[特集インタビュー]
改変歴史小説を書くのは、いまの社会を自覚的に考えているからです
日本海海戦でバルチック艦隊を相手にした連合艦隊は壊滅し、ほどなく日露戦争はロシアの勝利に終わる。そのような“if”の世界線をもとに、誕生した改変歴史小説が『抵抗都市』(二〇一九年)と『偽装同盟』(二一年)だった。そしてこのたびシリーズの完結編『分裂蜂起』が上梓された。
ロシアに統治された日本は、外交権と軍事権を失い、首都東京にはロシア帝国日本統監府が置かれている。それなりの自治権はあるが、統監府の意向には何かと逆らいがたい現実がある。シリーズ第一作『抵抗都市』は日本の敗戦から十一年後の一九一六(大正五)年十月に幕を開ける。西神田署管内で発見された男の他殺体。警視庁刑事課捜査係の特務巡査・
それからおよそ五ヶ月後、二月革命が起きロシア帝国は消滅する。シリーズ第二作『偽装同盟』はその直前という時期に、湯島で起きた若い女性の殺人事件を追っていく。市井で起きた殺人事件の捜査の過程で、二帝同盟の歪みが絡んだきな臭い問題が浮上していくのだ。
そして前作からおよそ八ヶ月後、ボルシェビキの反乱による十月革命直後の時期に本書の幕が開く。新堂裕作は、市ヶ谷の濠で遺体が発見されたという一報を受ける。すると現場にはロシア統監府の憲兵の姿もあった。ロシア人に行方不明者でもあるのか。革命の影響が日本にも波及し、日本側も統治するロシア側も浮き足立つ中、大きな歴史のうねりが訪れようとしていた……。シリーズの掉尾を飾る作品について佐々木さんにお話をうかがった。
聞き手・構成=西上心太/撮影=露木聡子

佐々木譲バージョン5.0はSFとファンタジー
──佐々木さんは二〇一六年に、第二十回日本ミステリー文学大賞を受賞されました。〈わが国のミステリー文学の発展に著しく寄与した作家および評論家〉を対象とする賞ですので、長いキャリアと多くの実績がある佐々木さんにふさわしい賞でしたが、贈呈式のスピーチで述べた「これからは〈佐々木譲バージョン5.0〉を目指す」という発言が印象に残っています。青春小説とサスペンス小説が主だった時代のバージョン1.0、冒険小説に挑んだ2.0、時代・歴史小説にも手を広げた3.0、警察小説を書き始めた4.0というのがご自身で挙げた区切りです。そして5.0はSFやファンタジーへの挑戦であると宣言しました。そのスピーチ後の最初の作品が、改変歴史シリーズ一作目の『抵抗都市』でした。
私の発言を編集者はあまり本気にしなかったですね。『抵抗都市』の連載を始める前に構想を話したら、担当者は相当面食らっていました。殺人事件が起きて刑事が捜査する話だと強調して、ようやく書けるようになりました。
──年少のころ、ご両親から買ってもらった少年少女文学全集を全部読み尽くし、さらにお父様の大人向けの文学全集にも手を伸ばしたという読書遍歴は以前うかがいましたが、そもそもSFはお好きだったのでしょうか。
私の高校生時代は一九六〇年代の半ばでしたが、SFが特異なジャンルとは思わずに読んでいました。小松左京、筒井康隆あたり。本好きはジャンルを気にせずに読んでいて、あとから思えばその一部は間違いなくSFだったという認識でした。海外の小説も、手塚治虫が自分の漫画の登場人物にブラッドベリと名付けたり、そういう遊びのようないたずらがあって、もしかしたらこの人のことかなと思って手を伸ばしたりしていました。普通に面白いものの中の一部に、間違いなくSFがあった、ということです。
──くり返しになるかもしれませんが、このシリーズを書こうと思ったきっかけは。
基本的に日本の近代史に興味がありました。『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』『ストックホルムの密使』の第二次大戦三部作も書きましたし、日中戦争やその周辺も何作か書いてくると、もう一つ前の時代が気になりました。それが「日露戦争」でした。日露戦争は大日本帝国が体験した歴史の大きな局面です。歴史が転換する前後の時代を書きたいと思っていました。その時は特にSFっぽく書きたいという気持ちが強かった。レン・デイトンの『SS-GB』やフィリップ・K・ディックの『高い城の男』のテレビドラマが同じころに放映されまして、その影響もありました。
