[巻頭インタビュー]
久坂部 羊『命の横どり』
心臓移植をめぐる、理性と感情の闘いのゆくえ
臓器提供は移植を待つ患者への「贈り物」なのか、それともドナーからの「横どり」なのか。
こんな刺激的な問いを読者につきつけるのが、久坂部羊さんの最新刊『命の横どり』です。
医師であり作家でもある久坂部さんは、高齢化社会の医療と大学病院の実態を描いた『破裂』、安楽死をテーマにした『神の手』、医療格差が広がった日本で勝ち組医師を狙った連続テロ事件が起きるサスペンス『テロリストの処方』など、医療界のタブーをエンターテインメントの題材として描いてきました。新刊『命の横どり』では、オリンピックでの金メダルが期待される女子フィギュアスケート選手への心臓移植をめぐり、臓器移植コーディネーター、臓器移植推進派の心臓外科医、ドナー家族、人権派弁護士など、さまざまな立場の人たちの衝突と葛藤がスリリングに描かれます。
日々進化を続ける医療技術が人を救っている現実と、一方で、進化の速さに追いつけず、受け入れられず、胸を痛める人たち。医療現場の現実を描いてきた久坂部さんの新たな代表作が誕生しました。
聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=露木聡子
置き去りにされているドナー家族
── 一気に物語に引き込まれました。しかも考えさせられることも多く、心を揺さぶられる作品です。なぜこの物語を書こうと思われたのでしょうか。
もともとは臓器移植コーディネーターという仕事に興味があったんです。移植を希望する方に臓器が適切に渡るよう調整し、あっせん手続きを行うのが移植コーディネーターの主な仕事です。すでにいろいろな小説やドラマでも描かれているのでご存じの方も多いと思いますが、臓器の提供を待つ人たちがリストに名を連ねていて、ドナーが現れると、JOT(日本臓器移植ネットワーク)が誰に提供するかを決めることになっています。
そのとき、移植をしないと余命が三か月の人と二年の人がいたとして、二年の人のほうが先に登録していたらどちらを優先するのか。三か月の人のほうが緊急性は高いですが、かといって二年以内にもう一人ドナーが現れる保証はない。そういう難しいジレンマが現場にあるので、移植コーディネーターの仕事や葛藤、悩みを小説にできるんじゃないかと思いました。担当編集者にそのアイデアを投げたら賛同してくれたんです。
ただ、編集者から「問題は既視感です」と言われたんです。つまり、これまでに書かれてきたような話じゃ駄目ですよ、ということ。ちょっと考え込んでしまいました。
そこで、昔、知り合いが「人間には死にきる権利がある」と言っていたのを思い出したんです。『命の横どり』の中で同じセリフを人権派弁護士に言わせていますけど、脳死はまだ人が死にきっていない状態なんだと。だから脳死状態の臓器提供は人権侵害だという理屈ですね。
医師の立場として言うと、脳死が死であることは疑いがない。でも、脳死の時点では、脳の動きは止まっているけれど心臓がまだ動いているから、脳死=死だと受け入れられない人もいるんですよ。移植手術に同意したものの本当によかったのだろうかと後悔するなど、ドナー側の家族の苦しみを考えるようになって、移植コーディネーターや移植に関わる医師だけでなく、ドナー側の事情を知る人たちも視野に入れて取材を始めたんです。
ちなみに移植コーディネーターには、臓器を提供する人とその家族に関わる「ドナーコーディネーター」と、臓器の移植を受ける人に関わる「レシピエントコーディネーター」の二種類あるのですが、本に出てくる立花
── 『命の横どり』では、将来を期待されている十八歳の女子フィギュアスケート選手が重い心臓病にかかり、心臓移植を待っています。そこへドナーが現れて希望の光が見えてくるのですが、脳死を死だと認められない家族が週刊誌に訴えるなどして、大きな社会問題になっていきます。
臓器移植は、移植によって命が救われたというおめでたい話ばかりにスポットが当たりがちなんですよね。でも、その陰には臓器提供した人がいて、臓器によっては心臓のように脳死の段階でご家族が決断しなければならない場合がある。ドナーの意思がはっきりしていたとしても、ご家族の中には脳死を死と受け入れられない人も出てくる。そこで苦しむんですね。
そういうことについて、大阪大学人間科学研究科で研究されている山崎吾郎教授に話を聞きに行きました。欧米に比べて日本ではドナー家族が置き去りになっていて、国民性なのか、悩みを抱えたまま黙って我慢している人が多いそうです。その話を聞いて、おめでたい話と、その一方の置き去りにされているドナー家族に光を当てれば、既視感を払拭したドラマが書けるんじゃないかと思ったんです。
── 久坂部さんは『人はどう死ぬのか』『死が怖い人へ』など、死をテーマにした新書もお書きになっているので、ご自身の死生観ははっきりしていると思いますが、小説では考え方の違う登場人物たちがそれぞれ自分の考えや気持ちを述べていきます。そこに小説ならではの面白さを感じました。
