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ナツイチインタビュー/本文を読む

池井戸 潤『陸王』

[ナツイチインタビュー]

書いては捨て、また書き進める。
執筆は、長距離走そのものです

勝利を、信じろ─。倒産寸前に追い詰められた老舗(しにせ)足袋メーカーの4代目社長がランニングシューズ開発に挑む物語『陸王』。伝統産業を継承する難しさ、家業を巡る親子の絆、企業スポーツの明と暗など、さまざまな立場に置かれた人々が迷いながらも熱く「いま」を生き抜くストーリーは、映像化もあいまって多くの人の胸に刻まれています。この夏、集英社文庫のフェア「ナツイチ」の一冊として、文庫版で再登場。爽快なヒューマンドラマがふたたび世に問うものとは? そして、作者・池井戸潤氏の、夏の読書の思い出についても伺いました。

聞き手・構成=大谷道子/撮影=三山エリ

時間がゆったりと流れる小説に

─ 単行本刊行時の小誌インタビュー(2016年8月号掲載)で、素足の感覚で走るランニングシューズの存在に興味を持ったのが『陸王』誕生のきっかけだったと伺いました。そうして老舗足袋メーカー・こはぜ屋の社長、宮沢紘一と同志たちの挑戦が描かれることになったわけですが、日本の伝統産業を扱ったこと、そして埼玉県行田(ぎようだ)市という地方都市が舞台となったことは、池井戸さんにとっての新機軸だったのではないでしょうか。

 そうですね。書き始めたときは、どんな感じになるかやってみないとわからないなという感じでしたが、書き上げてみたら、意外とまったりした作品に仕上がったという印象でした。東京のビジネスシーンが舞台ではないということもあってか、あまりキリキリしていなくて、ゆったり時間が流れている小説になったな、と。シューズ開発を含め、短期間では解決しない問題ばかりを扱っていたことも、理由のひとつだったと思います。

─ 履物だけに、一足飛びには解決しないと。

 そう。小説としては、ひと晩で片がつくような物語よりも、書き方は難しかったですね。時間が何年にもわたる小説というのは、どうしても間延びしてしまうので、そこをコントロールするのが大変でした。ミステリーの出身でもあり、どちらかというと畳み掛けるようなタッチで書いているので、のんびりした情景描写などはあんまり書いてこなかったですから。でも、そういうものを書いてほしいという読者もいるので、新しい挑戦だったと思います。

─ 物語の地元・行田市も、盛り上がっていたようですね。

 行田には2回足を運びました。1回は編集者と取材で、もう1回は執筆にあたって確認したいことを個人的に聞きに行くかたちで。いい町でしたね。毎年、春に「行田市鉄剣マラソン大会」というレースがあるんですが、2017年から、そこに「陸王杯」という冠をつけてくださって。僕は伺えなかったんですが、大会にはドラマ『陸王』のオリジナルTシャツを着て走っていた方もたくさんいらしたそうです。
 そういえば、単行本が発売されたとき、埼玉県内の書店ポスターだけはキャッチコピーが「勝利を、信じろ。」に続けて「埼玉を、信じろ。」となっていたんです。映画『翔んで埼玉』もヒットしたし、何かきてますよね、埼玉は(笑)。

継承の難しさ、それゆえの尊さ

─ こはぜ屋が開発するランニングシューズ「陸王」の決め手になるのは、ソールに使われる新素材「シルクレイ」。行田市からほど近いところに絹糸の産地があることから発想されたという、まったく架空の素材でしたが、描写がリアルなので、てっきり実在のものだと信じ込んでしまいました。

 繭(まゆ)を使った製品というのは実際にいろいろあり、また特許のことなどもいくつか事例を知っていたので、そこからヒントを得ての創作でした。でも、実際に足袋屋さんから「シルクレイを紹介してほしい」という問い合わせがあったりもしたので、とりあえず真には迫れていたんでしょうね(笑)。その後、繭を材料にした素材を開発している京都の会社からシルクレイに似た見本が送られてきたこともありました。それはドラマの制作班にお渡ししたんですが、ドラマで宮沢の息子・大地とエンジニアの飯山が開発に勤しむ場面で映る、黄色いスポンジ状の物体がそれだと思います。

