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特集対談/本文を読む

北方謙三×尾崎世界観
“小説の広さと表現をめぐって”

[特集対談]

小説の広さと表現をめぐって

二〇一八年五月に第一巻『火眼』と第二巻『鳴動』が同時刊行されて始まった『チンギス紀』。二〇二三年七月刊行の第十七巻『天地』が最終巻となり、ついに完結する。完結を記念し、著者の北方謙三氏と、作家としてミュージシャンとして活躍する尾崎世界観氏との対談が行われた。

写真=露木聡子

リアリティを積み重ねる

尾崎 『チンギス紀』は四か月に一冊の刊行ペースでしたね。

北方 そう。一巻が原稿用紙五百枚なんだけど、「小説すばる」で百枚、百枚、百五十枚、百五十枚で、四か月に一冊。

尾崎 とても信じられないです。どうしたらそんなことができるんですか。

北方 俺にも分からない。ただ尾崎君が持っているリアリズムの力みたいなものがあるよね。『祐介』で外に逃げたときにビニール袋を履いちゃったとか。あれこそがリアリズムで、それを積み重ねればいいんだから、本当は書けるはずなんだ。説明でなく、書けているでしょう。

尾崎 もう体の反応ですね。

北方 それを積み重ねて書けるようになれば、枚数はあまり関係ないんだね。

尾崎 でも、やっぱりびっくりします。

北方 俺もちょっと変なところはあるんだと思う。書いていて快感を覚える面もあるから。ただ『チンギス紀』は入院があったからつらかった。いつも万年筆で書いてるんだけど、寝ていると重力が逆になるから、万年筆では書けない。画板に原稿用紙を貼りつけて、寝た状態で鉛筆で書いていた。

尾崎 どうやって貼りつけたんですか。

北方 普通は画用紙を挟んで留めるところに原稿用紙を留めた。枚数は五百一枚でも四百九十九枚でもない。書き直さないから使った原稿用紙の枚数も同じ。

尾崎 読者も全く違和感がないということですよね。すご過ぎる……。肉体の調子は物語に影響しないんですか。

北方 しますね。でも調子が悪いときのほうがいい。精神や肉体の状態がよくないときは、原稿用紙が何かを引っ張り出してくれる。そのうち調子がよくなってくる(笑)。

尾崎 どちらも悪いときのほうがいいということですか?

北方 うーん、いいときはいいと認識することがないんだろうね。

尾崎 なるほど。いいときは、いいとすら思わない。

北方 ほぼ思わない。尾崎君はどう?

尾崎 確かに体の調子が悪いほうが書けるものもあります。でも、いいほうが書けることもあるんです。喉を壊して物理的に声が出ない状態でライブがあっても、それはそれで何とかいいかたちにできることもあるから、本当に不思議です。

北方 俺の弟分も、ポリープで音域が二音ぐらい出ないとき、やってよかったと言ってたよ。

尾崎 体の調子が悪いときに無理して音楽活動をしていると、治ったときにそれまでどうだったのか分からなくなるんですよね。当たり前のことだったはずなのに、忘れてしまったり。そういう意味では、小説だと何かしら書けてしまうという怖さがあるのかもしれません。

描写とスピード感

北方 三十枚で一本書くのはどうかな。俺は今十五枚で書いているんだけど。

尾崎 十五枚ではなかなか書けないですね。

北方 書けない。相当修練を積まなきゃ。

尾崎 少ないほうが逆に難しいですよね。それは現代の話ですか。

北方 うん。「オール讀物」に載ります。

尾崎 楽しみです。ちなみに『コースアゲイン』の短編は何枚くらいですか?

北方 同じく十五枚かな。あの短編は小説という意識を強くは持たずに書いた。今のは明確に小説として、表現をきちっと考えて書いている。十五枚目の原稿用紙の最後まで。

尾崎 しっかりきれいに収まっていますよね。

北方 そう。我々は小説修業として、五十枚で書いてくれと言われて、一枚でも違ったら駄目とされた。だから体が覚えた。昔はそういう編集者がいたんだね。

尾崎 その方の影響がかなりありますか。

北方 いや。その人は小説を読めたかどうかじゃなくて、新人をいじめていた(笑)。でも自分のものにしちゃえば、こちらの勝ちじゃないか?

