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浅井晶子『ポルトガル限界集落日記』
[第9回]限界集落のオリーブ収穫

[連載]

[第9回]限界集落のオリーブ収穫

 私たちが暮らすここ山奥では、咲く花、木の葉の色、匂い、空気などで、季節は暴力的なまでにその存在を主張する。同時に、季節とは五感で受け取るだけのものではない。一年のそれぞれの時期に、(夫が)やるべき仕事がある。三月には草刈りをし、その後畑を耕して(我が家の場合はプランターに土を入れて)、苗を植える。夏にもまた草を刈り、乾燥するので木にも作物にもひたすら水をやる。九月になって雨が降り始めるころにはブドウの収穫、ワイン造り。そして十一月にはオリーブを収穫する。終わると冬で、枯れ枝を集めて燃やす一方、春に向けて木々の剪定や手入れが待っている。村祭りなどの年中行事がそんな日常のアクセントになる。

 私たちがC荘を手に入れてから二年目の秋だっただろうか。アントニオの家を訪ねて世間話をしていたとき、彼が「来週、一週間の休暇を取った」と言った。私は能天気に「どこに旅行に行くの?」と訊いた。ドイツでは休暇というのは旅行のために取るものだからだ。だがアントニオは私の質問の意味さえわからなかったようで、「旅行?」と怪訝な顔で訊き返した。
 ポルトガルの田舎の人が十一月に休暇を取るなら、それはオリーブ収穫のためでしかない。かつてはドイツの農村でもジャガイモの収穫期には学校が休みになったという。日本の稲刈りの時期も同様だろう。ポルトガルのオリーブ収穫は、ドイツのジャガイモ収穫、日本の稲刈りに相当する一年のハイライト。ポルトガル人の必須食品であるオリーブオイルを作るためとあって、真剣勝負である。
 現代ではさすがに学校は休みにならないものの、オリーブ収穫が大仕事であるのは変わらない。十月末から十一月末にかけて毎週末コツコツと収穫していく家庭もあるし、都会に住んでいる子や孫や親戚まで総動員して一気にことに当たる家庭もある。
 我がC荘には代々受け継がれてきた古いオリーブの木が百本ほどある。普段は夫が剪定や肥料やりなどの世話をしているが、いざ収穫となると、仕切るのはS村のアントニオだ。C荘はかつてアントニオの叔父一家の住まいで、アントニオも若いころ叔父を手伝ってC荘で働いており、現在の所有者である私たちよりずっと敷地内のことを熟知している。だからC荘のオリーブもブドウも自分の管轄下にあると考えている節がある。つまり我が家のオリーブ収穫は、アントニオのオリーブオイル作りの一環なのである。収穫から搾油まで彼が責任を持ち、私たちは出来上がったオリーブオイルから、搾油所の料金、収穫を手伝ってくれた村人の日当などを引いた分を手渡されるだけだ。自分たちの土地の、紛れもない自分たちのオリーブではあるのだが、気分も実態も現物支給で働く労働者である。
 収穫の日を決めるのももちろんアントニオだ。自分の地所のオリーブも収穫せねばならないから、そちらとの兼ね合い、天気、実の熟し具合などを考慮して決めた日に、助っ人の村人を従えてうちにやってくる。そして私も入れた四、五人で、まる二日かけて実を収穫する。
 さて、現代ではプロフェッショナルな大規模経営オリーブ農場ならば、収穫は機械化されている。広大な敷地に収穫用の機械が通れる幅をあけて、等間隔で同じ高さのオリーブの木が整然と植えられている。機械が通路を通って左右に並ぶオリーブの木から実を収穫していく。そんな大規模オリーブ農場は、遠くから見るとオリーブの木の列がうねになって、さながら茶畑のような眺めだ。
