[本を読む]
かけがえのない記録
スポーツジムで汗を流していた夫が、激しい腹痛を訴えて緊急入院し、診断がつかないまま三ヵ月、不安と苛立ちに苦しんだ後、ようやく判明したのは「原発不明がん」という聞いたこともない病名だった。しかも、余命はわずかと言われる。
こんな過酷な状況があるだろうか。妻は夫の回復を祈って懸命に情報を集め、あらゆる手段を講じようとするが、コロナ禍による面会制限、病院の年末年始休暇、おまけに病棟の引っ越し、医療者の不手際、連絡ミスなどの不運が重なる。
本書は医療の現実を伝えつつ、治療を断念し、在宅での看取りを覚悟する過程を冷静に書き記すことで、人の最期の迎え方について、重要な示唆を与えてくれる。多くのことをあきらめざるを得ない中で、いちばん大切なものを選び、精いっぱいそのことに専心する。
東さんが夫と自宅で過ごした十八日間は、かけがえのない時間になったはずだ。治療にこだわって最後まで病院で時間を無駄にせずにすみ、ほんとうによかったと思う。原発不明がんにかぎらず、がんや難病で不安を抱えている人は少なくないはず。本書は心の持ちようだけでなく、具体的な支援やサービスも明記され、だれもが迎える最期について、得がたい情報と癒やしを与えてくれる。
久坂部 羊
くさかべ・よう●小説家、医師