゃないかな。子供の頃から学校で本の解釈などを説明させられる教育を受けてきているので、実際には何の意見も感想も知識もなくとも、ゼロから何かを生み出さないといけないわけですよ。ドイツは教養主義で、それがステータスにつながるので、自分のステータスが下がるようなことをあえてしない気がします。

浅井 そうかもしれないですね。

マライ 日本に来てびっくりしているのが、「私、馬鹿だから」とナチュラルに言う人たちです。ドイツ人としては、仮に自覚していたとしても一番認めちゃダメなものなんですよ。

浅井 謙遜の文化ね。確かに、日本人はそうやって自分を下げて笑いのネタにしますけど、ドイツ人はそういうことしないですよね。

政治に対する姿勢

マライ 確かに日本のお笑いは他人を笑うというよりは自虐的で、ドイツよりオープンで参加しやすいと思います。ドイツの公共放送でやるお笑いは、だいたい政治や社会風刺ですもんね。

浅井 対象は政治家かスポーツ選手ね。

マライ ただ、日本でもたまには政治家だって茶化す瞬間が必要なんじゃないかと私は思うんですけど。

浅井 私もそう思います。日本では政治の話がしにくい空気がありますよね。

マライ ポルトガルはどうですか?

浅井 政治の話はしてますよ、やっぱり。私はポルトガル語がつたなくて高度な議論には参加できないんですが。

マライ そのあたりはヨーロッパ人ですね。

浅井 政治は切実な問題で、自分たちの生活に直結しているという実感があるからでしょうね。ただポルトガルの田舎の人は、逆の意味で政治に興味がない人も多いです。政治家は全員犯罪者だから、右になろうが左になろうがどこの党もみんな悪いんだから、関係ないし興味ないという人もかなりいます。それも生活実感ですよね。今まで政治家が自分たちのために何かしてくれたことはない。独裁政権時が悪い時代だったというのは共通認識だけど、じゃあその後に出来た政権がよかったかというと、そんなことはなかったわけです。独裁政権のときのほうがむしろよかったこともあって、例えば、犯罪者がちゃんと処罰されていたとか、昔はものの善悪がちゃんとあった、と言うお年寄りだっている。田舎はタブーがないので割とそういうことをオープンに言うんです。

マライ ドイツでも旧東ドイツ側の人たちが言いそうなことですね。

浅井 そう、全く同じ構図なんですよ。

マライ ですよね。旧東ドイツの地域に住んでいる人たちにとって、ベルリンにいる政治家は自分たちのためには全然何もやってくれなくて、でも、どうもそこそこリッチな暮らしをしているようだし、でかいつらしてるし、それは許さんわ!という感情があるんでしょうね。

浅井 社会保障かたって税金だけむしり取りやがって! みたいなね。でも彼らの不満が真剣に取り上げられてないのは本当だと思う。実際問題生活が苦しいのに、そういうことを言うと、知識人やインテリの人たちに外国人差別だとか右翼だとか、おまえらは東出身だから民主主義の在り方を知らんのだとか、そういうふうに言われちゃって。ある程度生活が保障されている大学の先生やお金のある人が、それこそ来月の家賃が払えるかどうかという少ない収入で生活をしている人に対して、上から目線でものを言うわけです。ポルトガルの限界集落に住んでいると、やっぱり田舎の生活のリアルなしんどさみたいなものがあるんですよ。私の村に電気と水道が来たのは一九八〇年代で、今四十代の人が生まれた頃は電気も通ってなくて、日本でいう大正時代の農村みたいな暮らしをしていたんですね。隣から火種をもらってきて、かまどで薪に火をつけて料理して、という感じ。移動はロバだったんですよ。その頃リスボンの人たちは、ヨーロッパ人として普通の文明生活をしていたわけで、そういう違いはやっぱりあるでしょうね。

外国で暮らすのに大事なこと

マライ 本の最後の章で、「外国で暮らすために大切なものとは」という問いに「お金とビザ」と書かれてましたよね。もちろんそのとおりなんですが、私は「自分らしさをいかに守るか」かなと考えました。自分のもともと大切にしていたものをいかに守るか、それは人によって違いますけど、例えば、先ほどの「朝御飯には納豆を食べる」「マッシュポテトにはしょうゆを入れる」とか。それは絶対守らなきゃいけない、という気持ちがあると思うんです。