 一方、私たちが暮らす地方は、どこも自分と家族用のオリーブオイルを作っているだけの、「農家」と呼ぶのもはばかられる細々とした兼業ばかり。山の斜面を利用した段々畑状の敷地が多いし、そもそもオリーブの木が等間隔で並んでいない。そんなわけで全自動の収穫機は使えない。それでも近年は、電気またはガソリンで動く巨大な熊手のような器具を使う人が多い。地面に大きなネットを敷いておいて、その器具で枝をこすって実を落とすのだ。
 ところが我が家のオリーブ収穫はさらに前近代的で、なんと手摘みである。アントニオたちは木のかごの持ち手にベルトを通し、それを首にかけて、籠をタイの托鉢僧たくはつそうのように胸の前にぶら下げ、そこに枝から手で摘んだオリーブの実をせっせと入れていく。最近知ったのだが、日本の瀬戸内産の最高級オリーブオイルには「手摘み」を売りにしたものがある。ということは、摘み方から言えば我が家のオリーブオイルもきっと最高級品のはずである。
 収穫の日の朝は残酷なほど早い。私は普段は夜型で、朝八時前に起きることは滅多にないのだが、アントニオと助っ人アリーリオはたいてい八時前に元気にやってくる。そこで私も前夜にスマホの目覚まし時計をセットするものの、設定時間は八時という横着さだ。私はどうせただの手伝いだもん、という低い当事者意識のなせる業である。つまりアントニオとアリーリオは私がまだ寝ているうちにやってきて、こちらに声をかけることもなく、庭で勝手に作業を始めているのだ。
 目覚まし時計に起こされた私は、ふたりについてきたそれぞれの飼い犬が吠える声を聞いて、彼らが来ていることを知る。仕方なく起きて、急いでコーヒーだけ飲んで庭に出ようとしたところで、七時半に起きたはずの夫が階上の自室にいることに気づく。「アントニオたち来てるよ!」と階段の下から声をかけておいて庭に出ると、ふたりはすでに托鉢僧スタイルで黙々と作業している。「おはよう!」と挨拶して私も作業開始。胸の前にぶら下げられる大きさの籠を持っていないので、バケツを足元に置いて、摘んだオリーブを入れていく。
 オリーブの実というのは、熟す前は緑色で、小さく固い。熟すほどに実は大きく、柔らかくなり、色は濃くなる。まだ熟していない緑の実からは少量のオイルしか搾れない。オイルはオリーブの風味が強く、ぴりりとした辛味や刺激を持つ。一方、熟した黒い実から搾れるオイルの量は緑の実からのなんと九倍。味はまろやかで癖が少ない。私たちが収穫を行う時期にはオリーブはだいたい黒く熟しているが、まだまだ青いものもたくさんある。アントニオはもちろん同じ量からより多くのオイルが搾れる黒い実ばかりになるまで待ちたいところだろうが、オリーブは熟す速度が木によって違うため、あまり待ちすぎると早く熟した実が悪くなってしまう。雨が降ればなおさら、実が地面に落ちてしまって元も子もない。
 アントニオとアリーリオは目にも留まらぬ速さで実を摘んでいくが、色の区別などしないから、籠には緑の実もたくさん入る。こいつらからはほとんど油が搾れないんだ、とアントニオはぼやくが、私は緑の実から搾ったオリーブオイルの風味が好きなので気にしない。ちなみに、緑の実のみを搾ったオリーブオイルは高価な贅沢品として売られてもいるようだ。私が日ごろどぼどぼと使っているのはそんな高級オイルがふんだんに含まれる贅沢品なのだと思うと気分がいい。
 せっせと実を摘んで籠やバケツがいっぱいになると、五十リットルほどの袋にザーッと中身をあける。その袋もいっぱいになると、男たちが肩にかついでカーポート前まで運んでいく。カーポートは山の斜面に段々畑状になった我が家の土地のてっぺんにあるから、数十キロの袋をかついで山登りをするようなものだ。