──前者はナチスがイギリスを支配した世界が、後者は枢軸国側の勝利により、アメリカ合衆国が東西に分割され、ナチス・ドイツと大日本帝国に統治されている世界がそれぞれ背景になっていますね。
どちらも原作は読んでいまして、その映像化を見て、これはやれる、私はこれをやりたいんだと、それまで自分がぼんやりと思っていたものに対する確信が持てました。
──このシリーズと似た世界設定である『帝国の弔砲』や、タイムリープによって戦争を回避しようという『時を追う者』、ディストピアの日本を描いた近未来小説『裂けた明日』など、最近の佐々木作品は、バージョン5.0宣言に違わない改変歴史小説やSF小説が多く並びますね。
改変歴史物やSFを書きたいと思うのは、いま現在の社会のことを自覚的に考えているからです。過去のあの時代といまをアナロジーで解釈できるのではないかと。そういう思いで書き始めてみると、いくつかは過去の物語になり、何作かは未来の話になりました。『抵抗都市』をウクライナ侵攻のことを連想しながら読んだ、というような感想がネットには出ていました。『裂けた明日』は国民熱狂の中でファシズム政権が誕生したという設定がもとになっています。
──作品が書かれて数年たったいまの趨勢を見ていると、本当にこんな未来になるのではという恐怖感があります。
『偽装同盟』が出版された時に、やはり本誌で元外交官で作家の佐藤優さんと対談しました。ネットなどではこのシリーズの二帝同盟は日米安保だろうと書かれていることが多いんです。しかし佐藤さんは対談後に、あのロシアは中国ですよねと言ったんです。私が『裂けた明日』で書いた未来は、中国に戦争を仕掛けて敗北する未来でした。佐藤さんはこのシリーズを改変歴史小説というだけではなくて、近未来小説としても読んでくれていたんですね。私も現代への問題意識から過去の話を書いていますが、実はいまの話であり近未来の話なんだという思いがあります。
──SFは思考実験ができる小説であると以前うかがいました。現代の状況を過去に投影した、その思考実験の結果がこのシリーズであるということなのでしょうね。
その通りです。
文京区湯島の高台をロシア人街に
土地の高低差を巧みに利用
──このシリーズ各巻の巻頭にある地図は、かつての江戸の中心地でもあります。江戸城は武蔵野台地の一部である麴町台地の東端に築城された平山城で、その東側の低地に町民が住まう下町が形成されました。江戸時代から高台には武士階級が、低地には庶民がという、土地の高低による住み分けがありました。それを踏襲して、東京の土地の高低差を実に巧みに使っているなというのが、この小説を読んで最初に感じたことでした。
日本がロシアに占領されたら、どこにロシア人街ができるだろうかと想像したときに、絶対に復活大聖堂(ニコライ堂)が中心になるはずだと思いました。それで現在の文京区湯島の高台のあたりをロシア人街にしました。
──二作目の『偽装同盟』で殺される日本人女性は同じ湯島でもロシア人街との境である、坂の途中にあるアパートに住んでいましたね。ロシア語を学び、なんとかロシアと関係する仕事に就いて、もっと良い暮らしをしたいと考えていた女性の姿を象徴するようなロケーションでした。
ロシアの統監公邸をどこにしようかと考えたとき、最初は
──皇居を挟む形で大日本帝国の最高権力者ににらみをきかせているわけですね。
本郷台地にある統監公邸と復活大聖堂の前を通り、統監府を結ぶ大通りを「クロパトキン通り」と名付けるなど、いろいろ考えていったわけです。
──余談ですが昭和四十年代初めから次々と都電が廃止されていってしまい、いまでは専用軌道が多い荒川線を残すのみとなってしまいました。この物語の時代である大正六年、七年ごろの市電路線図を見ると、戦後の全盛期とあまり変わらず、東京中を網の目のように走っています。新堂は捜査現場と警視庁庁舎の行き来や、下谷車坂にある自宅への行き来など、頻繁に市電に乗っているので非常に懐かしい思いがしました。それから今はもうない総武線の
もうすでにこのころは東京都内の市電の路線はできている時期ですね。そういえば数年前、お茶の水橋の舗装工事でアスファルトを剝がしたら、古い市電の線路が出てきて話題になりましたが、私も見に行きましたよ。
シリーズの始まりは「大津事件」
三部作の構想と形式について
