[特集 ナツイチ インタビュー]
どうしたら「私の阿部定」が書けるのか、考えながら書きました
一九三六年、愛人を殺害し局部を切断して持ち去り、二日後に逮捕された阿部
聞き手・構成=瀧井朝世/撮影=chihiro.

──『二人キリ』がいよいよ文庫化されます。村山さんが阿部定に興味を持ったきっかけは、テレビ番組の出演だったそうですね。
NHKの「アナザーストーリーズ」という番組の阿部定事件特集に呼ばれたんです。それがなかったら私は、阿部定のことを、「嫉妬深くて衝動に駆られてそういうことをした女の人」という記号でとらえて終わっていたと思います。
──昭和世代で阿部定を知る人は、警察に捕まった時に笑顔を見せている有名な写真のイメージが強いですよね。
そう。あれを見ると、なんで笑っているんだろう、反省もしていないのか、と思うじゃないですか。でも番組に呼ばれて当時の調書を読んでみたら、もしかして阿部定はすごく頭のいい人ではなかろうかと思いました。ちょうど私は、伊藤
──伊藤野枝は一八九五年生まれのアナキスト、婦人解放運動家。二十八歳で憲兵に殺され井戸に捨てられた女性です。その生涯を『風よ あらしよ』で書かれましたね。
野枝は教育を受けることができたから自分の考えを言葉にできた。阿部定は頭はよいけれど教育を受けていなくて、自分の中のいろんなものを吐き出せないままだったから、あのような事件を起こしたのかな、とふと思ったんです。
それで、番組出演後に、編集者に「阿部定を書かせてもらえたらすごく嬉しい」と言いました。「自分のしたことをその瞬間に至るまで全部憶えていて調書に残している、面白い人なんですよ」みたいな話をして。それで「ぜひ」ということになったんでした。
──つぶさに語った調書があるからこそ、小説にするのは難しそうですよね。
まさにそこなんです。事件をモデルにした映画「愛のコリーダ」を撮った大島渚監督も、エッセイで「フィクションが入り込む余地がない」とお書きになっていて。実在の人物について書く時、資料があまりないのも困るけれど、本人があまりに喋りすぎているのも、それはそれで困るんですよね。
ではどうしたら、「私の阿部定」が書けるのか。そこで生まれてきたのが、定が殺した
──『二人キリ』の中心人物はその吉弥です。彼は幼い頃に定を見かけたことがあり、事件が起きた後、関係者の証言を集めていく。本作はそんな吉弥の物語と、彼が集めた証言、さらには定のモノローグで構成されています。『風よ あらしよ』に比べてフィクション性が高くなった印象です。
そうですね。登場する証言者も、たとえば定の女郎仲間などは架空の人物ですし、実在の関係者でもちゃんと証言が残っているのは校長先生くらい。あとは子供の頃の友達とその母親が『婦人公論』に語った内容くらいしかないんです。それこそ少女の頃の定を強姦した慶大生にしても、その後どういう足跡をたどっているのかは全然分からないので、まったくの創作です。証言の部分は短篇をいくつも書いているみたいで楽しかったですよ。
──吉弥はひっそり暮らす定にも会いにいく。ただ、元々彼は定のことを書いて世に出そうとは思っていなかったんですよね。彼に定についての小説を書けと背中を押すのが、友人の映画監督、Rです。お互いのよき理解者である吉弥とRの関係が萌えます(笑)。
吉弥の次にRを思い浮かべた時に、途中すごく苦労はするだろうけれど、これはいけるかも、と思いました。
Rを映画監督にしたのは文章と映像の違いもあるだろうし、私がいつも映像の世界に嫉妬したり、逆に文章でしかできないことだってあるはずだと思ったりしていたことが大きかったかな。あと、やはり「愛のコリーダ」という先行作品が私の中であまりにも大きくあったんです。
──当時の空気感は『風よ あらしよ』を執筆された時につかんでいたわけですよね。
そこは大きかったですね。『風よ あらしよ』を書いていなかったら『二人キリ』は書けませんでしたし、このふたつを書いていなかったら、時代はもうちょっと下りますがシベリア抑留をテーマにした『DANGER』も書けていないと思います。これらを書いたことで、歴史小説の執筆をあまり怖がらないで済むようになったというか。知らないことでも書けるんだ、なんとかなるさみたいな感覚が培われました。
──阿部定は事件までも不遇な人生を送っている。また、事件が起きたのは二・二六事件と同じ一九三六年で、世相も不穏だった。出所後、定は坂口安吾と対談するなど、彼女をファム・ファタルともてはやす男性著名人もいて……などと、意外な事実を知りました。
今思うと二・二六事件が起きて世相がすごく不安定だった時に定の事件が起きたので、新聞各紙はずっとこの話をセンセーショナルに扱っていたわけです。定はひとつの記号となったんですよね。
──出所後、長生きしたんですよね。
そのことにもびっくりしました。小説では最後まで書いてはいないんですけれど、失踪した後も十何年間か、吉蔵のお墓に花束が届いていたのは事実なんです。届かなくなった時が、定が亡くなった時だったのかなと思います。
「父に捧ぐ」という献辞
──定の小説をどう描くべきか、吉弥は逡巡します。あれは村山さんご自身の迷いと重なる部分があったのですか。
そのまんまでした。瀧井さんの書いてくださった文庫の解説でも冒頭で、吉弥の「すぐれた小説なら、事実の
──いや、本当に軛を振り払った作品になりましたね。吉弥自身がこの作品を書いたのだと思わせる、メタ構造になっているところもすごくて。
最初のうちは彼が主人公の小説だと読めるけれど、途中から、これは彼が書いた小説だと読めるようにしようと考えました。でもメタ構造であることに気づかなくて、この小説の献辞がなぜ「父に捧ぐ」なんだろうという人もいると思います。
