[本を読む]
「迷い子」が正義をもたらす
『三四郎』と『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』そして映画「七人の侍」―本書を読んで私の中にスパークしたのは、これらの小説と映画のシーンの数々だ。ドキュドラマのような作品を読んで、活字と映像の世界が一瞬のうちに蘇ったような体験をしたことはこれまで一度もなかった。それは本書が一見粗削りのようで、ジャンルを超えた豊かな含蓄を
本書が、アフリカや秘境の地での希少な体験を自信ありげに冒険譚的に語るノンフィクションの類と違うのは、何よりも著者が「ストレイシープ」(迷える人)であることを自認していることにある。本書の著者は、漱石の『三四郎』のヒロイン・
著者の目指した場所は、三四郎を惹きつけた帝都・東京のような場所ではない。いや、それとは真逆の世界の中心から遥かに遠い、「辺境」のアフリカのウガンダであり、なかでも「不毛の地」とされてきたカラモジャである。若くして「援助屋」としてそのカラモジャに身を投じ、
「油断するな、悪は
ただし、主人公は「援助屋」ではない。主人公はあくまでもカラモジャの貧しい人々だ。このエンディングを読みながら、私の脳裏を
姜尚中
かん・さんじゅん●政治学者