──『抵抗都市』は一九一六(大正五)年十月二十六日に本編が始まります。おやっと思って歴史年表を見ると、翌年の三月十二日にはロシアで二月革命(ユリウス暦)が、さらにその八ヶ月後の十一月二日には十月革命(同)が起こります。『抵抗都市』を読んだ後に、何冊になるかはわからないが、必ずやこの二つの革命を背景にした続編が書かれるに違いないと、大いに期待したものでした。その期待に違わず、二月革命の直前から幕を開ける『偽装同盟』が上梓され、今回十月革命の直後から物語が始まる本書『分裂蜂起』が刊行されたので感慨無量であります。
『抵抗都市』のプロローグでは「大津事件」を描きました。訪日中のニコライ皇太子に、道路警備に当たっていた警察官の津田
──佐々木さんの代表シリーズの一つである北海道警察シリーズなどは、現代を描いていますが、時の流れがゆるやかじゃないですか。それに対して改変ものとはいえ、史実と対比しなければならない本書のような作品は、全く書き方が違ってくると思うのですが、いかがでしょうか。
間違いなく違いますね。道警シリーズは完全にコンテンポラリーな、いまの話として書いています。とはいえ二十年かかって十一作なので、小説内の時間と現実の時間の流れはシンクロしていません。ゆるやかに時間が流れる、一種のサザエさん方式ですね。一方こちらは歴史の大きな局面で、動かしようのない史実の中に、どうやって物語を落とし込んでいくかなので、また別の頭を使って書いていますね。
──さきほど改変歴史小説を書くに当たり、刑事が捜査する警察小説でもあるということを伝えて、やや当惑顔だった編集者からオーケーが出たとうかがいましたが、その構想は苦肉の策ではなく初めからのものだったのでしょうか。
ずっと警察小説を書いてきたし、警察小説の形で過去の歴史が改変された小説も書けることは確信していたので、最初から警察捜査小説の形を借りることは決めていました。
──日本の法律はあっても統監府の横やりは避けられませんし、『偽装同盟』でもある容疑者の身柄が統監府に捕らえられたりしました。統監府保安課にはコルネーエフ憲兵大尉というすべての作品で新堂と絡むなかなか魅力的な人物がいますが、そういう制約がある中での物語作りは大変だったのではないでしょうか。
もともと警察小説の形を取っていましたので、警視庁管轄の犯罪を扱うことと決め、主人公の新堂が警察官として活躍できる題材にしていくつもりでした。直接に統監府と、ひいてはロシアと対立して戦う話にしてしまうと、それはもう警察小説ではなくて、スパイ小説か冒険小説になってしまいます。先ほど言ったように、あくまでも警察小説をやるつもりだったので、取りあげている犯罪もそういったものになっています。

「どうだい、こんな終わり方なんだぜ、という感じのラストになったと思います。大きな日本の歴史を変えた物語をどうたたんだか、最後まで楽しんでもらえたら」
警察官としての使命よりも“怒り”
日露戦争帰り、心的外傷を抱えた主人公の原動力
──『抵抗都市』ではすでに陸軍の二個師団が欧州大戦に従軍しているという状況でした。戦争が長引いてさらに二個師団を追加派兵するという背景があり、それに反対する日本の反ロシア過激組織の動きが新堂の殺人事件捜査にからみ、一触即発の危機を迎えます。『偽装同盟』では本国で進行中の二月革命の影響を統治中の日本に及ぼさないよう画策する秘密警察の動きがあり、それに従うような国内の親ロシア派と反ロシア派の対立が描かれました。第二次大戦後の対米従属のアナロジーとして読むことができました。ところが本書では、ボルシェビキ革命が起き、最初のページにあったように、ロシアは出ていけというビラが街に貼られるなど、国民感情が一方に大きく振れてきていることが暗示されていますね。
もし現実がこのシリーズの歴史の通りであれば、間違いなくロシア革命の影響により、東京でも労働運動は大いに盛んになり、大規模な労働争議が起き弾圧も強くなったことでしょう。その予測を生かしたのが本書の後半の展開でして、これも最初からほぼ決まっていた構想でした。
──もう数年あとの時代ですが、大正デモクラシーの機運とともに、銀座の街を闊歩するモダンボーイ、モダンガールが登場してきます。残された映像や写真を見ると、日本も優雅だったと思いがちになります。しかし本書を読むと、ことさら詳細に描かれるわけではありませんが、そういう風景とはまったく違う生活を庶民の大半が送っていたことが、ロシア人街で暮らしている上中流クラスのロシア人たちと対比される形で、脳裏に浮かび上がってきます。風俗的な面白さも感じ取れるように書かれているので興味深かったです。