尾崎 そうですね。それで何かを得てしまえば。

北方 制限がないと、表現するときに一言でいいところを二言三言使ってしまったりする。言葉を選ぶ修練だね。

尾崎 『チンギス紀』の戦闘シーンはそういう感覚がないと書けないんでしょうね。あの短い言葉でスピード感を出すというのは。

北方 俺はそのスピード感は早い段階で身につけたかもしれない。ハードボイルド小説で初めて「棒。」と書いたけど、読んでいると本当に棒が飛んできた感じになる。「棒が飛んできた。」よりはるかにスピード感があるわけ。

尾崎 それはやってみて気づいたんでしょうか?

北方 書いて気づいた。というか、スピード感を持って書けたという意識があれば、その方法が身についてくる。

尾崎 読んでいて、ああいう男と男の会話は、今なかなか読めないなと思いました。近年、男同士の連帯みたいなものについていろいろ言われたりするじゃないですか。でも、やっぱり子供の頃から漫画やアニメを通して触れていて、男らしい会話に憧れもある。

北方 会話を生かす描写も必要なんだ。それ次第で会話の重みが変わるから。

尾崎 『チンギス紀』の会話は簡潔で短い。でも、しゃべっているという感覚がすごく入ってきます。

北方 ありがとう。

尾崎 今、音楽の話というか、バンドの話をずっと書いてます。依然としてチケットの転売が問題になっていますが、それがいいとされるような世界を。

北方 音楽業界だけど、チケットにまつわる物語なのかな?

尾崎 そうですね。バンドをやっている主人公が、自分のチケットを転売させて、価値をどんどん上げていくという話です。

北方 音楽が関わる小説はいいと思う。さらに違う視点も持って、少し離れたところで書くと自由に泳げるかもしれない。転売は値段が上がるから駄目なの?

尾崎 関係ない人が儲けるということに納得がいきません。アメリカなどではオフィシャルに転売があるんですけど。

北方 いろんなところに隙間産業ってあるんだな。儲けているやつが滅ぶまでを書けるかもしれないね。

尾崎 はい。徹底的に肯定し尽くしたうえで、否定したい気持ちなんです。

締切の効用

尾崎 物語に様々な登場人物が出てきて、死んでいく。でも枚数やペースは乱れない。なぜぶれないんでしょうか。

北方 重要な人物とたもとを分かつとか、ある人物が死ぬときは、様々な思いがある。だけど締切が皮膚感覚であって、これ以上遅れると駄目だと体内時計が言ってくる。すると直前に百枚、百五十枚を書けている。

尾崎 手書きですよね。打ち込むより時間はかかりますか?

北方 分からない。ただ打ち込みでエッセイや手紙は書けるけど、小説は金縛りかと思うぐらい指が動かない。小説の言葉は全然違う。万年筆のキャップを外して、尻に差して止まった瞬間に言葉が出てくる。不思議だね。

尾崎 自分はiPhoneでずっと書いています。締切を過ぎ、まずいとなってからは一緒ですが、そこまで一気に出来たりはしないですね。

北方 書いてて寝ちゃったりすることはあるよ。夢の中で続きを書いている。起きて書いたはずと思うけどないんだ。

尾崎 内容は覚えていないんですか?

北方 ない。満足している感覚だけがある。夢から引き出したいくらい。

尾崎 たしかに、メロディーを作った夢を見ることがあります。これは多分夢だなと分かっている。たまに覚えていられることもあるんですが、夢の中でいいと思っているだけで、実際には全然大したメロディーじゃないんです。

北方 同じだね。締切を落としたことはある?

尾崎 あります。

北方 駄作でも何でもいいから締切に間に合わせるんだね。間に合わせたものが実力だから。俺は書き下ろしでも自分で決めた締切を絶対に守ったよ。

尾崎 難しいですよね、それを守るというのは。

北方 あまりに繊細に書いていると難しいよ。書くというのは野蛮なことだから。何でも書く気持ちで締切に間に合わせていると、その野蛮さが言葉を出してくる。もう駄目だとか考えたりしないか?