 山奥の我が家は敷地だけは広大なので、一年に一度、このときにしか足を踏み入れない場所もある。だから収穫作業をしていると、こんなところにもオリーブの木があったのか、としょっちゅう驚かされる。また家の周辺の普段目にしている木さえ、オリーブの木だと認識していないこともある。間抜けなことに、収穫する段になって初めて、あ、この木はオリーブだった、と気づくのだ。手が届かないほど高いところにある枝はばっさりと切り落とし、座って膝の上で実を摘んでいく。だから収穫が終わった後のオリーブの木は枝がところどころなくなって、すかすかの滑稽な姿だ。
 収穫は単純作業だから、退屈ではあっても体力的にはたいしたことがないだろうと、実際に作業する前は思っていた。九月のブドウ収穫のときはまだ暑さが残っており、日射しも強いので体力を奪われるが、晩秋の山奥はすでに肌寒い。しかし酷寒というほどでもないから、確かにブドウ収穫に比べれば体は楽だ。ところが日陰だとそのうち体が冷えてくるし、かといって陽光に照らされた場所にいると肌が乾燥してごわごわになる。屋外での仕事に慣れていないひ弱な町育ちには過酷な環境で、男たちのように袋をかついで急斜面を上ったりはしないというのに、一日が終わるとくたくたになってしまう。
 なにより辛いのは、作業が単調なことだ。かつて農作業しながら歌うのが好きだったという話をしてくれたのは、私がアセニョーラ(奥さん)と呼んでいるグラシンダのお母さんだった。何年も前、グラシンダの家の食卓でその話になったとき、私が「じゃあアセニョーラ、なにか歌って!」と言ったら、グラシンダと夫のアントニオが珍しくそろって頭を抱え、ううう、とうめいたのを思い出す。そんなにジャイアンなのだろうか。ますます興味をかきたてられた私はあえて空気を読まず、村祭りのときに必ずかかる歌を、歌詞がわからないから「ラララ~」と旋律だけ歌い出した。するとアセニョーラはグラシンダたちの顔色をうかがいながらも、恥ずかしそうに唱和してくれた。小声でワンフレーズのみだったからか、ちっともジャイアンではなかった。隣でほろ酔いの夫(実はジャイアン)が「うまいうまい!」と嬉しそうに手を叩いた。
 自分で体験してみると、オリーブの収穫作業は確かに単調すぎて、歌が歌いたくなる気持ちがよくわかる。音楽かオーディオブックが聴ければもっといい。けれどひとりイヤホンをしていては声をかけられても気づけないだろうし、修行だと思って無音のなかで作業する。すると、普段は「明日から本気出す」と先送りにしがちな仕事の締め切りが妙に気になってそわそわしてくる。なにも気を紛らわすものなしに単純作業をするのがこうも苦しいとは、私は大人になる過程でいったいなにを失ってしまったのか。
 そんなわけで、労働場所が自宅の敷地であるのをいいことに、私はときどき家のなかに入ってこっそりコーヒーなど飲みながら、十五分ほどサボる。皆がそれぞれの場所で自分のペースで作業しているので、私がしばらく姿を消そうが誰も気にしない。ポルトガル人の緩くていい加減な性分がこんなときは得難い長所に思われてくる。しかし小心者の私は、自分がサボって部屋にいるときに窓の前を誰かが通ると、思わず座っているソファの上をずりずりといざって体を沈めたりと、姑息な行動に及んでしまう。
 そんな私とは対照的に、作業中の村人ふたりの集中力と持久力には感心させられる。ふたりでぼそぼそとなにか話したりしながら、淡々と実を摘み続ける。子供のころから来る秋も来る秋もこの地でオリーブを摘んできた彼らの人生に思いを馳せる。いつか住人がみんないなくなったら、誰がS村のオリーブを摘むのだろう。
 私がそんな感傷を抱きつつ作業をするあいだ、アントニオの飼い犬である若いシャディスとアリーリオの飼い犬である老いたボウリーニョは、我が家の敷地を駆け回ったり、あらぬところに穴を掘ったりして気ままに遊んでいる。シャディスと大の仲良しの夫は、私同様やはり退屈なのだろう、シャディスの肢をつかんで引きずったり、体を持ち上げたりと、手荒く遊んでやる。「可哀そう! やめて!」と叫ぶ私をよそにシャディスは大喜びで、何度でも遊んでもらおうと匍匐前進で夫ににじり寄っていく。好きなときに我が家に通ってくる猫のテルは、おそらく犬たちとうまくやる気がないのだろう、オリーブ収穫の二日間は煙のように消え失せている。