──「父」とは、村山さんのお父さんのことではなくて、吉弥にとっての父、つまり吉蔵のことですよね。
読み終えて最初に戻って献辞を見た時、「なるほどな」と思ってもらえたら、二度
父は、自分の恋愛体験を私に話す人だったんですよ。婚外恋愛にしても。父は最晩年に、「お前にも辛い思いをさせたけれど、でも、それがなかったら、俺はおまえが小説に書いていることをまったく分からなかった」と言ったことがあるんです。シベリアから帰ってきて、はじめての女の人が母だったんですが、兄の嫁を略奪する形で結婚して。なので、恋愛の極致を描いたつもりの『二人キリ』は、自分の父に捧ぐ、という気持ちも少しはありました。あなたは局部を切り取られなくてよかったね、って(笑)。
──終盤には、定が吉蔵を 今でも憶えていますけれど、シャワーを浴びている最中にいきなり、殺された吉蔵が喋ったらどうだろう、と思いついたんです。いろんな証言者を登場させたけれど、その声が一番聞きたいよね、声なき者の声を書くことこそが小説の醍醐味だよね、って。担当さんお二人に相談したら、二人が鳥肌を立ててくれたんですよね。「絶対それがいいです」って。背中を押してくださったので書けました。
事実の隙間を自分で埋めていくのが面白い
──書き上げて、村山さんの中で定に対する印象は変わりましたか。
伊藤野枝はまだ理解できる範疇にいたんですけれど、阿部定は書いていても、半ばくらいまでは本当に「いやあ、この人は分からない」って思っていたんです。でも、だんだん可愛くなってきちゃって。吉弥の心情の変化、心境の変化と同じタイミングで私の気持ちも移行していった気がします。
──読者である自分も、読了後は阿部定の印象が変わりました。
私が書いたことが本当かどうかは分からないですけれどね。でも、いろんな資料を読んでいると、そんなに特殊な人ではない気がしました。それに当時は、たとえば一般家庭でも鶏の頭を切って落として
──『風よ あらしよ』と『二人キリ』を読んで、評伝小説の理想形だなと思いました。事実だけを書くなら伝記でいいですよね。わざわざ小説にする意味を考えると、やはり書き手の解釈が説得力を持って書けているかどうかって本当に大事だなと思いました。
『風よ あらしよ』を書いた時に、「評伝」と呼ぶかどうか訊かれたんですよ。「評伝」と言ってしまうにはフィクションの部分も結構あるから、「評伝小説ということにしない?」と言いました。
私自身が面白がって書けるのは、事実の隙間を自分で埋めていく部分なんですよね。あってもおかしくなかったこと、あったという証拠はどこにもないけれど、なかったという証拠もないところを想像して埋めていくのが楽しい。『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞をいただいた時に、選考委員の浅田次郎さんが「手に合っている」と評してくださったんです。この人はこういう書き方が合っている、と。自分でも確かにそうだなと思いました。
──隙間を埋めた結果、フィクションに偏りすぎる可能性もありますが、その塩梅はどのように意識しましたか。
難しいんですけれど、断片的な資料から推測して、こういう人なら絶対にこういう台詞は言わないよな、とか、こういうふうにものを考えたんじゃないかなと、私の中では整合性をとりながら埋めていきました。
刊行した時、取材の一環で定さんが営んでいた「若竹」跡のはす向かいの神社で撮影したんですよ。お参りしながら、定さんに「あれでよかった? 怒ってない?」と呼びかけました。書きながらもずっと、こういう書き方をして定さんは怒らないかな、って自分に問いかけていました。
──吉蔵の声を聞かせてくれたと、喜んでいるかもしれません。
だったらいいなあ。そもそも定がどうしてああいうことをしたかよりも、吉蔵がなぜ抵抗しなかったかのほうが、私にとっては謎だったんですね。抵抗できたし、逃げることもできたのに、なぜ健康な男性がそんなことになったのかという。
──今回の文庫化でまた広く読まれますね。
文庫化は嬉しいですね。私は子供の時から手にする本の文庫率が高かったんですね。生まれてはじめて手にした文庫がアンデルセンの『絵のない絵本』だったんですよ。小学二年生の頃だったかな、母が買ってきて、難しい漢字にふりがなをふってくれて。短い話を読むたびに感想を言わされたんですが、それも私の身になっていると思います。文庫は手の中に収まるので、すごく自分に近い気がしたことを憶えています。だから文庫で手にとってもらえることは嬉しいですね。
──私の中では、もはや評伝小説といえば村山さんというイメージです。また書いてほしいです。書きたい人はいませんか。
いつになるか分かりませんが、樋口一葉も面白いなあと思って。自意識の塊なんですよね。それに常にお金に困っていて、でも男の人たちが助けてくれて、みたいな。面白いんですよ。
──書いてみたくなるのは、やはり「面白い女」ですか。
そうですね。その人のことを知りたくて書きたくなるんでしょうね。日本人に限らず、評伝小説はまた書いてみたいです。

村山由佳
むらやま・ゆか●作家。
1964年東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て作家デビュー。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞。2003年『星々の舟』で直木賞、09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞、21年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。エッセイ『命とられるわけじゃない』『記憶の歳時記』、小説『ある愛の寓話』『PRIZE』など著書多数。






