[書評]
<ナツイチ>読みどころ
夏、書店の目立つ場所に文庫がずらりと並ぶ光景を目にすると心が浮き立つ。ここではこの夏の〝推し文庫〟をご紹介したい。
まずは三つの中短編が収められた高瀬隼子『いい子のあくび』。表題作の語り手、20代半ばの直子は周囲の人を不快にさせないよう生きてきたが、常に〈割に合わない〉という思いを抱えている。歩きスマホの人をよけるたび「よけてあげた」ことの理不尽さを強く意識する。大柄な恋人は彼女のそんな気持ちに気付かない。積もった憤りはやがて彼を巻き込み表出してしまう。
読書の喜びのひとつは「自分も経験したことが的確に言語化されている」と感じることだが、この作品にはまさにその喜びがある。ストレスの内側を見つめ、解体し、文章というかたちで見せてくれる。ネガティブな経験を読むことで分かち合える一冊だ。
ネガティブな気持ちは恋愛につきものだが、斜線堂有紀『君の地球が平らになりますように』に登場する5人の恋は残酷なまでにせつない。特に「転ばぬ先の獣道」と題された一編、非の打ちどころのない恋人と暮らす女性が試みるある行為は、共感と疑問が一体となって読者の胸に迫ってくる。陰謀論に耽溺するパートナーを見つめる女性の心模様を描いた表題作も秀逸。他人に自分の空洞を埋めて欲しいと願うのが恋なら、恋はどうしようもなく祈りに似ているのだと思わずにはいられない。
もちろん恋愛には幸せな時間もある。宇山佳佑『いつか君が運命の人』(Ⅰ・Ⅱ)は横須賀、仙台、神戸など舞台を変えながら綴られる全6章の物語。六つの恋を銀色の指輪がつなぐ。世の中のどこかで奇跡は起きているのだと想像させてくれる温かな読後感がいい。
青春という奇跡の時間を堪能させてくれるのは壁井ユカコ『2.43 清陰高校男子バレー部 next 4years①』。2013年から始まったこのシリーズの最終作だ。福井の高校で活躍したセッターの
この『2.43』シリーズはアニメ化もされ人気を呼んだが、続いてはちょっとビターなコミックをご紹介しよう。第25回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した野原広子の『妻が口をきいてくれません』。会社員の誠はある時、妻の美咲との会話がなくなっていることに気付く。弁当も作ってくれるし、子どもとは普通に接している。だけど口をきいてくれない。なぜなのか分からないまま5年もの歳月が流れてしまう。
美咲の視点で綴られる後半パートを読むうち、これは決して珍しくない、多くの家庭で起きていることなのではと腑に落ちる気がした。誠はとても「普通」の夫で、妻の心を少しずつ削いでいったのはおそらくその「普通さ」なのだ。
武田砂鉄のエッセイ『父ではありませんが 第三者として考える』には、結婚、子育てという「社会の普通」に対する問いがぎっしり詰まっている。通過儀礼のように思われているこの二つを経ないと人は成長できないのか。生き方は自由と言いながら常に誰かがなんらかの物差しを持ち出し、あなたは足りていないと突き付けてくるのはなぜなのか。子どもがいなくても、子育てについて真剣に考えることはできる。〈第三者にも当事者性がある〉という言葉に力をもらえる考察だ。
2032年の東京を舞台に、子ども狩と人身売買の問題を追いかける女性記者を主人公にした『プレデター』は、あさのあつこによるスリリングな一作。取材するはずだった相手が死亡したことから、記者の周りで不穏な出来事が起き始める。経済格差による分断、どの階層からも生まれる闇の子どもたち、そして「プレデター」の謎。ジュヴナイルの名手である著者の思い入れが、登場人物たちの熱い台詞から強く伝わってくる。
堂場瞬一『デモクラシー』も近未来の物語だ。国会が消滅し、日本の政治システムは大きく変わっている。議員は国民からランダムに選ばれたいわば「普通の人」。そんなシステムが敷かれたら、一体どうなるのか。国民議員に選ばれた大学生、議員を監視する調査委員会、現首相と次期首相の座を狙う都知事との対立、官僚の苦労など、様々な側面から直接民主主義の姿を描き出す。読み応え十分だ。
読み応えといえばこちらも凄かった。村山由佳『二人キリ』(上・下)は、1936年に東京市荒川区で起きた通称・阿部
猟奇的だと捉えられがちな事件の背景を丁寧に辿りながら、破滅という極限の幸福に説得力を持たせる。様々な作品で性愛の奥に潜むものを、誠実に、情熱的に描いてきた村山由佳という作家にこの上なく相応しい題材であり、著者でなければ書けなかった作品だと誰もが思うだろう。
〈小説であれ、映画であれ、そいつが虚構かそうでないかを分けるものって何だ?〉という一文が『二人キリ』の作中にあるが、その問いを反映したかのような作品が恩田陸『鈍色幻視行』(上・下)。撮影中の事故により幾度も映像化が頓挫した伝説的な小説『夜果つるところ』とその著者をテーマにノンフィクションを書こうと目論む作家の
人称を変え、語り手を代えながら進んでゆく2週間の旅の模様は甘く優雅で、絢爛で不穏。翻弄される楽しみを存分に味わえる極上のミステリーだ。
こちらも満足感たっぷりのミステリー。結城真一郎『難問の多い料理店』はまず設定が面白い。探偵業を密かに請け負う料理店のオーナーが物語の起点となるのだが、彼と依頼者をつなぐのはフードデリバリー「ビーバーイーツ」の配達員。「発注」のサインは暗号のような隠しコマンド。受注した配達員は依頼者のところに出向いて話を聞き、オーナーに内容を伝える。すると彼が鮮やかに謎を解いてしまうのだ。
轢死体の手からなくなっていた指、誰も住んでいない部屋に届けられるたくさんの置き配……奇妙な事件をほどいていくオーナーの美しくも不気味な存在感と、シングルマザーや売れない芸人など配達員たちの人生の断片を絡めながら七つの物語が進んでゆく(文庫版にはボーナストラックも一編あり)。タイトルはある名作童話を思い出させるが、その童話へのオマージュのようなラストには思わずニヤリとしてしまった。
料理をテーマにしたエッセイ集、宮下奈都の『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。』は、読んでいるとだんだん優しい気持ちになってゆく。〈自分を励ます食べもの〉が小松菜だというエピソード、大雪山国立公園で過ごしたお正月、海へ行ってテングサを採ってくるところから始めた子どもの頃の寒天作り。食にまつわる思い出を読者の中から自然に引き出す、心安らぐ一冊だ。
最後に、読むエナジーチャージとでも名付けたい小説をご紹介しよう。綿矢りさの『パッキパキ北京』は、単身赴任中の夫がいる北京に渡った主人公が当地を逞しく楽しみ尽くす物語。ザリガニ、鴨の首、アヒルの脳。大皿山盛りの唐辛子で味付けされた中華料理を食らい、春節で浮かれまくり、好きな服を着て歩き回る。繰り出されるまっとうな人生訓に惚れ惚れしながら読み終えると、いつのまにか元気が出ていることに気付く。
この中にあなたの夏を彩る一冊がありますように!
※ナツイチ作品全82冊の詳細は、フェア参加書店で配布されるナツイチ小冊子、
またはナツイチ特設サイト(https://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/)をご確認ください。
北村浩子
きたむら・ひろこ●フリーアナウンサー、ライター