ありがとうございます。小説を読むときには、主人公に感情移入して読む方が多いと思うんですが、『命の横どり』の場合は、それぞれの言い分が対立していることにリアリティがあると思います。一人の主人公に共感して読み進めるのではなく、自分が登場人物の誰に考えが近いかを考えて読んでもらえるといいなと。それを目標にして書きました。
命を救う医者はヒーローではない
── 久坂部さんの小説にはヒーローや単純な善人は出てきません。『命の横どり』でも、臓器移植推進派の医師・一ノ瀬や、人権派弁護士の木元はそれぞれクセがあって、それがまた面白いですね。
私の持ち味というのか、欠点というのか。読後感がすっきりしないとよく言われます(笑)。私は出自が医療なので、医療現場ではなかなかそううまくはいかないぞ、と思ってしまうんですよね。スカッとしない現実を知ってもらいたい気持ちが強いんです。
── 現実を直視せよというメッセージは新刊『命の横どり』からも伝わってきました。でも本書は、考え方の違う人たちの応酬はありますが、読後感は爽やかですよね。
そう感じていただけると嬉しいですね。『命の横どり』というタイトルはどぎついですが、移植は命の横どりじゃなくて命の贈り物なんだよ、と登場人物たちに納得してもらわないと物語が終われない。理性と感情との闘いを描いていますが、最後は理性が勝つようにしたかったんです。そのためにどうすればいいかを考えました。
── 心臓移植を待つフィギュアスケーター、池端
スポーツであれ、芸術であれ、あるいはビジネスでも政治でも、どんな分野でも、活躍している人たちは、実は多くのことを犠牲にしているんですよね。努力に努力を重ねている。だからこそ、その道でうまくいかなくなったら本当につらいと思うんです。
以前から疑問だったのが、アスリートの自伝やフィギュアスケートのインタビューを読むと、楽しまないと勝てないとか、楽しいから続けられたとよく言っているんですが、本当かな? と。そんな甘っちょろいことでは勝てないんじゃないかとどうしても思ってしまうんですよ。
── 麗は移植コーディネーターの立花真知に反発したり、当たったりもしますよね。そうなってしまうのはしょうがないくらい苦しんでいることがうかがえました。
移植コーディネーターさん何人かに取材させてもらったんですが、難しい仕事なんですよ。患者さんに寄り添わなきゃいけないんですが、患者さん側の「あなたは元気なのに、死にかけている私の気持ちがどこまでわかるんだ」という気持ちも常に感じているはずなんです。患者さんのそんな本音に気づかず寄り添えているつもりになっていると、知らないうちに溝が広がってしまう。むしろ寄り添うことには限界があるとわかっていて、できる範囲で寄り添おうとしている人のほうが患者さんといい関係が築けるんですよね。それは医師や看護師といったほかの医療従事者でもまったく同じです。
そこで小説の冒頭で、患者の麗とコーディネーターの真知があたりさわりのない会話をしているけれど、実は、それぞれはこう思っているという内心の声を書きました。私はいつも、医療関係者が読んで、現実と全然違うじゃないかと思われないように書きたいと思っているので、本音を書きたかったんです。
── だから、それぞれの登場人物たちが多面的なんですね。一ノ瀬先生は臓器移植推進派の心臓外科医で、常に患者さんのことを思っている熱心なお医者さんですが、強引なところがあって、決してヒーローではないんですよね。
一ノ瀬先生はあえて性格のいい人物には書かなかったんです。現場で命を救うことに一生懸命になっている医者は、時として冷たかったり、残酷だったりするんですよ。患者を救うためだと思ってしまうと、周りが見えなくなってしまうんですよね。
臓器移植のダブルスタンダード
── 心臓移植は脳死の段階でしなければならないので、脳死が人の死か? という議論も重要です。死の定義をめぐってマスコミがテレビ番組で討論会をやったり、週刊誌が騒いだりという騒動が持ち上がります。
この小説でいちばん書きたかったのはテレビ討論会の場面です。患者のことを思って移植を進めたい医者と、ドナー家族に寄り添って、遺族の気持ちを大事にする弁護士。どちらにも言い分があるので、両者を直接闘わせる場面を書きたかったんです。
── どんな議論になるのか興味深かったですし、臨場感がありました。
あの場面を書くためのメモは、実はあの十倍ぐらいあったんですよ。お互いの言い分を出し尽くしたらそれくらいの分量になりました。とくにスポットを当てたかったのが「ダブルスタンダード」。多くの人が、自分や家族は脳死になっても治療を続けてほしいと望みますが、一方、自分や家族に臓器移植が必要になったら、脳死となった方の臓器を移植してほしいと望む。素朴な感覚とはいえ、ダブルスタンダードになっていることに気づいていない人が多いと思うんです。
一ノ瀬がイギリスでイギリス人医師に言われた言葉がありましたよね。
「日本人の患者がイギリスで心臓移植を受けたら、イギリス人は二人死ぬんだ。一人は心臓を提供した者、もう一人はその心臓で助かったはずの患者だ」