─ こはぜ屋はシルクレイの開発によって、新興アパレルメーカーから買収のオファーを受けることになります。伝統産業を継承する小規模な会社が次世代に生き残るためには、こうした方法もありそうですね。

 ないではない、とは思います。ただ、そのためにはいろいろ工夫が必要なのかもしれません。たとえば、その会社が持っている技術を分解して、「これならこういうものにも応用できる」というアイディアがあるかないか。伝統産業だからといっても、従来のスタイルにこだわりすぎない柔軟性が求められるんじゃないでしょうか。

─ 宮沢は先代から受け継いだ技術を活かして新しい一歩を踏み出したわけですが、それが息子の代へ受け継がれるかどうか。『陸王』は、伝統の継承をめぐる父と子、そして家族の物語でもあります。

 親子のことでいうと、ああした中小企業がもっとも危機を迎えやすいのは、代替わりするときなんです。3代続いて繁栄する会社というのは、実はすごく少ない。会社が100あるとすると、たぶん3分の1以下だと思います。

─ なぜ繁栄は続かないのでしょう?

 創業者というのは、多かれ少なかれ起業の苦労をしていますよね。あるいは、自分自身が技術を持っている。でも、跡継ぎの息子の代になるとそれらがなかったり、お金に対する感覚などがどうしても甘くなったりしがちで、そこが経営の綻びの原因になるんです。先代がせっかく事業を育ててきたのに、「親父は親父、俺は好きなことをやるんだ」といって新規事業を起こし、失敗するという事例も多い。息子の場合は父親に反発する気持ちもあったりして、余計に陥りがちなんでしょうね。だから、昔の大阪の商家では、女の子が生まれたときのほうが喜ばれたそうです。男だと出来がよくなくてもそいつに継がせなきゃならないけど、女の子なら優秀な婿を選んで一緒にさせることができますから。

─ 継承の理想と現実の間の苦悩は、物語のもうひとつの舞台である企業スポーツの世界にも共通しています。アスリートであると同時に企業人であり、かつスポーツ用品メーカーの広告塔としての宿命をも背負う陸上競技選手たちのリアルな葛藤。実業団の世界を描くのは『ルーズヴェルト・ゲーム』(12年、講談社刊)に続いて2度目ですが、6月発売の新作『ノーサイド・ゲーム』(ダイヤモンド社刊)も社会人ラグビーのチームの物語です。

 実業団というのは、なかなか採算が合わないんですよね。野球のようなチームスポーツになると、維持、運営にはさらにお金がかかる。ラグビーは15人で年間の試合数も少ないですから、もっと割に合わなくて……と、いまこのテーマについて話し出すと止まらないんですが(笑)。
 企業が運動部を持つというのは、僕は当初、その会社の名前を世に知らしめるため、つまり広報や宣伝のためにやっているのかなと思っていたんです。が、実際は社会貢献だったんですね。ある会社の陸上競技部の監督がそうおっしゃっていたのを聞いて、へぇそうだったのかと。それが、『陸王』を書いたことでの最大の発見だったかもしれません。

受け取り手の反応が作家を磨く

─ 大地はこはぜ屋を継ぐことができるのか。オリンピックに向けて、実業団選手たちは頑張っているのか。『陸王』の続編を望む声は高いそうです。

 僕も聞きました。ドラマに出演された阿川佐和子さんからも尋ねられたんです。「続編、ないの?」って。

─ こはぜ屋のベテラン縫製係・正岡あけみ役、熱演でした。

 最初は驚いたんですが、演技、上手でしたね。もしかしてゴルフよりうまいんじゃないかな(笑)。ドラマの撮影現場から「ヤス(こはぜ屋の従業員・安田利充役の俳優、内村遥さん)が泣いちゃってるんだけど、何とかならない?」って。もうこれで終わりだと思ったら、泣けて泣けて仕方がないんだと。盛り上がった、いい現場だったみたいです。

