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北村浩子
<ナツイチ>読みどころ

[書評]

〈ナツイチ〉読みどころ

 長い休みに大作を読む。最高の過ごし方ではないだろうか。北方謙三『水滸伝』は文庫で全十九巻だが、恐れることはまったくない。始まりの「曙光の章」からぐっと心を摑まれる。
 中国、北宋末期。役人の汚職が蔓延する世の中で、禁軍きんぐん近衛このえ軍)の兵士・王進おうしんが上司に反乱の嫌疑をかけられる。王進は仲間の林冲りんちゅうの手助けで逃亡するが、林冲は激しい拷問を受けて……という幕開けから緊張感でページをめくる指に汗がにじむ。人間臭いキャラクター達が梁山泊りょうざんぱくという拠点に集い自らの誇りをかけて戦う、その前夜の物語から圧倒される。なんとこの北方水滸伝、WOWOWにて連続ドラマ化が決定した。梁山泊のリーダー・宋江そうこうを演じるのは織田裕二。原作を読んでいれば更に楽しめること確実だ。
 ドラマ化といえばこちらも期待大。赤神諒『はぐれがらす』。江戸時代初期、豊後の国・竹田たけたを舞台に繰り広げられる復讐譚だ。幼い頃、叔父の玉田巧佐衛門に家族を皆殺しにされた山川才次郎は、江戸で剣の腕を磨き故郷に舞い戻る。憎き巧佐衛門は、信じがたいことに誰からも尊敬される滅私の人物となっていた。才次郎の心は大きく揺れる。自分は彼を許すべきなのか、それとも。ドラマは「地元」のテレビ大分で七月放送予定。主演は神尾楓珠ふうじゅ、椎名桔平。恩讐の彼方になにがあるのかぜひ見届けてほしい。
 この『はぐれ鴉』と共に第二十五回大藪春彦賞を受賞した安壇美緒の『ラブカは静かに弓を持つ』は、著作権を題材にした稀有なミステリーだ。国内の音楽著作権を管理する団体で働く橘は、上司から思わぬミッションを課せられる。大手音楽教室が、著作権料を支払わなければならない楽曲を申請なしで使用している証拠を入手せよと命じられたのだ。チェロの経験のある橘は生徒を装ってレッスンを受け始める。仕事と割り切っていたはずなのに、彼は講師の浅葉の人間性に次第に惹かれるようになり─。
 音楽がもたらす喜びは人をどう変えるのか。心に背くスパイ活動の結末は。橘の過去と浅葉の夢が絡み合う展開にはらはらせずにはいられない。タイトルの「ラブカ」はある生き物の名前だが、そのイメージが橘に重なり、物語に視覚的な奥行きを与えている。
 こちらのタイトルにも深い意味が込められている。小川哲の『地図と拳』。直木賞と山田風太郎賞をダブル受賞した新しい名作だ。満洲(中国東北部)の架空の都市を主要舞台に、日露戦争前夜の一八九九年から五十年余の時間が描かれる。通訳を経て満鉄の職員となる細川をはじめ、ロシア人神父や都市計画に携わる建築家など様々な人物に光を当てながら、なぜ日本が愚かにも戦争に突き進んだのかを浮かび上がらせてゆく。「地図」と「拳」の暗喩について細川が語る場面など、忘れがたいシーンがいくつもある。文庫化でさらに多くの読者を得るであろうことがこの作品のファンとして嬉しい。
 米澤穂信の『栞と噓の季節』も待望の文庫化だ。高校の図書委員コンビ、堀川と松倉は返却本に挟まれていた栞の押し花が猛毒の植物トリカブトだと気付く。一体誰が、こんな物騒なものを──? 校内に貼られた写真、校舎裏の花壇、中毒で倒れる教師、焼かれた栞。二人が辿り着いた事実の底に横たわる願いが哀しい。ダークで静かな雰囲気の中に時折笑いを呼ぶ会話が挟まれているのは著者ならでは。この図書委員シリーズの第一弾、『本と鍵の季節』と併せて読むのもお薦めだ。
 青春の切なさを描いた小説の次は大人の切なさがあふれる小説を。石田衣良『禁猟区』の主人公は、幼い子供と夫と共に暮らす三十四歳のライター、文美子。彼女は小さな劇団に所属する十歳下の夏生と恋に落ちる。婚外恋愛という蜜の味を知り、甘苦しい背徳感に浸る文美子の現実に忍び込んできたのは夫の裏切りと友人の窮地だった。
 仕事、家族、恋人。すべてを手にし続けるには危ない橋を渡らなければならない。文美子は何を選び何を捨てるのか。物語のラスト、彼女の選択に賛同する読者は多いのではないかと思う。それは夏生が「恋をする甲斐」のある男性として描かれているからだ。