 延々と続く単純作業の楽しみは昼食のみだ。本当は我が家でなにか温かい料理を用意すべきなのかもしれないのだが、どうやら向こうも外国人がまともなポルトガル料理を出せるとははなから期待していないようで、昼食はアントニオがちゃんと持参してきている。パン、地元のソーセージ、山羊や羊のチーズ、山羊の腸に米と山羊肉とハーブを詰めて炊いた地元料理「マラーニョ」、マルメロの実を茹でて固めた「マルメラーダ」という羊羹ようかんのような甘いお菓子などだ。もちろんアントニオの自家製ワインもたっぷりある(このワインには我が家のブドウも使われているので、部分的には私たちのワインだ)。私たちが提供するのはコップやカトラリーや水、庭にちょうど実っている蜜柑や柿、それに食後のコーヒーだ。肌寒さをものともせず、庭のテラスに座って、犬も含めた皆で食べる――と書くとピクニックのようでなんだか楽しそうだが、私の不自由なポルトガル語と、そもそも団らんなどする気がなさそうな男三人のせいで、あまり話が弾まない。ただ黙々と栄養摂取をするだけだ。
 コーヒーとともにアントニオとアリーリオが煙草を吸い終えると、短い昼休憩は終わり。そして皆がまた根気のいる作業に戻っていく。

 こうして二日にわたって懸命に働いた結果、昨年は十五袋半のオリーブを収穫した。二日目の夕方、やはりS村の住人であるマリオが軽トラックでやってきて、袋とともに村人と犬をまとめて荷台に積み込み、一キロ先の村に帰っていく。闘い済んで日が暮れて、晩秋の夕日を背に去っていく人と犬とオリーブの光景はのどかで、どこか物悲しく、少しばかり滑稽でもある。彼らを見送りながら、「なんだか遠くまで来たなあ」とふと感慨にふける。日本の地方都市育ちで、農作業には無縁、オリーブの木など見分けることさえできなかった私が、百戦錬磨の村人たちと二日も一緒にオリーブの実を摘んだとは。ふと、これは現実ではなく、映画のなかの出来事なのでは、という気がしてくる。
 だがそんな感傷もほんの一瞬のことだ。軽トラックが見えなくなると、私たち夫婦は小走りで家に入り、薪ストーブに火をおこして冷え切った体を温め、ようやくのんびりくつろぐ。私たちの仕事はここでおしまい。疲労困憊こんぱいだが、今年もやり切った充足感でいっぱいだ。
 だが実は、自家製オリーブオイルを手にするまでの道のりは、まだまだ遠く険しい。次回はオリーブオイルの搾油と、オリーブオイルとともにあるポルトガル山奥の生活について書いてみたい。

イラストレーション・オカヤイヅミ

浅井晶子

あさい・しょうこ●翻訳家。
1973年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程単位認定退学。2003年トーマス・ブルスィヒ『太陽通り』でマックス・ダウテンダイ翻訳賞、2021年ジェニー・エルペンベック『行く、行った、行ってしまった』で日本翻訳家協会賞翻訳特別賞受賞。訳書にイリヤ・トロヤノフ『世界収集家』、トーマス・マン『トニオ・クレーガー』、エマヌエル・ベルクマン『トリック』、ローベルト・ゼーターラー『ある一生』、ユーディト・W・タシュラー『国語教師』『誕生日パーティー』、ユーリ・ツェー『メトーデ 健康監視国家』ほか多数。

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ユーディト・W・タシュラー 著/浅井晶子 訳

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