[対談]
自分に合った面白いを探せば、
面白く生きる方法はいくらでもある
重い心臓病を患う母、入院費を稼ぐために夜中まで働く父。子供の頃は貧乏で、決してめぐまれた環境ではなかったという医師の鎌田實さん。それでも時にがんばり、時にはがんばらず、「医者か寿司屋」という夢に向かって歩んでいきます。そんな鎌田さんが17歳の頃に考えていたことや、出会った人々を振り返りながら、「面白い人生」「自由な人生」を生きるためのヒントを、『17歳のきみへ 人生で大事なことは、目には見えない』に綴りました。刊行にあたり、又吉直樹さんとの対談をお届けします。
お笑いと本とサッカーが好きで、何をしても「恥ずかしい」少年時代を経て芸人になり、作家としても活躍する又吉さん。唯一無二の個性を守り育んだ、ご自身の17歳の頃について。そして鎌田さんの新刊の魅力について、お話しいただきました。
構成=砂田明子/撮影=露木聡子
又吉 すごく面白くて、10代の頃に読めていたらよかったな、と思いました。どんな人も、少し視点を変えればいろんな可能性が広がっていることが、すっと入ってくるんです。これは、標語みたいに言葉だけを切り取るとなかなか受け入れがたいんですけれども、本には鎌田先生の実体験とともに書かれているので、腑に落ちる。僕は物事を悲観的に捉えてしまう10代でしたが、そんな僕のような子供でも、もしかしたら違う考え方があるとか、違う選択肢があるかもしれないと感じられる本だと思いました。
鎌田 うれしいですね、そう言っていただくと。又吉さんは17歳くらいのときに、いつか漫才をやりたいと、頭の片隅にでも思っていましたか?
又吉 すでに思っていましたね。というのは小学生のとき、担任の先生が、みんな高校を卒業して大学に行くイメージを漠然と持っているかもしれないけど、この中で、3分の1しか大学に行けないぞと言ったんです。だから勉強をがんばれと先生は言いたかったんでしょうけど、僕が思ったのは、えっ、そんなに少ないんだと。じゃあ、勉強ができない自分は大学に行けないなと。で、どうやって生きていこうか考えたときに、テレビでお笑い芸人を見ると、大人なのに子供のようにふざけてて、その姿を見ると笑えてラクになれたんです。これなら自分もできるかもと、なんとなく将来のイメージを持つようになりました。
みんなと違う自分にこだわる
鎌田 又吉さんは『月と散文』というエッセイ集に、何をしても「恥ずかしい」を繰り返した子供時代だったと書かれていますね。恥ずかしいを全面に出している子供時代なのに、漫才をやるのは恥ずかしくなかったんですか? そこまで振り切ったほうが逆にラクだった?
又吉 そうですね。理由は複合的なんですが、一つには恥ずかしいからいつも教室の端っこにいて、「又吉の声、聞いたことない」と女の子たちに言われているうちに、そのキャラクターを守らないといけない気がして余計しゃべりにくくなっていくんです。そうするとストレスのようなものが溜まって、自分の中がパンパンに膨らんでしまうんですね。でも、誰かが面白いことをするのを見て笑ったときと、自分が何かをしてみんなが笑ったときは、膨らんだものがパーンと弾ける感覚があったんです。僕は今もこれを繰り返しているところがあります。
鎌田 サッカーをしているときはどうでしたか? 高校はサッカーの強豪校に行って、レギュラーだったんでしょう。
又吉 はい。当時も今も、日常生活だと、自分の目とは別に、頭の上にカメラがあって、自分自身とカメラが一致することがなかなかないので分裂しているような感覚になることが多いんです。でも、カメラが下りてきて、自分自身と一致するときはあって、それがサッカーとお笑いなんですね。俯瞰で物事を見たり考えたりするのではなく、自分の考えが一つにまとまる感覚が、サッカーとお笑いをしているときにはあるんです。
鎌田 なるほどね。じゃあ、サッカーとお笑いをやっているときは、幸せなんだ。
又吉 そうですね。何も考えなくてよくて、気持ちいいですね。
鎌田 一方で、俯瞰の視点はものを書く行為につながっていると思いますが、又吉さんにとって「書くこと」はどういうことですか?
