[本を読む]
どの家族にもいつか訪れる翳りの日々
伊岡瞬の作品を読むたびに、小説は人の関係を描くものなのだ、と実感させられる。
その新刊『翳りゆく午後』は社会の最小単位である家族を描いて胸に染み入る小説だ。
東京西部の七峰市に住む大槻敏明には悩みがあった。間もなく八十歳になる父・武は同市内の実家で一人暮らしをしているのだが、いまだ運転免許証を返納せず車を乗り回しているのである。最近になって物忘れが激しくなり、敏明は認知症の兆候を疑っている。中学校校長の職に就いていたためか武は気位が高く、返納を勧める息子の助言など聞く耳を持たない。さらに、別の嫌な噂も耳に入ってきた。定年退職後、生涯学習センターの講師を務めている武が、女性の受講者と個人的に親密な関係になっているらしいというのだ。
武の車に何かにぶつけたものとしか思えない傷を発見し、近くで
最大の美点は、轢き逃げ事件に関する謎解きを主軸にしながら、敏明たち家族の群像を描く物語になっている点だ。敏明が武の行動を調べるのは、実の父親だからである。人は家族というしがらみからいかに自由になれないものかを本書は描いている。人物造形は巧みで、身辺にいる誰かのような親近感がある。だからこそ敏明に感情移入してしまうのだ。
大槻家の長い歴史が浮かび上がる小説で、中途に美しい場面がある。どの家族にも幸せな記憶があるだろう。その美しい時間が一瞬蘇るのである。そのくだりを読んで、自身の家族にも思いを巡らせた。すべての愛憎と、自分を形作る思い出がその中にある、家族に。
杉江松恋
すぎえ・まつこい●書評家、ライター