─ 宮沢紘一役・役所広司さんの人間味あふれる人物造形、息子役の山﨑賢人さん、陸上選手役の竹内涼真さんの清々しい存在感も印象に残っています。そして、何万人ものエキストラを動員しての圧巻のマラソン大会シーン!

 そうでしたね。しかも、あれをCGなしで撮ったという。募集人数をはるかに超えるエキストラの方々が集まってくださったと聞きました。ありがたいことです。

─ 『ノーサイド・ゲーム』も、さっそく7月からドラマ放映が始まります。近年相次ぐ映像制作側からのオファーは、小説を書く上でプラスになっていますか。

 うーん、僕としては本を書いて売るのが商売なので、ドラマの視聴率がいくらよくても、それは制作チームやキャストの手柄であり、僕自身には何の関係もないんですよ。でも、ドラマや映画を観て面白いと思ってくれた方が本を買ってくれることもあるわけで……。
 自分が面白いと思ったものを書くことに変わりはありません。その一方、ドラマの撮影スケジュールに合わせて書くこともあり、ここ数年かなりハードでした。これからはもっとゆったりしたペースで執筆しようと思っています。

─ 日頃から、読者からの作品への評価をよくチェックされているそうですね。ドラマ放映時のツイッターのハッシュタグ検索では、まさにリアルタイムの反響が見られます。

 ツイートは、一瞬でものすごい数が流れていきますよね。「キター!」というコメントが飛び交うのを見ていて、「へぇ、ここで喜ぶのか」と思ったりする。こういう、ダイレクトな反響がすぐに受け取れるのは、僕にとってはありがたい状況です。
 作家の中には、SNS上の読者の声は見ないという方も多い。気持ちはわからないでもないですが、商品と同じで、自分の作ったものを世の中に出したら反応を見るのが作り手の姿勢でしょう? 間違っているとは言いませんが、僕は見たほうがいいと思いますね。

─ 反応を見つつ、書きたいものを書いていく。

 踏まえたうえで、書きたいように書けているかどうかが問題で。でも小説って、やっぱり書いてみないとわからないところがあるんですよ。書いてみたら思っていたのと違ったりして、「ああ、こういう小説だったのか」と感じることも多い。だから、書いては捨てて書き直しての繰り返し。
『陸王』も、最初、連載で1500枚くらい書いていましたが、読み直したら宮沢が何度も何度も泣いてたり、5回も銀行の貸し渋りに遭ったりしていて(笑)。最終的には重複した部分を含めて500枚くらい削って、200枚ほど足したと思います。

─ 執筆も、まさにマラソンですね。

 そうですね。作家には、書く力と同じく、評価する力、そして直す力が必要だと思います。書いたものをきちんと分析して、たとえば主人公だけでなく、敵役の視点から見たときにもちゃんと筋が通っているかどうかなどをいろいろと点検し、納得いくまで根気よく直すんです。
 それでも、上げられるのはあくまでも自分の中での完成度。万人が星5つをつける小説はないし、結局は、自分の経験や価値観の中でOKが出せるものを、ということでしかありません。
 まあ、こうして日々やっていくことで、映像化もあり、理解してくださる読者の方が増えて、何とかやれているんだと思います。

子ども時代の読書が、僕を作った

─ 『陸王』は集英社文庫「ナツイチ」のラインナップに入り、また新しい読み手と出合います。夏の読書というと、子どもの頃の夏休みの読書感想文などが思い起こされますが、池井戸さんの夏の読書の思い出といえば?

