[本を読む]
わからないことがわかる
発見と静かな興奮
他人の気持ちなんてわからない、と思う。
子どもの頃から繰り返し「相手の身になって考えなさい」と言われ、周囲の人びとの気持ちを察し、心を汲み、空気を読んで生きることを求められ、そうあろうと努めもしてきた。
でも結局、わからないのだ。
けれど二〇二二年九月に刊行された奥田英朗『リバー』の単行本を読んだとき、そのわからなさを面白い、と感じた。
描かれているのは、北関東を舞台にした連続殺人事件。群馬県桐生市と栃木県足利市の河川敷で相次いで若い女性の他殺体が発見される。ともに絞殺。全裸で両手を後ろで縛られた特徴は、十年前ほぼ同じ場所で発生し未解決となっている殺人事件と酷似していた。
決定的な証拠をあげられず不起訴処分となったあのときの殺人犯が再び動き出したのか。それとも狡猾な模倣犯なのか―。
群馬と栃木の県警は今度こそ犯人を逮捕し全容を解明し、県民の信頼と治安を取り戻さねばならぬと意気が上がり、三人の容疑者が浮かび上がるが、いずれも決め手に欠け時間が過ぎていく。その過程が、ふたりの若手刑事、かつて事件を担当した栃木県警のOB、十年前の被害者の父親、大手新聞社前橋支局勤務の女性記者、容疑者のひとりと恋仲になるスナックのママの視点を主に綴られていく。
同じ事件を見ているはずなのに、立場が違えば見えているものも違う。使命も違う、思惑も違う、望みも祈りも違う。誰かに肩入れして読んでも、客観的であろうと意識して読んでも、結局のところ正解はわからない。
しかし、そのわからなさが、そうだよな、と腑に落ちる。還暦過ぎのベテラン刑事が残したラーメンのスープを、店員に見られないように丼を入れ替え若手刑事が飲み干す場面のような、何気ない描写が積み重ねられて、わからないことがわかってくるのだ。
物事を見る自分の視野がぐわん、と広がるなかなかに得難い感覚の心地よさがある。