尾崎 そうですね。実力もないのに、よく思われたい気持ちだけはあるので。

北方 傑作を書こうと思ったら駄目なんだ。思って書けるのなら誰でも傑作を書けてしまう。傑作は無数の駄作から生まれてくるくらいの気持ちでいい。

尾崎 『チンギス紀』を最後まで書き終えたとき、感慨はありましたか?

北方 一時間か二時間ぐらい、いい作品を書いたかもしれないと思った。

尾崎 書き終わってすぐにですか?

北方 うん。書き終わった原稿を眺めて、結構いい作品を書いたなと。だけど見ているうちに、何だこの文章はと。そう思い始めたら、何となくこれは全然駄目かもしれないと(笑)。

尾崎 直後の一、二時間だけいいなと思って、少ししたら……。

北方 終わったときの解放感と陶酔感だな。それが消えて自己否定になる。

尾崎 それはどれくらい続きますか。

北方 何日も続くけど、ゲラになった段階で諦念が働いて、客観的に読める。そこそこ頑張ったんじゃないかなと(笑)。

尾崎 最終巻だけでなく、一巻ごとにそういう感覚があるんでしょうか。

北方 一巻ずつそういうことがあるよ。

登場人物と小説の広さ

北方 チンギスにとって特別な存在は沢山いる。俺が人生に求めたものを敷衍ふえんして人を書いているから。ボオルチュは『元朝秘史』では武将だけど、俺はチンギスと一緒に少年のときに砂漠を越えさせた。ボオルチュにはずっとそばにいてほしかった。書きあぐねたとき、あぐねた部分を彼がいろいろしてくれたね。

尾崎 そういうことは『チンギス紀』以外にもありましたか?

北方 『三国志』では諸葛亮だった。

尾崎 それは一巻から決まっているわけではないですよね?

北方 全てのことが一巻から決まってないんだ。設計図を書くと俺はいいものが書けない。今のようにやっていると、人がちゃんと立ち上がってくる。例えば意外な生き方をしたのはタルグダイ。

尾崎 妻のラシャーンは最後まで生きていましたね。

北方 ラシャーンが太っていたのはタルグダイがいたからで、彼が死んでやせていく。タルグダイを食べ続けてたようなもので、深い愛憎だったんだね。

尾崎 個人的には五十騎で動いている玄翁げんおうが好きです。

北方 玄翁が好きなの? 玄翁は強いよ。

尾崎 強い人物と、そうでない人物を書くときの意識の差はあるんでしょうか。

北方 ないというか、むしろ弱い人物でも、勇気を出す瞬間なんてあるわけじゃない? そういうときの魅力もあるでしょう。

尾崎 でも物語としては、強いキャラクターがいないと成り立たないですよね。

北方 確かに敵対する人物が強くて魅力的なほど、主人公の魅力も出てくる。小説の基本的な技術として。ジャラールッディーンは、チンギスが移動しているときにテムル・メリクの笛を聞いて邂逅かいこうするんだけど、彼は変なおじさんが来たと思う。登場人物は誰に会ったか分かってないけど、読者には分かっている。

尾崎 そこを見せてもらえるというのが、読むことの豊かさですよね。

北方 そういう人間模様を書くのが小説ともいえる。長いものだし人間模様がなかったら単に戦っている小説になってしまう。ケレイト王国のトオリル・カンの息子は情けないけど、彼が駄目だからジャカ・ガンボとか周りがしっかりしてくる。あと俺の理想としてはトクトアがいるね。メルキトの長だったけど、森に棲家をつくり、狼と友達になって暮らす。

尾崎 別荘みたいな感じですよね、感覚としては。

北方 そうかもしれない。俺も海の別荘に行ったら誰にも会わないから。自分で料理を作って食って、うまいなと思ったりしているし。

尾崎 海と森との違いはあるけれど、近い感じがしますね。

北方 深刻じゃないけど、自分を思い返すような時間だと思う。

尾崎 トクトアのもとにはマルガーシも行きましたね。

北方 ジャムカは実在だけど、息子のマルガーシは俺がつくった人物で、徐々に存在感を持ってくる。彼は駄目になる可能性もあったかもしれない。でもそうはならなかった。それはトクトアのところに行ったからだよ。

