[インタビュー]
希望を失ってなお生きていくための「武士道」
幕末の日本で、その命が尽きるまで「武士」であろうとした男がいた── 。
『はぐれ
岡山藩に実在した武士、
二〇一七年に「義と愛と」(のち『大友二階崩れ』に改題)で作家デビューして以来、快調なペースで作品を発表する一方、環境法・行政法を専門とする法学者でもある赤神さんに『夏鶯』についてお話をうかがいました。
聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=山口真由子
忘れられた武士・瀧善三郎との出会い
── きっかけは「夏鶯」という言葉からだったそうですね。
おっしゃる通りで、この作品はまずタイトルから入ったんです。夏鶯という言葉とどこで出会ったのか覚えていないんですが、五、六年ぐらい前だったと思います。たしか小説を書くために集めた資料の中にあって、この言葉いいなと。鳴くべき時期を逃してしまい、季節外れに鳴く鶯を想像すると、たまらない気持ちになりました。それから夏鶯にふさわしい題材が見つかるまで、ずっと温めていたんですが、ある時、ウェブの記事に、まさに『夏鶯』にうってつけじゃないかという人物を見つけました。その人物が、幕末の岡山藩にいた武士、瀧善三郎でした。
── 瀧善三郎といってもピンと来ない人のほうが多いと思うのですが、赤神さんはご存じだったんですか。
私も知りませんでした。実は新渡戸稲造の『武士道』でも触れられている神戸事件の主役ともいえる武士なので、むしろ欧米でのほうが知られているようですね。なぜ日本で知られていないかというと、神戸事件そのものが日本の外交史上の汚点ともいえ、長い間、
── 神戸事件は一八六八年に岡山藩の武士たちの行列をフランス人の水兵が制止を聞かずに横切り、発砲沙汰になったという事件ですね。同様の事件ではその六年前に起きた生麦事件がよく知られていますが、生麦事件は薩摩藩が起こした事件で薩英戦争のきっかけになったのに対し、神戸事件は明治新政府になってからの事件だったため、日本政府と欧米列強の間で起きた最初の外交問題になりました。
神戸事件によって、神戸は英仏米伊普蘭の列強六カ国に占領されました。まかり間違うとそのまま占領が続いて香港のようになってしまったかもしれないという危機的状況だったんです。その危機を救ったのが瀧善三郎で、瀧一人が切腹というかたちで責任をとったんです。外交上の汚点というのは、政府が一人の武士に、切腹というかたちで責任をとらせたことでした。
── 『夏鶯』の中では神戸事件ではなく三宮事変となっていますね。事件というと警察レベルですけど、事変となると戦争一歩手前というか、警察力じゃ対応できないというところまでいっているよということをさりげなく強調されているのかなと。
その通りなんですが、付け加えますと、これは神戸事件をモチーフにしてはいますけど、かなり大胆にフィクションを加えてるんですね。そのままの史実じゃありませんよという意味も込めています。
どっちつかずの視点から幕末を書く新しさ
── 主人公も瀧善三郎ではなく滝田蓮三郎となっていますね。
瀧善三郎については、その半生がほぼわかってないんですよ。史料に当たってみたんですが、神戸事件については詳しく書かれているものの、それ以外のことはあまりわかっていない。いつどこでどんな家に生まれて、といった外形的なことはわかるんですが、どんな人間で、どういうプロセスを経て神戸事件に遭遇し、劇的な最期に至ったのかがわからない。それがわかっていたらこんなに大胆に創作できなかったかもしれません。
── 史実をもとにしつつ、そこに大胆に創作を入れていくのが歴史小説の面白さだと思いますが、『夏鶯』の場合、史実とのバランスはどうお考えでしたか。
史実がわかっている部分は基本的に改変はしていません。ただし、単純化したり、別の角度から見たりはしています。
モデルにした岡山藩(『夏鶯』では吉備藩)は大きな藩なので組織の力関係が複雑なんです。六家老が藩を治めていたのは本当ですが、小説の登場人物が多過ぎると誰が誰だかわからなくなるので、複数の人物がそれぞれやったことを一人の人物に統合するなど、単純化しています。岡山藩が物産の専売をして成功したり、失敗したりしたというエピソードも史実通りなんですが、少し視点を変えて物語に入れています。
