[書評]
なんと二十作目である。いやあ、すごい。
すべての始まりは二〇〇六年に刊行された『東京バンドワゴン』だった。東京の下町にあるカフェ併設の古本屋<
シリーズ開始当時の人物配置を見てみると、店主の
──という八人(プラス幽霊)で始まったシリーズだが、ここまでの二十冊で家族構成には大きな変化があった。現在堀田家は十四人なのである。いや、十五人になったのか。そして家族ではないがともに食卓を囲む人は……えーっと、何人だ?
とにかくどんどん人が増える。堀田家だけでなくご近所さんや常連客もいる。巻頭の相関図は一巻ごとに煩雑になるし、登場人物と設定を紹介するプロローグは巻を追うごとにページが増える。そのうち本編より長くなるんじゃなかろうか。
ここまでの二十作のうち五作は堀田家の過去を描く番外編で、それを除けば作中で十年が経った。十歳だった研人は高校を卒業してロッカーになったし、十二歳だった花陽は大学生になった。そしてなんとふたりとも結婚しているのである。あの小さかった子たちが! 一方、勘一は八十九歳。最近は新作が出るたびに「勘一は元気だろうか」とドキドキしている。シリーズものの醍醐味だなあ。
実は、第一作で花陽や青の出生の秘密が明かされ、青が結婚したときにはもったいないと思ったのだ。いくらでも引っ張れそうなネタなのに、と。だがシリーズを追ううちに、それで良かったのだと気づいた。堀田家の問題が解決されたのは「結末」ではない。スタートであり途中なのだ。過去を整理して堀田家は進んでいく。進んでいけば、新しい出来事が起きる。人が増えたり減ったり、出会ったり別れたり。隣近所も変わっていく。家族とは変わるものなのだ。けれど顔ぶれや環境は変わっても、情に厚くて愛を大事にするという堀田家の基本は変わらない。変わる家族、変わる社会の中で、決して変わらぬものも確固としてあるのだと、変わらないものがあるから安心して変わっていけるのだと、このシリーズは伝えているのだ。
そんな堀田家が毎回巻き込まれる事件もすごいぞ。幼稚園児の可愛い悩み相談があるかと思えば国家を揺るがすような謀略サスペンスもある。古本屋ならではのビブリオミステリもあれば、切ない家族の物語もある。それだけの間口の広さは、魅力的な登場人物の活躍による賜物だ。堀田家には明治から蓄積された古本の知識に加え、歌手・画家・ライターがいて芸能方面には無類の強さを発揮する。常連客には元刑事もいれば裏社会に詳しい記者もいる。IT企業の社長もいるし、強面のおじさんもいる。人脈がチートなのだ。どんな事件もこの人脈を駆使して鮮やかに解決するのである。小学生の悩みだろうが英国情報部に脅されようが、我南人の決め台詞「LOVEだねえ」で大団円。
だが、基本はホームドラマである。巻末に必ず書かれている「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ」という著者の一言の通り、七〇年代の明るくて賑やかで、いくら騒ぎがあっても最後は収まるところへ収まる古き良きホームドラマのテイストがここにある。
本シリーズには登場人物の内面描写がないことに気づかれたい。幽霊のサチがカメラアイになり、どの人物も外から描写されている。皆、心の中ではいろいろなものが渦巻いているかもしれない。けれどそれは言葉にしない限りは語られない。読者はサチの目を通して、彼らの「見える部分」だけを読む。だから安心して楽しめると同時に、そこからさまざまなメッセージを汲み取るのだ。これはまさにテレビドラマの手法である。
四世代同居だし、人脈はチートだし、家族はみんな仲がいいし、知り合いもみんないい人だし、何かあれば阿吽の呼吸で団結して困っている人を助け、しかもそれが上手くいく。こんな濃密な人間関係はもはやファンタジーかもしれない。でも、だからこそ「東京バンドワゴン」に惹かれるのだ。こうありたい、こんな人たちがいてほしい、と。この中に入れば彼らに恥じるような真似はするまいと思い、なんだか自分が少し上等な人間になれそうな気がするのである。それが本シリーズの人気の最大要因ではないだろうか。
『オール・マイ・ラビング』である人物が口にしたこのセリフが象徴的だ。
「あんたらのような連中はね、こんな世の中じゃ化石みたいなもんなんですよ。化石で、だけど、奇跡だ」
我々読者は二十作にわたってその奇跡を味わってきた。その歳月自体がすでに奇跡である。この奇跡はまだまだ続いてほしい。そのためにも、小路さんと勘一の健康を心から願っている。
●「東京バンドワゴン」シリーズの既刊情報は、特設サイトでご確認ください。
https://www.shueisha.co.jp/bandwagon/
大矢博子
おおや・ひろこ●書評家