尾崎 最終巻でマルガーシが怪我をして回復するのを待っているときに、女性が世話をしてくれる場面もありました。

北方 最後は国を賭けてとかじゃないんだよ。チンギスもマルガーシも大変なことになるけど、自分の思いだけを懸けて戦うというところに凝縮しなきゃ駄目で、それが逆に広さにつながる。

尾崎 そのぶつかりあう感覚が、すごくいいと思いました。

北方 俺、学生のときに一番前で機動隊にただぶつかっていたからさ。そういうものが体感的には生きている。

尾崎 実際そういうことなんでしょうね。ちなみに、映画は小説に影響を与えたりしますか?

北方 影響を与えられたことはない気がする。好きなだけで。映画を見ている間はあまり考えないし。

尾崎 スイッチをオフにできるという感覚ですか?

北方 オフなのか、違うスイッチをオンにしているのか……。尾崎君はある?

尾崎 あると思っていたんですが、北方さんの話を聞いていたら、ないのかもしれないと思い始めました。

北方 映画も音楽も違う表現物だと思う。クリープハイプを聴いて、尾崎世界観みたいな小説になるわけじゃないしね。

尾崎 特に作品みたいなものを思いつくわけではないけれど、いいものを見たときは、自分のことを考えたくなるんですね。悔しくなったり。

北方 その悔しいときに書きなよ。

尾崎 そうですね。実際、メモしたりしています。

北方 ホラズムが相手になってくると大将を倒すとか城をとればいいわけじゃなくて、現地を知っていかなきゃいけないいくさになる。難しいけど、作戦とかも自分で考えるから書くのが面白いんだよ。

尾崎 そこまで広いものを書いたことがないし、今は書ける気もしない。小説の中の広さってどういうことなのかと、いつも考えてしまいます。

北方 いや、尾崎君が身の回りを描いたときに狭い気がするかもしれないけど、狭くないんだよ。それは小説の想像力から出ているから無限なんです。無限は心の中にある。俺は作家としての才能を認めていて、そこには痛みもあれば、焦りもある、いろんな思いがあっての描写になっているでしょう。

尾崎 たしかにそうですね。ありがとうございます。

北方 物理的じゃない広さというのが小説にあって、それが小説の命なんだよ。

尾崎 逆に閉じていって、内面にがっと潜り込んでいくことこそが、広さにもなるということですよね。

北方 その通り。

※『チンギス紀』シリーズの詳細は、公式特設サイトをご覧ください。
https://lp.shueisha.co.jp/kitakata/chingisuki/

尾崎世界観

おざき・せかいかん●ミュージシャン、作家。
1984年東京都生まれ。2012年にメジャーデビューしたロックバンド・クリープハイプのボーカル、ギターを担当。16年、小説『祐介』を上梓。その他の著書に『苦汁100%』『苦汁200%』『泣きたくなるほど嬉しい日々に』『私語と』等。20年、「母影」が芥川賞候補に。
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[衣装協力]Kics Document.のジャケット¥46,200(HEMT PR/03-6721-0882)/ブラウン バイ ツータックスのシャツ(フォントショップ/03-5724-7232)/ヴィンテージのスラックス¥12,800
(FRONT11201 https://front11201.com/

北方謙三

きたかた・けんぞう●作家。
1947年佐賀県唐津市生まれ。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。著書に『眠りなき夜』(吉川英治文学新人賞)『渇きの街』(日本推理作家協会賞)『破軍の星』(柴田錬三郎賞)『楊家将』(吉川英治文学賞)『水滸伝』(全19巻・司馬遼太郎賞)『独り群せず』(舟橋聖一文学賞)『楊令伝』(全15巻・毎日出版文化賞特別賞)等多数。2018年5月、『チンギス紀』シリーズを刊行開始。10年に第13回日本ミステリー文学大賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年に菊池寛賞を受賞。20年に旭日小綬章を受章。

『チンギス紀 十七 天地てんち

北方謙三 著

7月26日発売・単行本

定価 1,760円(税込)

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