ありがとうございます。
──『分裂蜂起』では頭部を殴られ殺され、市ヶ谷の外濠に放り込まれた男の殺人事件を新堂が捜査します。被害者は新堂と同じく日露戦争帰りの自動車修理工と判明。やがて四谷近辺の細民窟の住人が関わっているらしいことが浮かび上がります。
この細民窟は架空の設定です。
──新堂はいわゆる潜入捜査を実行し、犯人逮捕のために命がけの行動を続けます。ここは本当にドキドキしました。
あのプロットはお気づきかと思いますが『レ・ミゼラブル』ですね。六月暴動の際のジャヴェール警部の役を新堂が務めたんです。本書では、ジャヴェール警部のように新堂は殺害犯をどこまでも追っていきます。新堂が殺害犯を追う理由は、警察官としてのミッションだけではないんです。犯人の正体がなんであろうと関係ないんです。日露戦争に出征して幸運にも生きて帰ってきた人間を、無残にも殺してしまった者たちに対する怒りにあるんですよね。
──新堂自身も部隊の八、九割が戦死したという
せっかく拾った命を消してしまった犯人への怒り。それが原動力であるので、ちょっとプライベートな理由なんです。犯人が革命家であろうとなかろうと関係ない。大日本帝国を革命から守るためなんていう理由じゃない。法律や職務から逸脱はしないけれど、個人的な怒りでもって徹底して犯人を追いつめていく、殺人の告白をさせる。そういう話にしたんです。
──とにかくクライマックスのシーンは圧巻でした。一作目で一緒に捜査に携わった、西神田署の多和田善三巡査部長にユキという娘がいました。出戻りで父と二人暮らし。どうやら互いに憎からず思っているようなのに、新堂がどうも煮え切らない。本書でもなかなかその点に触れられないのでどうなることかと思っていたら、煮え切らなかった理由もほのめかされ、ある結末まで用意されていたのでほっとしました。
ネタバレになるから言えませんが、新堂の状態がどのようなものだったのかは、ある人物との会話がヒントになるはずです。
──その会話はよく覚えていましたが、その裏に隠されていた心情などを、その場でくみ取れなかったのは不覚でした。本書は待望の完結編ですが、あらためて前二作を読み返すと、新たな発見があると思います。それと同時に、佐々木さんの歴史を見る目、現代社会の現実を作品に投影する視点の確かさに感心いたします。
構想から完成までほぼ十年かかりましたが、なんとか無事に物語をたたむことができました。

佐々木 譲
ささき・じょう●作家。
1950年北海道生まれ。79年「鉄騎兵、跳んだ」で第55回オール讀物新人賞を受賞。90年『エトロフ発緊急電』で第43回日本推理作家協会賞長編部門、第8回日本冒険小説協会大賞、第3回山本周五郎賞を受賞。2002年『武揚伝』で第21回新田次郎文学賞、10年『廃墟に乞う』で第142回直木賞を受賞。16年に第20回日本ミステリー文学大賞を受賞。『笑う警官』にはじまる「道警シリーズ」のほか、『ベルリン飛行指令』『制服捜査』『警官の血』『沈黙法廷』『抵抗都市』『偽装同盟』『帝国の弔砲』『遥かな夏に』など著書多数。

『抵抗都市』
佐々木 譲 著・発売中
定価1,155円(税込)
シリーズ既刊 集英社文庫より好評発売中
日露戦争に「負けた」日本。終戦から11年後の大正5年、ロシア統治下の東京で身元不明の変死体が発見された。警視庁刑事課の特務巡査・新堂は西神田署の巡査部長・多和田と捜査を開始する。だが、反ロシア活動を監視している高等警察とロシア統監府保安課の介入を受ける。やがて二人は事件の背後に国を揺るがす陰謀が潜んでいることを知り─。警察官の矜持を懸けて、男たちが真相を追う!

『偽装同盟』
佐々木 譲 著・発売中
定価1,155円(税込)
ロシアの属国と化した地で、男は、警察官の矜持を貫けるのか。日露戦争終結から12年たった大正6年。敗戦国の日本は外交権と軍事権を失い、ロシア軍の駐屯を許していた。3月、警視庁の新堂は連続強盗事件の容疑者を捕らえるが、身柄をロシアの日本統監府保安課に奪われてしまう。新たに女性殺害事件の捜査に投入された新堂だったが、ロシア首都での大規模な騒擾が伝えられ……。「もうひとつの大正」を描く、入魂の改変歴史警察小説、第二弾。