── 『夏鶯』の吉備藩では六家老家の権力闘争に加えて、佐幕か尊王かという悩ましい問題に直面します。吉備藩をどっちつかずの「ヒラヒラ蝶」だと
有名な雄藩が幕末にどうしたかということはよく書かれていますが、岡山藩について書かれた歴史小説はあまりないと思うんです。こういう、どっちつかずで何もできなかった藩の視点で書いた幕末小説はかなり珍しいと思います。
未来のことは誰にもわかりませんから判断に迷うのは当然で、現代でも組織の中で意見が分かれますよね。卑近な例でいえばAIです。今、生成AIがどんどん生活の中に入ってきて、この世の中のすべての組織が生成AIにどう対応するかを考えなくてはなりません。積極的に採り入れようとする人たちもいれば、頰被りをして逃げ切ろうとする人、少し遅れて勝ち組に便乗しようとする人など対応が分かれます。そんな中、目立たなくても、組織をいい方向に進ませるために捨て石になる覚悟で一生懸命がんばっている人もいるはずなんです。
歴史上の人物にもそういう人たちがたくさんいたはずです。まだ世には知られていないけれど、実はすごい人がいるんだということを小説で書きたい。『夏鶯』でいえば、瀧善三郎が成し遂げたことを、滝田蓮三郎という主人公に託して、エンタメとして世に出したい。その偉業を、文芸の立場から、読者と一緒に考えたいと思いました。
── エンタメという観点からいえば、『夏鶯』には主人公の滝田蓮三郎がなぜ切腹に至ったのかという大きな謎が一つと、もう一つ、それ以前に彼が
私が書きたかったのは、もともと才能があって、環境と運にさえ恵まれれば春に鳴けるはずだった鶯が、遅れて夏に鳴かなくてはいけなくなる物語でした。そのために永蟄居が必要で、これをこの小説の醍醐味にしようと思いました。永蟄居とは無期限で自宅で謹慎せよということですから、家に居たままの主人公をどう描くかを一生懸命考えました。ある程度は史実に基づきながら、手を替え品を替え、創作も加えつつ、面白く書けたという自信があります。
武士道とは何かを現代の読者に問いかける
── 永蟄居ということは主人公が動かないわけですから、退屈になりかねない。そうなっていないのは、エピソードの数々もさることながら、主人公の蓮三郎を取り巻く登場人物たちに魅力があるからです。ちょっとぼんやりしたところのある兄の源五郎、幼なじみの準之介とその妹の
まず史実をベースにして、瀧善三郎はお父さんは早く亡くしている。兄がいて兄嫁もいた。瀧善三郎自身も結婚していた。そういうわかっていることをベースにしつつ、蓮三郎の最期に関わってくるのはどんな人たちであってほしいかを考えました。読者がその人たちに感情移入できるようにしたかったので。
蓮三郎が永蟄居になったばかりの頃は、周囲が蓮三郎をどう扱っていいかわからない。蓮三郎自身も自暴自棄になっている。ところが、時とともに落ち着きを取り戻し、次第に人の輪を広げていく。周囲から理解を得て、慕われる人物になっていく。主人公の成長とともに、周囲の人物たちの接し方が変わっていくように注意深く書いていきました。
── 『夏鶯』は蓮三郎の最期、つまり切腹が大きな山場になってきます。それは武士とは何か? 武士道とは何かを現代の読者に問いかけるものでもあると思いますが、どう書くか悩まれたりはしませんでしたか。
蓮三郎とその周りの人たちの思いを読者にどう届けるかはもっとも神経を使ったところですね。
新渡戸稲造の『武士道』を含めて武士道に関する本をいくつか読みましたが、実は武士道にはこれという明確な定義があるわけではないんです。
私が『夏鶯』で書いた武士道は「希望を失った人が何を頼りに生きていくのか?」という問いに対する答えです。蓮三郎は永蟄居という処遇を受けたことで、それまで積み重ねてきたことをすべて失い、将来への夢も希望もすべて奪われました。永蟄居が解けるかどうかもわからない。希望がない状態で生きていくには何を頼りにしたらいいのか。
蓮三郎はその答えを「武士道」に見出した、と私は考えました。永蟄居になる前の蓮三郎は、異国に脅かされる日本を救うため「世を救う
エンタメで地方を元気に。二刀流作家が見つけた地域連携の可能性
