[連載]
[第2回] モールと子役

算数を知るよりも早く物欲に目覚め、親からは「物欲の塊」と呼ばれていた。保育園児の頃、初めてのおつかいとして一人でセブン-イレブンに行ったとき、店にあるものの中で「これは欲しい」「これがあったら家族が喜ぶかもしれない」と思ったものを、思うがままカゴに放り込み満杯にした。もちろんおつかいだからまず買うべきものがあったのだけれど、私は買うべきものではなく、欲しいものを買いたかった。パッケージを手に、これを買ったらどうなるだろうと考えていると、これさえ手に入れば起こりうるだろう幸福が頭の中で怒濤のごとく押し寄せてきて目の前がチカチカと輝いてくるのだった。
重いカゴを一生懸命にレジへ持っていくも当然のことながらお金は足らず、4歳くらいだった私は悩んだ。手持ちのお金と引き換えに、なにを持ち帰り、なにを店に置いていくのか。自分がいくら持っているかもよく分からないし、なにがいくらするのかも分からなかった。帰りの遅い私を心配して店までやってきた親は、商品でいっぱいのカゴと娘を見て驚き、店員さんに謝り、商品を一つずつ、カゴから売り場に戻していった。
そんなこともあったからか、母からは「用もないのに店に行ってはいけない」と口酸っぱく言われていた。しかし、塾の行き帰りだったり、ちょっとお小遣いをもらったときだったり、目の前に時間と店さえあればスッと吸い込まれていた。小学生のときは自転車で10分くらいの距離にある西浦和駅前のダイエーに行き、二階のファンシーショップで欲しいものを真剣に吟味し、塾の前後のちょっとした空き時間では武蔵浦和駅の駅ビルの文具店で問題を解くより真剣に商品と向き合った。白猫がショートケーキに挟まれたデザインの「にゃんにゃんにゃんこ」のメモ帳に胸をときめかせ、自転車で少し遠くまで行けるようになれば北戸田のイオンへ行き、息切れするほど品物を見つめた。電車で出かけられるようになると、さいたま新都心にあるコクーンシティへ行き、ウインドウショッピングに精を出した。
今、身につけているユニクロの肌着、無印良品のガーゼ生地の白いパジャマ、Zoffのセルフレームのメガネ、アリオ西新井のヨーカドー専門店フロアで買った綿の靴下をはじめ、家の中をぐるり見渡してみれば、買ったもので埋め尽くされている。浪費家でも倹約家でも、一切の買い物なしに生きることはできないはずだ。買い物をするために建てられた大きなショッピングモールという場所は、お金さえあれば生活をどうにかできる明るい未来が詰まって輝きに満ちているとも思えるし、同時にお金がないだけでどことなく居心地が悪く、窮屈な部分もある。
中学2年生の頃だ。2000年代だというのにパンチパーマの同級生が何人もいて、いわゆる荒れた学校だった。女子は縮毛矯正やヘアアイロンを駆使し、糊付けしたようにまっすぐな髪をアルミ製の大きなクリップで留め、眉毛を細く整えていた。私は芸能事務所に所属しており、眉を細くすると仕事に障るのと、中学生の中で
自習の時間だっただろうか。見かねた担任の先生が私を視聴覚室に呼び出し、二人で向かい合って「なぜ石山は学校に来ないのか」をテーマに話し合うことになった。ハンドボール部の顧問でもあるその担任は、よく日に焼けており、いつもUMBROの運動着を着ていた。つぶらな瞳でまじまじと私を見つめ、腕を組み、真剣に問うてきた。視聴覚室にはグレーの絨毯が敷いてあり、音を吸収できるよう、天井と壁には小さな穴が並んでいた。先生の服はネイビーで、蛍光グリーンのロゴだけが立体的に見えた。私はどうにも窒息しそうだった。