浅井 なるほどね。

マライ 別に食じゃなくてもいいんです。考えとか振る舞いとか、マナーとか、そういうものでこれだけは諦めたくない、守りたいというものがあるんじゃないかなと。

浅井 それはあるでしょうね。私はドイツに二十年暮らしましたけど、日本人として、たとえ自分の損になっても謝るところは謝ろう、知らないことは知らないと言おう、笑うときには自分を落として笑おう、そういうふうに考えているところはあります。もちろん日本人のダメなところもいっぱいあるんだけど。

マライ 私が守りたいドイツ的マナーは、例えば、ドアを後から来る人のためにちょっと開けておくこと。あとはスーパーのレジで、急いでいる人に順番を譲るとか、重いスーツケースを持った人が階段にいたら、すぐに手伝うとか。あまり日本では見ないしぐさですよね。

浅井 確かにそうですね。自分がいっぱい物を買うときに、後ろにポテトチップス一袋だけの人が並んでいたら、ドイツ人はたいてい「先にどうぞ」って言います。

マライ 不思議ですよね。「言語化できないものは存在しない」というのがドイツ人ですが、空気を読む習慣もちゃんとあるんですよ。だけど日本には、それ以上に明文化されてないルールがとても多い。だから外から来た人はとても苦労します。日本の人からすれば「順応してほしい」という話かもしれないけど、「目立ってほしくない」というのも本音だと思っています。

浅井 わかります。私はそれが苦手で日本を出たというところがあるので。でもポルトガルでも明文化されていないルールは多いですよ。例えば、ポルトガルの村にあるアデガというワイン蔵は、昔は基本的に女性は足を踏み入れない男の場所だったので、入り口までは行くけど中には入らないというお年寄りの女性が結構いるんです。私はそんなこと全く知らなかったし意味もわからないから平気で入ってしまった。今はそういう不文律もなくなりつつあるようなんですが。

マライ なるほどね。

浅井 ただ、私は外国人なので、ドイツ語で言うところのNarrenfreiheit(道化の自由)が当てはまるんですね。道化は最初から頭数に入れられていないから、だからこそ自由に王様批判とかできたわけです。

マライ 期待されないということですね。

浅井 そうです。道化のようなものだから、限界集落の難しい人間関係に巻き込まれずに済んでいる。十人しかいない村の人間関係はやっぱりドロドロなんですよ。

マライ お友達で離婚している夫婦もいらっしゃいましたよね。

浅井 そう。元夫婦のAさんとBさんがいて、ふたりは天敵だけど、私たち夫婦はどっちとも付き合える。それは外国人だからこそです。限界集落の中で暮らしていても、明文化されていない、いまだに私がわかっていないことは多いと思います。

浅井晶子

あさい・しょうこ●ドイツ語圏文学翻訳者。
1973年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位認定退学。2003年トーマス・ブルスィヒ『太陽通り ゾンネンアレー』でマックス・ダウテンダイ翻訳賞、2021年ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』で日本翻訳家協会賞〈翻訳特別賞〉受賞。訳書にイリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、ローベルト・ゼーターラー『ある一生』、ユーディト・W・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』、ユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』等多数。2021年からポルトガルの限界集落S村に暮らしている。

マライ・メントライン

翻訳者、通訳者、エッセイスト。
ドイツ最北部の町キール出身。2度の留学を経て、2008年より日本在住。ドイツ放送局のプロデューサーも務めながら、テレビのコメンテーターやウェブでも情報発信にいそしむ。書評家・杉江松恋氏との芥川賞・直木賞の全候補作徹底討論&受賞予想も話題に。著書に『笑うときにも真面目なんです』『日本語再定義』、共著に『ゴジラvs.自衛隊アニメの「戦争論」』『芥川賞候補作全部読んで予想・分析してみました』等多数。

『ポルトガル限界集落日記』

浅井晶子 著・1月26日発売・単行本

本誌連載作品

定価1,870円(税込)

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