[本を読む]
仏教と恋物語の意外な関係
『恋する仏教』――なんと魅力的で、怪しげなタイトルだろうか。仏教といえば、愛欲などの煩悩に左右されない
著者は二つの理由を挙げる。第一に、仏教は身分制や家父長制にとらわれないことが指摘される。インドのバラモン教の厳しい身分制や中国の儒教の厳格な家父長制は、男女の自由な恋愛を許さない。それに対して、仏教は現実にはともかく、少なくとも理念としては差別を認めない。それ故、そこでは自由な恋愛の語りが可能となる。
第二に、話作りの巧みさが挙げられる。最終的には否定される男女の愛欲にしても、それをきっかけにして、こうして二人は仏道修行に励みましたとさ、という結びの文脈に落とし込めばよいのであって、そこに自由にいろいろな話を組み込むことが可能となる。かたいお説教ばかりでは眠くなるが、間に誰もが身を乗り出す悲恋の話でも組み込めば、みんな目を覚まそうというものだ。
著者はその博覧強記ぶりを発揮して、インド、中国、朝鮮など、さまざまな仏教圏で展開される恋愛譚を次々と披露して飽きさせない。それでは、日本の場合はどうだろうか。日本の仏教文学というと、まず中世の説話や随筆、軍記物などが思い浮かぶであろう。ところが、著者はそれらには見向きもしない。『万葉集』から平安期の恋愛物語へと進み、中世はというと、稚児物語を持ち出してくる。確かに、男社会の寺院は男同士の愛を育む場であった。近世になると、釈迦が孔子や老子と遊郭に遊ぶ『
楽しんで読み進めればよいのだが、途中さまざまな新説が提示されていることも見落とせない。例えば、今日でも使う「心から」という言葉は、本来「自業自得」の「自」の意であるという。文学テキストを読解する上でも見逃せない本である。
末木文美士
すえき・ふみひこ●仏教学・日本宗教史、東京大学名誉教授