これは、私が実際に言われたことなんです。外務省の医務官としてサウジアラビアに行っていたときに、イギリスから来ていた心臓移植専門の医師に話を聞く機会がありました。日本ではまだ臓器移植法が施行される前で、イギリスに心臓移植を受けに来る日本人がいた。その話の流れで言われた言葉なんですが、非常にショックでした。
── 日本は臓器提供者が少なく、日本で手術を受けられないため海外で臓器移植をしたというニュースは時々聞きますね。そのときは移植ができてよかったね、と祝福ムードになりますが、それだけではないということですね。
現場ではいろいろな問題があって、きれいごとではすまないんですよ。私もよく知らなかったんですが、作中に書いたように日本人の移植は断るという国もすでにあるんです。
それと『命の横どり』を書いているときに読売新聞が移植問題をシリーズで取り上げていて、日本はドナーが少ないことが問題かと思っていたら、その少ないドナーの臓器を無駄にしている状況があるということが書かれていて驚きました。
── 本書にも出てきますね。医療的な受け皿が不十分だと。
移植コーディネーターの人に聞いたら、心臓移植できる施設は日本にたった十二か所しかないというんですね。心臓移植は高度な医療なので、高度な設備とスタッフのいるところしか認定されないからかなと思ったら、そうではないんです。心臓移植は大きな赤字が出るので、やりたくても経営的に手を挙げられない病院が多い。保険点数、つまり国の政策の問題なんです。心臓移植を必要としている患者さんにとっては納得し難い状況です。
報道できないことを小説で書く
── 久坂部さんはデビュー作の『廃用身』から一貫して、医療における理性と感情のぶつかり合いを描かれていますよね。それと「現実を見よう」というメッセージ。マスコミを通じて知らされていることがいかに一面的かということですよね。医療関係者は建前上言えないことがたくさんあって、それを小説という形で伝えようとされている。
現実を知ってもらうことが、患者さんとご家族の悲しみや苦しみを減らすと思うからなんです。こんなに医療が進んでいるんだから、きっと元気になるだろうとか、まさかこんなにあっけなく亡くならないだろうと思っているから、愛する人の死を引きずってしまう。それであえて医療現場で起こっている嫌な話、耳にしたくない現実を書いているつもりです。
── さすが医師の久坂部さんだなと思ったのが心臓移植の手術シーン。心臓移植の実際をかなり細かくお書きになっていて、興味深かったです。
そこは私のセールスポイントなので(笑)。心臓移植はもちろんやったことはないですが、たまたま心臓移植を実際にやっている友人が二人いるんです。一人は高校、大学ともに同級生の澤芳樹先生。心筋再生医療の専門家で、大阪・関西万博のパビリオン『PASONA NATUREVERSE』で「iPS心臓」展示のプロデューサーをやっています。もう一人が小林順二郎先生。私の一学年上で、大阪大学でサッカー部の先輩でした。国立循環器病研究センター名誉院長をされています。二人とも心臓移植を経験されていたので話を聞いたり、移植の手順が書かれている論文を読んで参考にしました。
── 久坂部さんはこれまでにも高齢化社会や、安楽死、医療崩壊など、医療にまつわる不都合な真実を小説の題材にされてきましたが、まだまだ書くことはありそうですか。
ありますね。医療が進めば進むほど、いろんなことが可能になるんですよ。我が子にいい教育を受けさせたいというのは親として自然な思いだと思いますが、優秀な遺伝子の子がほしいと遺伝子を操作するようになったらどうなるか。医学が発達することで怖いことはたくさんあるんです。
私はメディアのことを小説の中で批判的に書くことが多いんですけど、実はメディアの人たちは優秀だから医療現場の問題をよくわかっている。けれど、読者が明るいニュースを求めるから暗い側面はあまり書かないんです。嫌なことを書いても喜ばれませんから。
そういう意味では、私が書くような小説をきっかけに少しずつ理解が広まっていくといいなと思っています。実際、最近、世間の風向きが変わりつつあると感じます。少し前までは、どうすれば元気で長生きできるかという本が売れていましたけど、最近は私が書くような、どうやったら上手に死ねるかとか、老いをどうやって受け入れるかという、老いや死を受け入れる方向に世間の目が向いてきています。諦めずに書くことで、医療技術の進歩と、普通の人たちの気持ちのズレをちょっとでも埋められたらと願っています。
久坂部 羊
くさかべ・よう●医師・作家。
1955年大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。2003年『廃用身』で作家デビュー。14年『悪医』で第3回日本医療小説大賞、15年「移植屋さん」で第8回上方落語台本優秀賞を受賞。ドラマ化されベストセラーとなった『破裂』『無痛』『神の手』の他、小説に『テロリストの処方』『介護士K』『芥川症』『怖い患者』『絵馬と脅迫状』など、新書に『日本人の死に時』『人間の死に方』『寿命が尽きる2年前』『人はどう死ぬのか』『人はどう老いるのか』『人はどう悩むのか』など、著書多数。