又吉 自分の気持ちを整理することであると同時に、書いているときにしか考えられないことがあるんです。考えたことを書くだけではなくて、書きながら気づくことがあるので、書くこと自体にすごく期待しているところがあります。自己表現の場としても、僕にとっては大事ですね。お笑いではどうしても発表できない感覚や発想が、エッセイになったり小説になったりしていると思います。
鎌田 又吉さんがやってきたサッカーやお笑い、そして文学も、「みんなと違う自分」にこだわってきた結果なのかな、と思うんですね。僕はこの本を通して17歳くらいの若者たちに、「人と違っていいんだよ」ということを伝えたかった。生きていく上では偏差値よりも、「変さ値」が大事だよと。そういう生き方を体現されている又吉さんと、今日はお話ができてうれしいですね。
又吉 僕はサッカーをやっていたこともあって、本を読む友達がほとんどいない環境だったんです。本を読んでるなんて変人、みたいな扱いで、それでも自分にとっては大切なので読むんですが、ちょっと隠れて読んでいたんです。でも一つ年上に、僕より本を読む女の子がいて、その子は朝礼でも読んでいるし、遊ぶときも本を読みながら大縄跳びをしている。「あいつ何やねん」ってみんなに言われてましたが、周囲を気にせず自分が好きなものを大切にできるその子を、僕はすごくかっこいいと思っていました。
鎌田 すごい子だ! 彼女ほどじゃなくても、どんな職業についても、スポーツ選手でもラーメン屋でも経営者でも「言葉」は大事。これも、この本で伝えたかったことの一つです。言葉が感情や想像力をつくりだして、行動を引き起こすから。だから勉強が嫌いでも、本は読んだほうがいいと僕は思っているんです。
「三分の一の悪人」を手なずける
又吉 たくさん印象に残った言葉やエピソードがあるんですが、まず、育ててくれたお父様と進路でもめたときの衝撃的な一場面ですね。その後、そういう悪い自分を自覚した上で、できるだけ出さないように生きていたと書かれています。なかったことにしたり、自分はそういう人間だから仕方ないと開き直ったり、あるいはそれはかつての自分であって今の自分ではないと捉える人もいると思うんですが、認めた上で自制するというのは重要な態度だと思いました。
鎌田 「三分の一の悪人」という表現をしたんですけど、人を傷つけるかもしれない自分は、今も自分の中に居ると思っています。その悪人が暴れ出さないように、手なずけていくことが、生きる意味につながっているのかなというのが僕の考えなんですね。
又吉 親から受け継ぐものや遺伝子について書かれているところも響きました。いいものは親からバトンを受け取ればいいけれど、違うと感じるものは受け取らなくていいと。僕は父親のキャラクター自体は好きなんですが、お酒が好きで煙草もよく吸って暴力的な発言も多い人間だったので、若いときは、とにかく父親の逆をやろうと意識していたんです。それなのにどうしても似てくる部分はあって、お酒が好きになってしまったり、そもそもわかりやすく顔が一緒やったり。たまにハッとするんですよ。味噌汁を飲んだときの、空のお椀の底に映った顔が、親父そのままやなと。完全に親とのつながりを断つことはできないと考え始めていたところだったので、興味深く読みました。
それから「1%」は誰かのために生きようと書かれているのが、意外でもあり、気がラクにもなりました。先生は、実際は半分くらい人のために働いてこられたんじゃないかと思うんですが、それでも1%と書かれた理由はなんでしょう?
鎌田 1%だったら、いろんな人が「自分もできるかもしれない」と思ってくれるんじゃないかと考えたんです。そういう人が増えていけば、世の中もっと面白くなったり、住みやすくなったりするんじゃないかって。それに10%っていうと暑苦しいでしょう(笑)。
又吉 もし誰かに10%とか30%と決められたら、そんなん余裕あるヤツがやっとけやと、卑屈になってしまう人が生まれると思うんですよ。1%が実際の数字かどうかはべつとして、そういう伝え方がすごくいいなと思いました。気持ちいい環境をつくりそうだなと。
鎌田 ○じゃなくて△でいい、というのも、1%の考え方と似ているかもしれませんね。自分が○になれないからかもしれないけれど、△のほうが面白いじゃないかという考えが自分の中にはある。
又吉 わかります。僕は本が好きだし、小説を書いたりしているので、勉強できなかったといっても国語だけは得意だったんでしょうとよく言われるんですが、ほかよりましなだけで全然優秀ではなかったです。現代文の読解力のテストでも、だいたい△をもらっていました。主人公の気持ちを問う問題に、周りにはこう見えてるけれども、本当はこういうものが根底にはあるはずだ、とかを空いてるスペースにびっしり書いていたんです。先生に「考えすぎ」って書かれて△でした。
鎌田 その解答、読んでみたいですね。僕が△でもいいというのは、失敗してもいいんだよ、というメッセージでもあるんです。「人には失敗する自由だってある」と本に書きました。僕もたくさん失敗してきましたが、一度や二度失敗したって人生はどうってことはないし、回り道に意味があることだってあります。
又吉 そうですね。失敗しないために行動しないのが一番もったいないと思います。失敗する自由は挑戦する自由でもあって、失敗するようなヤツがいらんことするな、みたいな空気はよくないと思いますし、一度言った発言には責任をとらないかん、みたいな空気が強すぎるのも人を委縮させるなと。意見は変わっていいはずです。
それからもうひとつ、いろんなものを超えていく力を感じる話がありました。高校でサッカーをしていた少年が卒業前にがんで亡くなられて、学校は卒業証書を渡すことができないと判断したけれど、卒業式のとき、同級生たちがみんなで彼の名前を呼ぶんですよね。一緒に卒業するために。人間の美しい瞬間がちゃんとあることを感じられる、感動的な場面でした。
鎌田 多感な時期にいる子供たちに仲間の大切さを知ってもらえたらと思って書いた場面ですね。うるうるしながら書いて、読みなおしても、またうるうるしてしまうんです。
貧乏な自分だって何とかなるんじゃないか
又吉 鎌田先生は17歳のとき、どういう少年だったんですか?