 普段から本は読んでいましたが、夏休みは時間がありますからね。でも、推薦図書とか課題図書とか、そんなのは無視ですよ(笑)。国語は得意でしたけど、読書感想文は面倒くさいので、適当に書いていました。
 いいですよね、夏は。プールに行って泳いで帰ってきては、畳の部屋で寝転がって好きな『トム・ソーヤーの冒険』や『ウィリアム・テル』なんかを読む。それが最高でした。

─ 読むのは、スタンダードな作品が多かったんですか。

 世界名作全集みたいなものが、家にありましたから。でも、『トム・ソーヤーの冒険』のマーク・トウェインって、19世紀生まれの人でしょう? 1800年代に、あんな瑞々しい青春小説を、しかも子どもも読める作品として書いていたって、驚きですよ。日本の小説はその頃、まだ漢文調だったりしたわけだから、どれだけ差があったのかと。やっぱりエンタテインメントというジャンルでは、当時から格段に欧米が進んでいたということでしょうね。日本が追いついてきたのは、最近じゃないのかな。

─ ミステリーを読み始めたのも、少年時代ですか?

 そうですね。江戸川乱歩作品は、ほとんど読んでいると思います。当時は喜んで読んでいましたが、今読むと、けっこういい加減だったりするんですよね(笑)。明智小五郎シリーズのトリックとか、「マジか!」「これはないだろう」と思うようなものもあって……。外国の作家のミステリーも、その頃から読んでいました。コナン・ドイルやアガサ・クリスティー。僕は、クリスティーよりはドイルのほうが、カッチリしていてより好みでした。
 あと、自分で買いはしなかったけど、図書館でよく読んでいたのは伝記です。

─ どんな人物のを?

 エジソンとか、シューベルトとか、ベートーヴェンとか。シューベルトなんて、面白いですよ。家が貧しくて、教会の聖歌隊に入ったときも、金持ちの家の子たちがいい服を着ているのに、ひとりだけ擦り切れた服を着てバカにされる。でも、歌い始めると誰もがその才能に仰天する……という、実にいい話。シューベルトは死ぬまで貧乏でしたが、伝記になる人って、だいたいそういう人生ですよね。きっと、生きているうちに成功した人のほうが少ないんでしょう。

─ 少年時代の読書は、今の仕事にもつながっていると思われますか?

 そう思います。とくに、伝記はそうかもしれません。基本的に、小説というのは伝記の集合体だと思っている。登場人物が50人いるとしたら、50人の伝記が集まって、ひとつの物語になっているわけです。
 だいたいの作家は、小説を書くのにプロットを優先させるでしょう? 自分が適当に作った登場人物をそのプロット通りに動かそうとすると、物語は必ず破綻してしまうんです。でも、ひとりひとりが本当に生きていてそこにいるんだと思うと、絶対にこんなことはしないはずだと気づく瞬間がある。そのとき、「あ、ここおかしいな」と思えるかどうかが、すごく大事なことです。もちろん、小説の書き方には絶対にこれだという正解はありませんが、この書き方はたぶん間違っていないと思う。そして、ひとつの出来事でも切り口が違えば見え方が変わってくる、そういうことを学んだという点では、伝記を読んだことはまったくもっていま、役に立っていると思います。
 自分でも今度、ある人物の伝記のようなものを書くつもりなんですが、これがなかなか難しい。いろんな方の書いた評伝を読んでも、いまひとつピンとこないんです。ただの伝記では満足できないということなんでしょうね。面白い伝記をどう書くか、それが、僕のこれからの宿題だと思っています。

池井戸 潤

いけいど・じゅん●作家。1963年岐阜県生まれ。98年に『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。著書に『鉄の骨』(吉川英治文学新人賞)『下町ロケット』(直木賞)「半沢直樹シリーズ」「花咲舞シリーズ」『空飛ぶタイヤ』『ルーズヴェルト・ゲーム』『七つの会議』『民王』等。

『陸王』

6月21日発売・集英社文庫

本体1,000円+税

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