[本を読む]
エドレールがあったのに
浅利慶太。劇団四季を率い、「キャッツ」等のミュージカルをヒットさせ、ショービジネスの世界で成功した演劇人。本書は、浅利の評伝だが、それを通じて、著者の菅孝行は、日本で芸術(演劇)のプロであることはいかにして可能かを問うている。
浅利は一九三三年の生まれ。二十歳のときに劇団四季を結成した。浅利の原点には、純粋な芸術的衝動があった。本書では、この点がまず強調されている。浅利は、既成劇壇のリアリズムに抵抗する独自の演劇を追究していた。
六〇年代前半に日生劇場の建設・運営に関与したことが、浅利の転機となった。以降、浅利は政治家との結びつきを深めていく。日生劇場を通じて浅利は、ブロードウェイ・ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」と出会い、衝撃を受ける。浅利は時間をかけて、四季を、主としてブロードウェイ・ミュージカルを日本化して演じる劇団へと転進させる。
ミュージカル公演はビジネスとして大成功し、九〇年代後半には、四季の年間公演数は二千回を突破し、入場者数は二百万人を超えた。しかしこのビジネス規模の拡大こそが浅利の悲劇だった。これほど多くの観客に受け入れられなければならないとすると、親子が安心して一緒に見られる作品でなくてはならず、感性豊かな大人だけを対象にする作品の上演が難しくなるからだ。
アンチゴーヌとして始まったが、クレオンの妥協をした。菅は、ギリシア悲劇の登場人物に
第三の道があったはずだ、と菅は主張する。その第三の道は、サルトルの戯曲の主人公に託して「エドレールの妥協」と呼ばれている。本来の(芸術的)目的を放棄せず、ただその目的を達成するためにのみなされる妥協。本書は浅利を批判しているが、その批判には愛がある。エドレールがあったのに、と浅利に呼びかけているのだ。
大澤真幸
おおさわ・まさち●社会学者