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伊藤俊治『昭和百年への鎮魂 江成常夫のレンズがとらえた戦争』(集英社新書ヴィジュアル版)を椹木さわらぎ野衣のいさんが読む

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“終わらない昭和”

 江成常夫の写真を視ていると、いつも不可思議な気持ちになってくる。自分がいつの時代のどこにいるのかが分からなくなってくるのだ。写真はなにがしかの時代の出来事の記録であるから、絵画と違い、そのように時間軸上で道に迷うことはまずない。江成の写真がジャーナリズムの産物でもあることを考えればなおさらだ。
 しかし、にもかかわらず江成の写真は、視る者を過去のある時点にまでいつのまにか引き戻してしまう。決して過去へと遡るのではない。いまこの場が、あるがままにして過去に起きた出来事とぴったり重なるかのようなのだ。この意味で、写真が客観的な記録であったり、私的な記憶を喚起する媒介であることを江成の写真は超えている。しかしいったいなぜ、そのようなことが可能なのだろう。
 戦争に端を発し、昭和に起きた数々の惨劇の痕跡に肉薄する江成の写真には、数えきれないほど多くの死者たちの声がこだましている。著者の伊藤俊治は、視る者に対しそのような声へとじかに耳を傾けさせる力を持つ江成の写真の奥底に、ある種の霊性がうごめいていることについて、本書の随所で折口信夫しのぶや鈴木大拙だいせつの言葉を借りて論じている。写真がただちに記録なわけではない。記録である以前に、そこには常に「沈黙に還元された声(ドキュマン)」が掬い取られ、宿っている。
 このことについて伊藤は、端的に「死者たちは存在しないとされている。しかし死者たちは実は存在することとは別の形式で生きている」と語る。つまり江成の写真とは、私たちが「その別の形式に触れる通路」でもあるのだ。
 これは通常の意味での鎮魂とは違っている。時間や空間の中で受け渡される鎮魂は、同じ時間や空間によって必ずや風化させられてしまう。ところが、伊藤が引用する折口の言葉を借りれば、霊は追憶ではなく「水をむすぶ」ようにしてしかその姿を現さない。江成は鎮魂が風化しないための通路を、みずからの老いや心の痛み、闘病を通じ、まさしく「水をむすぶ」ように編みだしていった。それを集約する言葉が、本書のタイトルである“昭和百年”であり、おそらくは“終わらない昭和”なのだ。

椹木野衣

さわらぎ・のい●美術評論家

〈集英社新書ヴィジュアル版〉
『昭和百年への鎮魂 江成常夫のレンズがとらえた戦争』

伊藤俊治 著

発売中・集英社新書

定価1,980円(税込)

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