担任に言われたことの中で、一つだけはっきり覚えていることがある。「仕事ではいくらでもあなたの代わりがいるけれど、クラスメイトには代わりがいない。だから学校にもっと来るべきだ」。小学5年で芸能事務所に入ったとき、全国からたくさんの歳の近い女の子たちが集められ、同期になった。そして毎年春を前にして、何人も契約解除になっていた。私よりもきれいで素敵な女の子たちが「もっと頑張りたかった」と、泣きながら話すのを何度も見た。いつも必死で椅子取りゲームをしていたが、私にはその椅子が何脚あるのか分からなかったし、いつもどんな理由で私が椅子に座れているのかも判然とはしなかった。自分たちがいくら仲良くとも、それとは無関係に蹴落とし合わないといけない場所にいる悲しさが少しずつ積もり、レッスンに行くだけで涙が出てしまうこともあった。ただ、お互いに蹴落とし合うのは、仕事よりも教室のほうがより実力行使の形で行われているように思えた。早退して制服のままオーディションを受けに行くと、お互いのバージョン違いのような女の子たちが何人もいる。いくらでも代わりのいる仕事であるのは間違いない。私は先生を前に黙り続けた。ただ、私にとって仕事は、教室にいるより、何倍も面白かった。
大人になってから、メンタルクリニックで退行療法という治療を受けたことがある。心の中でトラウマになった出来事を経験している過去の自分と向き合うための方法だ。カウンセリング室に置かれたやわらかなリクライニングチェアに横たわって、カウンセラーの語りに導かれるまま、穏やかな水辺を想像する。ゆったりしたカウントに合わせ、頭の中の階段を一段ずつ下りてゆき、心の中でも特に深く、普段は目に入らない扉を開けてゆく。そのやり方では精神に存在するおのれの子どもの部分をインナーチャイルドと呼んでいた。私のインナーチャイルドにそっと語りかけたとき、相手はひとこと「お仕事、好き……」とつぶやき、それを聞いた大人の私はツーと涙をこぼした。
そうなのだ。自分でもなぜだか分からないくらい、ものすごく仕事が好きなのだ。
しかし、高校生のときに初めて「もうこの仕事を辞めようかな」と真剣に考えた。仕事が全然なく「学業優先」という言葉のありがたみを感じた。仕事がなくとも高校生ではいられる。周りの友人は自分の意思で眉を整えたり、好きなアイドルと同じ髪型に変えたり、夏休みには髪を染めてみたりと、自分の身体の所有権を本人が持っているからこそできることを満喫していた。それを見て、私の身体は私のものでありながら、契約上は会社の商品でもあり、つまるところ、この私自身は誰のものなのだろうとアイデンティティが揺れた。事務所のホームページに並ぶ宣材写真を見て、私はこの中で何番手なのだろうと考えてみたり、現場で一緒になったことのある子のプロフィールをわざわざ検索し、自分が落ちたオーディションには誰が受かったのかを確認したりもしていた。初めての彼氏もできたのだが、外では手を繫いだりしないクールな人間を装った。もしもどこかで仕事関係の人とばったり会ってしまったらどんな顔をすればいいか分からなかったからだ。
オーディションでは「〇〇事務所から参りました、誰々です」と自分の名前より前に所属先を紹介することが一般的だった。当時、私は渋谷にオフィスを構える大手事務所に所属していた。子どもだった私が商品として管理されることと、商品でもある人間として守られることとは紙一重だった。そして、素敵なスターが多くいるその事務所への愛着や帰属意識があった。
ショッピングモールには右を見ても左を見ても、お金で買えるものが並んでいる。一階から三階までぶらぶらと歩きながら、私でも買う気さえあれば現実的に今買える品物しか並んでいないことにじわっとした幸福感を覚える。コンバースのスニーカー、無印良品のハンガー、studio CLIPとノンタンがコラボしたストライプ柄の巾着ポーチ。幾ばくかのお金と引き換えになにもかも自分の持ち物にできるという可能性、その品物によって生活が豊かになるかもしれないし、自分自身が今より少し素敵な存在になれるかもしれないという希望、すぐ手に入りそうな明るい未来にぐるり取り囲まれていると思うと、すこんと抜けたモールの吹き抜けもなんだか神々しい。とはいえそれこそなにも驚くようなことではなく、見慣れた日常そのものだ。
