[本を読む]
異種格闘技の歴史をさかのぼる
タコツボ化という言いまわしがある。研究者が自分のせまい専門領域にとじこもることを、
今の学界では、私たちに追い風がふいている。しかし、だからこそ、伝統的な学会組織は自閉性を強めてきた。所属する学会のしきたりには、そむくな。他分野には色目をつかわず、自分の専門をまもりきれ。若い学究を、そうしばる度合いは、強化されているように思えてならない。
おそらく、組織防衛という方向に、力がはたらくのだろう。私たちへの追い風を逆風と感じるがゆえに、しめつけを強化しているのだと思う。
同じようなからくりは、20世紀初頭の柔道界にも作動した。レスリングとの対抗戦を要請され、当時の講道館はこれらをはねつけている。未知の技を勉強するいい機会だとは考えない。柔道の本筋をまもるという方向で、組織をかためたのである。
講道館をひきいた嘉納治五郎は、レスリングとの交流に興味をいだいていた。その痕跡が、この本ではいくつかひろいだされている。しかし、けっきょくこの総帥は、自分の好奇心をおさえこむ。組織をたばねる長ゆえの、せつない判断だったのかもしれない。
さまざまな格闘技を、同じ場でたたかわせる。そんな動きは、以前からアメリカで高まっていた。柔道や柔術とレスリングやボクシングの他流試合も、アメリカでさかんになる。とりわけ、柔道や柔術がかかわるそれは、在米の日系人たちに支持された。アメリカで排斥運動の対象となった彼らの情熱も、講道館にはとどかないのかと、かみしめる。
異種格闘技戦の背後に、どのような趨勢があったのかを、この本は教えてくれる。混交のにおいたつような現場も、かいま見せてくれた。講道館は、その気配も感じつつ、拒絶にふみきったのだろうか。いかがわしいと、判断して。
井上章一
いのうえ・しょういち●国際日本文化研究センター所長