 濃密な長編を読んだあとは群ようこのエッセイでリラックス。コロナ禍での日常を綴った『今日は、これをしました』は、録り貯めていた番組を見たことや編み物に挑戦したことなど、外出制限下での楽しみの工夫やそこから得た気付きが記されている。愛猫の旅立ちが書かれた章には胸が詰まったが、詳述されている見送りの手順には感謝と愛があふれていて、じんわりと温かな気持ちになる。
 温かな気持ちになるといえば、加納朋子の『空をこえて七星ななせのかなた』もぜひ手に取っていただきたい。父と共に石垣島へ行く少女、部活を存続させるべく奮闘する高校生たち、巨大宇宙船の中を見学する少年……ひとつひとつが独立した物語かと思いきや、最後の七編目で「そうだったのか!」と感嘆の声が出る。宇宙というキーワードが年齢を超えて人々をつなぐ、感動の連作短編集だ。
 つながりそうもない女性二人が新宿・歌舞伎町で出会う〝二物衝突〟的場面から始まるのは金原ひとみ『ミーツ・ザ・ワールド』。焼肉擬人化漫画のキャラクターを熱烈に推す婚活中の銀行員・由嘉里は、泥酔していたところを美しいキャバ嬢のライに拾われる。〈私死ぬの。だからお金あげるよ〉〈私はこの世界から消えなきゃいけない〉。とんでもないことをごく冷静に口にするライ。彼女を見張らなければ、と由嘉里の中に奇妙な義務感が生まれる。かくして不思議な同居生活がスタートし……。
 ライを通じて、これまでまったく縁のなかった世界の人間とかかわりを持つようになる由嘉里。友情ともまた違う、名前の付けられない二人の関係がユニークでいとおしい。惜しむことなく言葉を費やす著者の饒舌な文体の魅力が、今作でも存分に味わえる。杉咲花主演、松居大悟監督の映画は十月二十四日公開予定だ。第三十五回柴田錬三郎賞受賞作。
 第三十六回の同賞受賞作が、ドラマ化もされた池井戸潤の『ハヤブサ消防団』。都心での生活に疲れたミステリー作家の三馬太郎は、亡くなった父の実家を引き継ぎ、中部地方のハヤブサ地区に移住する。自然豊かな環境に身を置き、執筆に励もうと思ったのもつかの間、地元の消防団に勧誘されなりゆきで入団することに。やがて太郎が知ったのは、この地区で立て続けに不審火が起きているという穏やかでない事実だった。
 土地を売って欲しいともちかける業者、東京から越してきた映像クリエイターの女性、地元で信頼されている住職。彼らの背後に何が存在するのか。ある人物の過去と共に真実が明かされてゆく後半の展開は驚きの連続だ。
 驚きといえば、早々と退社しそうな人材を獲得することに注力する採用担当者が主人公、という設定に驚きつつ笑ってしまうのが、石田夏穂『黄金比の縁』。エンジニアリング会社で花形の仕事をしていた小野は、十年前に口にしたある一言が原因で人事部に異動させられ、以後「顔の黄金比」を基準に新卒を採っている。退職が早いのはいわゆる「整った顔」の人が多いと気付いたから。つまり彼女は長年、会社に復讐を続けていたのだ。ところが─。
 デビュー以来、身体/外見をテーマに書き続けている著者はユーモアのセンスも抜群。私怨をエネルギーに変換し、ほくそ笑みながら働く小野に密かな共感を寄せる読者も多いだろう。
 最後にこの一冊をご紹介しよう。岸見一郎の『ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方』。リスキリングという言葉が定着してきた昨今、働くだけでなく学びによって得られる充実感を求める人も増えてきているのではないか。哲学者である著者は「学ぶこと」の本質を解きほぐし、読書や外国語学習の豊かな世界に読み手を誘う。誠実で謙虚な筆致に優しく包み込まれるような心地がする。
 長い休みに何を読もうか、と考えている方の参考になれば幸いだ。そう、夏は文庫の季節!

※ナツイチ作品全86冊の詳細は、フェア参加書店で配布されるナツイチ小冊子、
またはナツイチ特設サイト(https://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/)をご確認ください。

北村浩子

きたむら・ひろこ●フリーアナウンサー、ライター

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