なにが欲しいかと問われれば、いつもなにか、ものすごく欲しいものがあったような気もしたし、店にあるものはなに一つ理想通りでないような感じもあって、10代の私は一つ買うのに全身全霊をかけた。たとえばTシャツ一枚買うのでも、ペンポーチを一つ買うのでも、一生これと付き合っていけるだろうかというほど検討した。頭の中には雑誌で見た理想があり、自分の出せる精一杯の金額があり、そのどちらも美しく釣り合うことはまずなかった。たとえばモールの服屋をしらみつぶしに巡る間、自分がどんな服が着たいのか、本当はどんな人間になりたいのか、考えれば考えるほど、どの理想からも遠ざかっていくように思え、真剣に生地の薄さを確かめ、ごうごうと燃えながら冷や汗をかくようなプレッシャーと興奮を感じ、考えれば考えるほど、自分もモールに並んだ物も、なにかの劣化版、
誰かにとってはかけがえがなく、誰かにとってはいくらでも代用がきくという点で、モールに並ぶ量産品と、仕事をしているときの私は似通うところがある。置かれた棚が今シーズンは自分の居場所であり続けるか、来週には別の誰かがそこにいるかは分からないが、まずはいることが大事だ。そこにいないと誰にも選んでもらえない。自分そのものが商品となる仕事を通して、私は自分がここにいていい、あなたにいて欲しいと、誰かに
渋谷にミヤシタパークができる前のことである。渋谷ヒカリエの地下で割引になった弁当を持って夜の宮下公園へ行き、埼京線が目の前を走るのを見ながら食べ、酒を飲むのがお気に入りだった。薄暗がりの公園からは、ゴーッと音を立てて走っていく電車の窓から降り注ぐ光が帯のように見える。子どもの頃から何度も通った渋谷の街にも、自分がただの私として存在していい場所を見つけたように思えた。
宮下公園のふもとには、青いビニールシートで作られた路上生活者の家がずらりと並んでいた。大学生の頃にある友人が、終電を逃して野宿したことをきっかけに、そこに住む老人の一人と知り合いになった。友人と一緒にその人のビニールハウスを訪ねたことがある。入り口から覗く空間は思ったよりずっと広く、整然として居心地が良さそうに見えた。敷地の周りには、招き猫やぬいぐるみなど、色とりどりの置物が並んでいて賑やかだった。お互い缶ビールを片手に、世間話がてら、その人は渋谷の街で拾ったiPhoneを何台も見せてくれた。向かいの雑居ビルからぶら下がる延長コードを使って充電しようとしたら、頭上の窓から水をかけられたそうだ。ひどい話であるが、その人はもう何度もその語りをしているようで漫談のように明るかった。私はもっと笑えればよかったのかもしれない。私は自分の偏見や発言がどこで相手を傷付けるのかということばかり考え、でも大様な大学生に見えるよう、ずっと緊張していた。もう10年以上前のことだけれど、その人はそのときすでに70代くらいで、今はどこで暮らしているのだろう。せっかく知り合ったのであれば、挨拶がてら会いに行ってもよかったのかもしれないけれど、もう一度その人を訪ねる勇気はなかった。
2026年の渋谷駅では、出たい出口に出られず、仮設通路をぞろぞろと歩く羽目になる。事務所へ続く急な坂道は変わらないのだけれど、マネージャーさんとよく待ち合わせていた南改札のあたりはがらっと変わった。新しくできた渋谷サクラステージという複合施設は、どこかギラついた感じがするなと思って寄ることはなかったが、先日ついにその中にあるTSUTAYAのラウンジで打ち合わせをした。渋谷の街がどんどん変わってしまって、もう二度と思い出せないことが増えている。街のスクラップアンドビルドには全くもってついていけないが、傷ついた記憶にしがみつくための景色も更地になり、忘れたおかげでちょっと心が軽くなっているのも、私にとっては事実なのだ。
イラストレーション●近藤聡乃
石山蓮華
いしやま・れんげ●電線愛好家、文筆家、俳優。
TBS ラジオ「こねくと」でメインパーソナリティを務める。電線愛好家として「タモリ倶楽部」などのメディアに出演するほか、日本電線工業会公認「電線アンバサダー」としても活動。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)がある。過去の出演作は映画『思い出のマーニー』(スタジオジブリ)、ドラマ『日常の絶景』(テレビ東京)など。