── 話は変わりますが、赤神さんは大学に籍を置く法学者でもありますよね。お忙しいと思うのですが、作家としてもハイペースで作品を執筆されています。どのように両立されているのでしょうか。
法律と小説、半々でやっています。私、飽きっぽいんですよ。自分の弱点なんですが、法律の研究ばかりやっていると飽きてしまう。でも、小説ばかり書いているのも飽きるんです。なので半々がちょうどいい感じです。
法律も小説もどちらも、資料を読み込んで書く、というのが基本なので、端からはやっていることに変わりがないように見えるかもしれませんが、中身が全然違います。だからいいんです。一方で共通点もあって、職業的に両方とも請負型で、いついつまでにこれをやってくださいと締切を設定されることが多いのでやれているのかもしれません。
── 『はぐれ鴉』は大分県
私は毎回、小説の舞台となる自治体にアプローチするようにしているんです。『はぐれ鴉』の竹田市や『夏鶯』の岡山市のように喜んで協力してくれる自治体もあるのですが、熱心なのは半分くらいで、残りの半分は消極的ですね。反応がよくなければそれはご縁がなかったと思って、ただ小説を書くだけです。
『夏鶯』は、そもそも地元の方たちが瀧善三郎を顕彰しようという動きをされていて、そのことをウェブの記事で知ったことが執筆のきっかけでした。顕彰活動のキーパーソンである劇団歴史新大陸の代表、後藤勝徳さんにご連絡したところ、快くご協力いただき、地元の方たちにも温かく迎えていただきました。今年は瀧善三郎の義烈碑がある
この作品が世に広く認められれば、地元の方も喜ぶし、まちおこし、まちづくり的な動きにもつながります。良いご縁が得られ、うまくいったケースですね。
── 小説の舞台になる地域にアプローチをされるというのは、その地域を盛り上げていきたいからですか。
私の法学者としての専門が環境法、行政法で、その中でもまちづくり法です。学生に教えていて思うのが、法律はつねに過去を向いているということなんです。問題が起こってからそれに対処するために変えていくのが法律です。もちろんそれは大切なことなのですが、法律の研究と実務を二十年以上やってきて、前も見たいなと思っていました。
前を見るというのは積極的にまちを良くしていくこと。まちおこし、まちづくりです。でも法律でそれをやることはなかなか難しい。
小説を書き始めて地方へ取材に行くと、どこも人口減少で苦しんでいる現実に直面しました。電車がない、バスの本数が減った、車がないと移動できない、食事も宿泊もできない……これはまずいと思うことが多くなりました。
何としても日本に元気を取り戻したい。そのためには小説、エンタメの力も有効なんじゃないかと思うようになりました。前を見て地方を元気にしていくことができればと。
── 『夏鶯』は小説を書くまでだけではなく、発売後も地域と連携していくそうですね。
はい。先ほどお名前を出した後藤勝徳さんが史実に基づいた瀧善三郎の演劇(劇団歴史新大陸『ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO』)をすでに上演されていて、DVDが発売されています。また、岡山の(株)板野酒造本店から『夏鶯』にちなんで同名の清酒を出していただくことになっていて、これは小説と同日発売の予定です。
雑誌掲載時にもメイド・イン・岡山が三つありました。まず題字。地元の書道の先生である中西康美さんに書いていただきました。二つ目が装画。地元在住のイラストレーター、藤井
── その辺りも気にして読むと面白いですね。
はい、細部まで楽しんでいただけると思います。岡山の知られざる偉人の物語をぜひ多くの読者に知ってほしいですね。
赤神 諒
あかがみ・りょう●1972年京都府生まれ。
同志社大学文学部卒業。上智大学教授、博士(法学)、弁護士。2017年「義と愛と」(のち『大友二階崩れ』に改題)で第9回日経小説大賞を受賞しデビュー。他の著書に『大友の聖将』『大友落月記』『計策師 甲駿相三国同盟異聞』『太陽の門』『仁王の本願』『はぐれ鴉』(大藪春彦賞)『佐渡絢爛』(日本歴史時代作家協会作品賞/本屋が選ぶ時代小説大賞)『碧血の碑』『我、演ず』ほか。