鎌田 僕には育ての親と産みの親がいるんですが、育ててくれた母親は重い心臓病で長く入院していて、父親は入院代を稼ぐために夜中まで働いていたから、休みの日もどこにも行けなくて、とにかく図書館の本を繰り返し読んでいたんです。だから頭の中にはパンパンに世界が広がっていて、世界を見てみたい、世界に出ていける人間になりたいと思っていました。結果的に医学部に入って医者になったわけだけど、子供の頃の夢は医者か寿司屋。お金がなくて私立なんて無理だから、国立の医学部に行けなかったら、寿司屋になって世界へ飛んでいくぞと。
又吉 僕も中高生の頃に読んだ本の内容はよく覚えています。本に限らず、当時友達とした会話や、家族や先生に言われた言葉が、今も心のどこかにある。反発も含めて、言葉の響き方が強い、すごく大事な時期ですよね。
鎌田 そうですね。それから僕は、生活が大変でつらいだけに、いつか面白く生きられるようになりたいとも思っていた。で、本を読んでいるうちに、「面白い」は多様だと気づくんです。笑ったり楽しい経験だけじゃなくて、痛いとか、怖いとか、刺すような経験でも、面白がっている主人公がいるからですね。なるほど、自分に合った面白いを探せば、面白く生きる方法はいくらでもあるんだなと。貧乏な自分だって何とかなるんじゃないかと思えるようになったんです。
又吉 17歳で面白いは多様だと気づくのは、だいぶん早い気がします。僕はちょっと前にそう思い始めたかもしれません(笑)。仕事をがんばろうとか、創作意欲に従って作品を作ろうとかを真っすぐにやってきて、それはそれでもちろん面白いんですが、中高時代の同級生にたまに会うと、みんなすごく楽しそうなんで、あれ? と。自分が思ってる人生だけが人生じゃなくて、あらゆる楽しいや面白いが実はあるんやなと。もうちょっと気楽に考えてもいいなと、ちょっと前に思い始めた感じです。
鎌田 でも、小説を書いているとき、たとえば『火花』を書いていたときは面白かったでしょう?
又吉 そうですね。体力的にはしんどかったですが、自分と作品だけの時間で、集中して、のめりこんでいました。
鎌田 芥川賞を受賞した又吉さんの『火花』とはきっと比べものにならないんだけど、この『17歳のきみへ』を書いている半年間は、僕もとても面白かったです。この本はとくに、今、ちょっと躓いている子に読んでもらいたいですね。そして人生って捨てたもんじゃないなと思ってもらえたら、とてもうれしい。
又吉 幅広く、あらゆる観点から書かれているので、みんな勇気づけられると思います。最初に10代の頃に読めていたらと言ったんですが、同時に、僕くらいの年齢の人間が読んでも、とてもためになると思います。
鎌田 今日は楽しかったです。ありがとうございました。
鎌田 實
かまた・みのる●1948年東京都生まれ。
74年東京医科歯科大学医学部卒業。88年諏訪中央病院院長に就任。2005年より同病院名誉院長。チェルノブイリ原発事故後、放射能汚染地帯へ医師団を派遣し医薬品を支援。ウクライナ避難民支援にもいちはやく着手。イラクへの医療支援、国内の被災地支援にも尽力。著書に『がんばらない』『鎌田式「スクワット」と「かかと落とし」』『鎌田式健康手抜きごはん』『雪とパイナップル』『アハメドくんの いのちのリレー』等多数。
又吉直樹
またよし・なおき●1980年大阪府生まれ。
99年に上京し吉本興業の養成所に入り、2000年にデビュー。03年に綾部祐二と「ピース」を結成。現在は執筆活動に加え、テレビやラジオ出演、YouTubeチャンネル『渦』での動画配信など多岐にわたって活躍中。著書に小説作品として『火花』(芥川賞)『劇場』『人間』、エッセイ集として『第2図書係補佐』『東京百景』『月と散文』等。